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目的のない旅と文と僕

1 目的を失え

先月のシフトが公休が1つ少なかったということから、突如現れた休日。

僕は今、目的もなく東京は新宿行きの小田急線に乗っている。

どこで降りるかも決めていない。降りたくなったら降りるし、降りろ!と言われたら降りるだろう。

iPhone内の全てのミュージックをシャッフルで流して、どんな曲も受け入れる。そもそももともと自分が入れたものなのだ。藤井風の旅路が流れて、僕は旅人になる。

目的がないなんて悪い響きだけれど、僕は日々目的に追われ過ぎている。
何の為に、誰の為に、何の為に、誰の為に。

もっと自由に、心気ままに、その時その時の感情、瞬間を大事にできたらなって思う。

今日は感じたままに過ごしてみよう。
感じたままに書いてみよう。

「今が1番若い」みたいなことをよく聞く。
若いからなんだって思った。

だから「今が1番最高」だ。なんて言ってみる。
色んな経験を経て出来上がった今が、1番自分史上最高なはずだ。
今、今、今、ほら今更新した。

電車は今、相模大野駅に停車している。


2 いーはとーぼ


新宿行き小田急線に揺られながら、新百合ヶ丘あたりで、ふと下北沢で降りようと思った。

サブカル色の強い、この下北沢でぶらぶらと散歩する。古着屋がたくさんあるこの街で服のひとつでも買おうかと思ったが、古着屋に入るとセンター分け、柄シャツの青年が多くて、自分がこの街に溶け込めないことを思い知る。


すると珈琲、音楽の店いーはとーぼと書かれた看板が目に入り、入ってみることにした。


入ると足もとがおぼつかないマスターが迎えてくれた。
いくつだろう70、80はいっていると思われる。
店内はしっとりとジャズが流れていて、古本やCDが積まれている。
ジャズは普段聴かないけど、とても心地が良かった。心がすっと落ち着くのを全身で感じた。
古くて良いものばかりが残されてるのかと思いきや、本棚には又吉直樹の火花が積まれていたりする。どの時代でもいいものはいいものとして受け入れてるお店な気がして勝手に嬉しかった。

ふと一冊の本が目に止まり、手に取る。
「喫茶人かく語りき」
手書きのPOPで店主の名言がフューチャーされていますと、書かれていた。喫茶店と、店主の言葉が特集された一冊の本だった。

はぐれてるやつには喫茶店が必要なんだよ。
たとえ1日に30分だけでも座って、
自分をまとめるための場所が。      

いーはとーぼ店主 今沢裕


はぐれてるやつとはまさに僕だ。
そうだよ、僕みたいなやつには心を整える場所が必要なんだ。ひとりになる時間が必要なんだ。きっと喫茶店はいつの時代も誰かの居場所になるのだろう。そしてマスターの今沢裕さんはこの場所をずっと守ってきたんだろう。ヨボヨボになるまで、素敵な音楽を流し続けて。
すごいよマスター。
ありがとうマスター。

3 キューバシャツ


いーはとーぼを出た後、せっかくだから古着を買いたいと思った僕は、古着屋を巡ることにした。

ふと、キューバシャツが欲しいなと思った。キューバシャツとはポケットが4つと刺繍が特長的なキューバ生まれのシャツだ。キューバに行ったときに買えばよかったのだが、あのときは極限まで荷物を減らしながらの旅だったので買えなかった。お金も持ってなかったし。

下北沢で買うのはどうなんだろうとも思ったが、またいつかキューバに行ったときに買えばいいし、何よりも欲しいと思ったときに買いたい。

こうしてキューバシャツ探しがはじまった。
見つかった場所は意外な場所で屋根のないストリートでのフリーマーケットだった。カラーバリエーションが他のお店よりも多く、中にはリメイクをしてるものもある。そして、なにより店員のお兄さんが赤色のキューバシャツを着ていた。

