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人生は引き算? それとも……。

人生は引き算
……という言葉が目に留まって、思わずその文章を最初から読み返してしまいました。


その時私が読んでいたのは、自分がこれまでに書きためてきた、"瞬間記"と名付けたノートでした。瞬間記というのは、日記の他に書いている雑記のようなもので、「寝る前に書く」と決めている日記とは異なり、心が動いた"瞬間"に書くノートです。

時々、瞬間記を読み返すのですが、パラパラとページをめくっていた時に「人生は引き算」という言葉を見つけ、「私、何を書いたんだっけ」とじっくり読み返しました。

すると、「これ、自分が書いたの?」と思うと同時に、「何だか今の自分に言われてるみたい」に感じて、noteでシェアしようと思い立ちました。


この瞬間記を私が書いたのは、2015年の2月20日。ちょうど今から7年前のことです。

まだまだ子どもだった私の言葉など面白くないかもしれませんが、15歳の子どもの心の叫びが、少しでも今のあなたに響いたらいいなと思います。

一部、漢字をひらがな表記に直したりはしていますが、当時の言葉にはできる限り手を加えていません。体裁など気にせずに書いた瞬間記を、思い思いに楽しんでくださればと思います。

2015 2/20

人生が引き算だとしたら、私は今日、精一杯生きなくてはならない。明日には何を失っているか分からないから。
でも、その事実を単なる恐怖の対象にはしたくない。人生が引き算だとしたら、引かれ尽くされる前に生き尽くさなくてはならないから。

失ったものを嘆くのもいい。でも、嘆き尽くしたら、笑い尽くしたくもなる。笑うことはまだ、私から失われていないから。

この先、どんどん引かれていってしまうかもしれない。というより、引かれていく。でもそれは、貧しくなることを意味するのではない。失ったことで手に入れられるものもあるから。

人生は引き算だ。その一方で、足し算でもある。明日が来ることは死に一歩近づいたことを意味する反面、明日というその日がちゃんと与えられたことも意味するから。

絶望の海に沈むのもいい。そうしてこそ、希望が見えてくるから。

苦しみ尽くし、笑い尽くし、泣き尽くし、笑い尽くしたい。明日、何かを引かれても悔いの残らないように。
憧れた人のように生きることはできない。けれど、私には、私だけの、私のために用意された人生が待っている。
人の生き方は真似できない。でも、私には、私の生き方がある。

だから、今日を生きようと、朝、思えるのだ。他でもない、自分の人生を歩みたいと思うから。

色んなことがある。その全てをモノにしたい。辛いことも楽しいことも、悲しいことも嬉しいことも、全部自分のものしたい。そうすれば、引き算の人生が、ほんの少し、足し算に変わると思うから。

今の私が思うのは、人生は引き算の面もあり、足し算の面もある、ということです。

長く生きたからといってどんどん足されるというわけではなく、体の機能だったり、親しい人だったり、自分にとって大切なものが失われる経験も、長く生きるほど増えていくものです。

一方で、思い出や経験、知識などは自分の努力次第で増やしていくこともできます。思いがけない出会いやチャンスだってあります。

何かを失った時、「あぁ、所詮、人生は引き算だ」と思うこともあるでしょう。
でも、それが人生の本質ではないのです。

それを忘れてはいけないよ、と、7年前の自分が遠くで叫んでいるように思いました。




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