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努力でしがみつくのは、たぶん愛じゃないから

2023年11月に、5年近くお付き合いしていた恋人と別れました。

このnoteで恋愛について語ろうという気はありませんが、今日は少しだけ語らせていただこうと思います。恋愛の話とか苦手なんだよね、とページを閉じてしまいそうな過去の私に伝えたいことを、書こうと思います。
(3,000字を超えていますので、お時間ある際にお読みいただけると幸いです)

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5年近くも付き合っていれば、愛が少しは分かるだろうと思います。本来は、そうなんでしょう。でも、私は最後まで納得のいかない感情と格闘していました。

その感情が何なのかよく分からないまま、恋人に提示された別れの条件を満たせないまま(別れに条件を持ち出すのは、いいことではないと思いますが)、時間だけが過ぎている。それが、2023年の私でした。

そんな頃、たまたま読んでいた本の一説が、私に答えを示してくれました。

「愛は努力して生まれるものではないわ」

「パットの夢」モンゴメリ、谷口由美子訳、株式会社KADOKAWA 447頁

これは、カナダの作家モンゴメリの「パットの夢」という本の一節です。結婚を報告しに来た娘(パット)の、愛への考えに違和感を覚えた母からの言葉です。

物語の主人公である娘(パット)は、母親にとある男性と結婚することを報告します。本当に彼を愛しているのか聞かれたパットは、「お母さんが言っているのとはちょっと違うと思うけど」彼を愛していると答えるのです。

「愛の意味は一つしかないわ」と諭す母親に、パットは言います。「だったら、あたしはほんとうの愛し方ができない人だと思う。あたし、努力したのよ……でも、できないの

私にはパットの気持ちがよく分かりました。相手のことを好きかどうかすら分かりませんでしたが、彼の「私はあなたを待つから」という言葉に応えようとして、私は頑張っていたのです。

でも、結局、私には分かりませんでした。

「あなたが私を好きでいてくれるようには、私はあなたのことを好きになれていない」と口にするたび、申し訳なさと情けなさで苦しみました。

今思えば、私が彼と付き合い始めた当初は、メニエール病と格闘していた頃だったので、私は自分のことを好きではありませんでした。

だから、彼と私では、ある意味意見が合わなかったのです。好きだと言われてもよく分からないし、「私はあなたに生きていて欲しい」と言われても、「私はそうは思わない」と平然と返していました。「あなたは素敵な人だよ」と言われても、嬉しいどころか「意味が分からない」と感じていました。

実際、自分を削っていた頃のことを「素敵だ」と言われるのは心外ですが、何を言われても相手が嘘を言っているようにしか聞こえなかったのです。

けれど、次第に、自分自身との向き合い方も変わり、環境も変わり……、私は、自分自身のことは好きになれてきました。病気になろうと、うまくいかないことがあろうと、そういう自分も含めて認められるようになったのです。そのおかげで、周囲の人のことも好きになれてきました。

それなのに、私は彼のことが好きかどうかは、依然として分からないままでした。愛しているかどうかなど、もっと分かりませんでした。

だから、別れ話を切り出しました。彼は納得がいかないようで、別れるのに条件を提示してきました。私は条件を達成しようとしながらも、彼の望むように付き合い続けられないかとも考えました。時間だけが、流れていきました。

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あっという間に、別れ話を切り出してから1年が経とうとしていました。彼と別れる少し前、私は友人と(この友人と以前に会った時の話はコチラ)、この恋愛関係について話しました。この頃には、やはりこのまま付き合うことはできないと私の心は決まっていました。

1時間近くかけて私は彼女に全てを説明しました。彼女の答えは、シンプルなものでした。「もう、別れたらいいじゃんって思っちゃう。ひーちゃんが別れたいって言ったら別れられるのが普通だし……。LINEをブロックしちゃえばいいんだよ」

「でも、いい人なの」

「でも、ひーちゃんは苦しんでるじゃん。いい人だからって付き合わなきゃいけないとしたら、私たち、何人もと付き合わなきゃいけなくなるよ」

「それはそうだね」と笑いながらも、私は踏ん切りがつかずにいました。まだ、彼から提示された条件を達成する方法を考えていたのです。

でも、本を読んでいる時に、はっとしました。「私が苦しかったのは、頑張っていたからだ」と。

結局、私が相手に向けている感情は、愛ではないのです。義務感や恩義の方が近いのでしょう。だから、「別れたいのに別れさせてくれないなんておかしい」とも思えずに、相手の顔色を窺っていたのです。

もう少し頑張ったら、何か変わるかもしれない。
彼と別れたい気持ちが、なくなるかもしれない。
そのために頑張ることが、相手への誠意だとさえ思っていたのです。

けれど、ふと思ったのです。
何で、この人にしがみついてるんだろう? と。
彼も、どうして私にこだわるんだろう? と。

結局のところ、義務感や恩情というのすら言い訳に過ぎない、と私は思いました。彼がどう考えていたのかは分かりませんが、私は単に、怖かったのです。彼と別れて一人になるのが、怖かったのだと思います。

彼にはよく、「あなたと付き合えるのは私くらいだ」と言われていました。別れ話を切り出してからは、「私と別れたら、あなたは一人になる」とも。

それが真実かどうかは追々分かることだと思います。でも、私自身「そうなのかもしれない」と心のどこかで感じていたことが、私の行動を止めていたのです。

単に、怖いだけ。

それなら、私は、もっと本気で相手から離れる努力をしなくちゃと思いました。私は、テキストで別れを切り出しました。

電話で話せば彼に言いくるめられてしまうけれど、テキストであれば、私の言葉が伝わると思ったのです。

私の予想は、当たりました。
すんなりと、呆気なく、終わったのです。

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彼は、いい人だったと思います。

だからこそ、彼の愛に応えようと私は努力しました。愛が分からないなりに。

でも、恋人として「あるべき姿」がどこかにあって、それに少しでも近づけないかと模索していた時、私はいつも疲れていました。

それは、愛ではなく「こうあるべきだと思うから」という義務感に従った行動だったから。愛に応えるべきだと思っていたし、応えなくてはいけないと思っていたのです。

でも、そんなやり方は、本当はどこか苦痛のにじむものでした。

だから、彼と別れた後は、寂しさよりも、すがすがしさが勝りました。そうして”自由”を味わっていたらからこそ、その数か月後に会社を辞めることができたのだと思います。会社も、恋愛とどこか似ていると思ったのです。

いえ、会社の人たちのことは本当に好きでしたし、今も変わらず好きです(未練たらたらだな、と笑ってくれて構いません)。

でも、仕事を愛しているか、仕事をしている自分を愛せていたかというと、それには多少なりとも努力が必要だったなと今は思うのです。

仕事内容も、その仕事に取り組む自分も、本当には好きではなかったと思います。

相手に応えようと頑張った恋愛。
好きになろうとした仕事。

それらを手放して、私は完全に自由になりました。努力して頑張っていた時の自分は、居場所を失うことを恐れていました。でも、本当は居場所はそこら中にあると、今は思います。

きっと、これから出会うのは、努力せずに愛せる人たちなんだと思います。これから私が選ぼうとしているのは、努力せずに愛せる仕事でしょう。

そんな人や仕事との出会いを信じて、進んでいこうと思います。


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