僕が欲しそうにキューバシャツを物色していると、すかさずお兄さんが寄ってくる。
お兄さんの接客のもと、色々試着した結果、淡いベージュ色の1着に決めた。

お兄さんに僕キューバに行ったことがあるんですと言おうとしたけど、そのあとの会話が盛り上がる気がしなくてやめた。今思うと展開など気にせず、話せばよかった。

ところでこのシャツはいったいどんな旅をしてここまで行き着いたのだろう。キューバ人が着たりしたのだろうか。

陽気なラテンの魂が染み付いたシャツを身につけて、お兄さんが繋げてくれた縁に感謝して、僕はこれを着ようと思う。

4 ソロネタリウム



下北沢を後にして、池袋に向かう。池袋サンシャインシティの屋上にプラネタリウムがある。梅雨の空模様を無視して、人工的な美しい星空を見たっていいじゃないか。

行く前に、一応「プラネタリウム  男  ひとり」と検索する。案の定、男でひとりでプラネタリウムに行くのは変ですか?という質問があった。別に変じゃないですよという、当たり前といえば当たり前の返事とともに、僕はこんなことで安心を手に入れる。

プラネタリウムは大学時代に付き合っていた彼女と見たきり見てない。ちょうどこの池袋のプラネタリウムで、カップル用の雲シートではなく、普通のシートを予約していたということで泣かしてしまったという事件があった。喜ばそうと思わせたのに、泣かせてしまうということがあるから、人間は本当に難しい。それ以来、ある種のサプライズはトラウマになっている。

ギリギリ16時半からの猫星夜というタイトルのプラネタリウムを見ることにした。ヒーリングタイプといったアロマの香りと一緒にプラネタリウムを楽しむものだった。
アニメーションの猫が星空をガイドしてくれた。アロマはすごくいい香りで360度の満天の星空との掛け算でそれはもう夢心地だった。

「人の数だけ空は違う」
ナレーションが言う。
「それでも同じ空の下、私たちは繋がっているのです」

泣かせた彼女は今、この同じ空の下で美容師として頑張っている。


5 タイショウ



目的のない旅も、いよいよ終わりを迎える。下北沢と池袋に行っただけで旅って言うなよって言われるかもしれないけど、間違いなく旅である。この世のほとんどが旅だ。

小田急線は自分の家の最寄りに戻ってきた。
家の近くに、おんどりという居酒屋がある。以前父と2人でお酒を交わしたことのあるこの居酒屋にもう一度行きたいと思った。

誰もいない店内に入ると、お一人様は断られた。その代わりとなりのめんどりに案内された。姉妹店的なことなのだろう。

めんどりに入ると意外と中は賑わっていた。
1人で飲んでいるのは僕しかいない。隣にはいい大人の男女が飲んでいて、もう気心が知れた仲といったところだった。
逆側には外国人二人組が飲んでいる。インド人ぽかった。
カウンターには料理長が1人立っていて、アルバイトは2人。お客さんの数を見たら、なかなか切り盛りが大変そうだった。

お料理はどれも美味しかった。
豚の角煮は、そう!これ!ディスイズ豚の角煮!といった味で僕のお腹を満たした。




インド人はすごくピュアに料理長を「タイショウ」と呼んでいる。大将もきっと嬉しいだろう。
こうやって、呼び合うだけで、人は繋がりを感じる。赤の他人から、関係性が生まれる。僕も気やすくタイショウと呼びたかった。でもできないのは、何ができなくしているのだろう。自分が情けなかった。

今度はまたいつか父と2人で行きたいと思う。

今日は感じたままに旅をしてみた。でもよく考えたら、行動したことに対してよく感じてみたことの方が正しい解釈なのかもしれない。そしてそのよく感じるという行為は旅を楽しくて意味のあるものにした。人生が旅であるのだとしたら、こうやっていつも何かを感じとろうとすることは楽しい人生を送ることへのヒントなのかもしれない。

そして道に迷ってしまったら、いーはとーぼの様な喫茶店で休んで自分をまとめたらいいし、落ち込みがちな日はあのお兄さんが勧めてくれたキューバシャツを見にまとったらいい。
ときにはお酒で嫌なことを忘れたっていい。タイショウのつくる料理は幸せを運んでくれる。
別れたり、離れ離れになった人たちもたくさんいるし、これからもっと増えていくのだろうけど、僕たちはこの同じ空の下で繋がっている。

僕はまだ長い旅の途中だ。

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