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遅い春でもいい

昨年、noteを再開させる少し前、そのタイミングは「春になったら」と、決めていました。

でも、実際には春を目前に立て続けに怪我をして、あえなく延期となりました。というか、そう決めたのです。「今はその時じゃない」と、心と体が言っているような気がしたからです。

怪我をして、書くことに対する想いが薄れたこともありました。でも、やがて、「春になったらnoteを復活させよう」と思っていた時以上に、書く手がとまらない日々がやってきました。
「あ、今がその時だ」と分かる瞬間がやって来たのです。ちゃんと、私のタイミングで、私の春がやって来たのです。

季節が春になったからって、周りの人に春が訪れたからって、自分も咲かなくちゃなんて思わなくてもいい。遅い春でもいい。

一連の経験から、私は、そんなことを学びました。

私の季節は、まだまだ、発展途上なのだと思います。急に梅雨がきたり、暑かった次の日に雪が降ったり。

と思ったら、突然、芽吹いたり。

だから、現実の季節や、同じように変則的な季節を生きる隣の人に合わせるなんて、ナンセンスにもほどがあると思うのです。

辺りの空気が春めいたのに、まだ雪解けの来ない自分自身を「遅れてる」と感じる必要がどこにあるでしょう?

隣の人が輝きの季節を送っているように見えるからといって、それが自分の季節の流れと、何の関係があるでしょう?

でも、時々、自分の季節のリズムが分からないがゆえに、自分にしか分からないはずのリズムを周りを見ながら掴もうとしてしまうのだと思います。

そして、合っていないリズムに乗れずに、落ち込んだり疲れたりしてしまうのです。

期限を決めたり、周りと歩調を合わせたりすることは、確かに、仕事では大切な考え方かもしれません。でも、私たちがそれぞれに持っている人生の流れは変則的で、とてもじゃないけれど周りに合わせられるような代物ではないと思うのです。

自分のリズムに、心のタイミングに、合わせて生きてみよう。

もし、実際の季節や、自分の周囲の人たちから置いていかれているような感覚がある方は、そんな心持ちで過ごしてみるといいかもしれません。

きっとある日、あなたにも美しい春が、天からの贈り物のように訪れるはずです。

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