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もしも叶うなら、地上の楽園を作りたい

私は、自分の机の上に↑こんなミニカードを飾っています。

描かれているのは、青いワンピースを着た女の子が白い鳥に餌をやっている様子で、見ていると何とも癒されるので、目につくところに置いています。

この絵の作者は、アメリカの絵本作家
ターシャ・テューダーさん。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれせんが、彼女は造園家としても知られています。

彼女の絵はどれも美しいのですが、その美しさがリアリティをもって私たちに伝わってくるのは、これが想像上の庭ではなく、彼女の本物の庭を描いたものだからでしょう。

私は彼女の庭をテレビで見たことがありますが、それは、この絵の風景そのもの!

様々な種類の花が、それぞれにぴったりの場所でのびのびと咲き誇り、この地球上にこんなに美しい場所があるのか、と思わず見入ってしまうような、それはそれは見事な庭なのです。

そんな美しい庭にぴったりな言葉は、”地上の楽園”です。彼女自身が、「地上の楽園よ」と言っているほどなのですから、間違いありません。

庭は私の自慢なの!
謙遜なんかしないわ。
うちの庭は、地上の楽園よ!

「思うとおりに歩めばいいのよ」ターシャ·テューダー、食野雅子訳、KADOKAWA 82頁より


それにしても、自分の手で作り上げたものを堂々とそんな風に言えるって、何て素敵なんでしょう。

私は彼女の姿に感銘を受けるとともに、いつか自分も、もしも叶うなら、地上の楽園を作りたいと思うようになりました。

でも、それが果たして彼女と同じ"庭"なのかというと、自分でもよく分かりませんでした。

私は自然が好きですが、(カメラを持っていない時は)虫が大の苦手で、庭作りなんてしたことがありません。

やったことがないから夢にみてはいけないという決まりはありませんが、やはり、私と庭というのは完全にはしっくりこないのです。

では、
私が作りたい地上の楽園とは?

あのミニカードのような、
平和で美しい、地上の楽園。

それが、本物の植物の庭でないとしたら?

……きっとそれは、言葉の庭だと思うのです。


*******

私のnoteが、自分にとって、そして、こうして記事を読んでくださる方にとって、地上の楽園のような存在になればいいな、と私は思います。

色々な花(記事)が咲き乱れ、
どれ一つとして同じものはなく、
美しい色(写真)と、
かぐわしい匂い(エピソード)で溢れている、
言葉の庭。

通りがかりの人(初めましての読者さん)も、
いつも訪れてくれる人(常連の皆さん!)も、
来るたびに新鮮な驚き
新しい出会いに心を踊らせることのできる、
変化し続ける庭。

そう、そんな庭を作りたいのです。


私は、そもそもの性格がポジティブなわけではありませんし、noteで暗い·重い話をすることもあります。

そんなものが、”地上の楽園”の構成要素だなんて、と思う人もいらっしゃるかもしれません。

でも、私は、ただ辛かったという話がしたいわけではありません。私の経験と言葉を通して、読んでくれる人の心に何かしら、益となるものを残したいという気持ちがあって書いているだけなのです。

私の言葉を必要としている”未来の誰か”のために、書いているのです。そして、そういうものこそ、私の地上の楽園に必要なものだと思います。


私は、文章を書く行為は、まさに未来に対するものだと思っています。

私より早くにこの地球上にやって来て、私が生まれるより先にこの世を去った人々が私の文章を見ることはありません。

私の文章を読むのは、いつだって”未来の読者たち”なのです。


未来の読者たち”のために書かれた文章は、
明日の自分を奮い立たせてくれるかもしれません。

1年後、たまたま私のnoteを読んでくださった方の心に寄り添うかもしれません。

3年後、道に迷っている誰かを導いてくれるかもしれません。

5年後、「私ってどういう人間なんだろう?」と急に不安になった私を救ってくれるかもしれません。


書くことは、未来に対する行為なのです。


よく、モヤモヤしていたことを文章にしたら、気持ちが前向きになったという話を聞きます。

過去のことをうじうじと書いているはずが、なぜか希望を持てるようになったという経験がある人は、きっとここには沢山いると思います。

私は、これは、文章が未来に向けた行為であるから起きる現象なのだと思っています。

私たちが過去のことを書いているとしても、どこかで意識が未来に向いているから、書く行為を通して、私たちは前向きになれるのだと思います。

だから、綴られた言葉は、力強く私たちを導いてくれるのです。


私は、そんな”未来に向けた言葉”で溢れた庭を作りたいと思います。

未来の誰かを癒す、言葉の庭を。

未来の誰かを勇気づける、言葉の庭を。

未来の誰かを笑顔にできる、言葉の庭を。

未来のあなたがまた訪れたくなる、言葉の庭を。

自分で地上の楽園だと誇れるような、言葉の庭を。


この願いを、”もしも叶うなら”という言葉で終わらせたくはありません。

これは、願いであり、夢であり、目標だからです。

この目標のために私がすべきことは、私が一番よく知っています。

書き続けること。

経験し続けること。

それを、言葉にし続けること。

それに尽きると思います。


本当は、先ほど、”もしも叶うなら”と書いて、この文章を締めようとしました。でも、書いているうちに、私は、本気で未来を意識しました。そして、何をすべきか、はっきりと認識しました。

言葉が、私を導いてくれたように思います。


そんな、言葉の力が感じられる庭を作れるよう、これからも私は書き続けます。
上手な文章が書けるようになるには、まだまだ時間がかかると思います。
でも、自分がこれまでの人生で経験したこと、考えたこと、楽しかったこと、辛かったこと、学んだことがあなたに伝わるように、努力を続けます

努力といっても、私は文章が上手い人だと思われたいわけではなく、いつだって、あなたに、未来のあなたに届いてほしいと思って、言葉と向き合っています。

その結果、未来のあなたの心に何か1つでも光るものを届けられたら、私の”地上の楽園”は、また一歩、完成に近づくのだと思います。


*******

ここまで読んでくださった皆さん、本当に、ありがとうございます。

1人の人間の、小さくて壮大な夢に耳を傾けてくださった皆さんの夢も、叶いますように。


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