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「それぞれの私らしさを彩り その豊かさ美しさを 互いに歓び生かし合う」を体現する、ひば…

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「それぞれの私らしさを彩り その豊かさ美しさを 互いに歓び生かし合う」を体現する、ひばなーhibanaー 主宰。 在る・在り合うをしつらえる感じるパーソナルセッション、WS、場のコンセプト企画・運営をしてます。 https://www.hibana-to-bloom.com/

最近の記事

サクラなる器

あれは2年前の桜の頃、漣(sasanami)という写真集の出版記念イベントで、その写真家山本さんのことも内田さんのことももちろんクラヴィコードについても知らず、共演される坂本美雨さんの声が聴いてみたいと思って伺った場でのことだった。 壁に投影される写真も山本さんのお話も森岡さんのチャーミングさも素晴らしく、いよいよというとき、 「この楽器はできるだけ音を小さく奏でるためにつくられた楽器なので、聞こえないかもしれないです。」 という内田さんの言葉でライヴは始まった。 頭に浮

    • “なんとかチャレンジ”問題?

      いつどこで誰がどんな目的で始めたのか、 なんとかチャレンジでFBやinstagramが溢れてだいぶ経つ。 本の表紙、料理レシピ、子供の時の写真、ハッピーな時の写真、腕立て伏せなどなど、きっと今も新たなチャレンジが生まれ中。 私もちょうどしばらくSNS断ちしていたころ、 よくして頂いてる尊敬する69歳の方から、book cover challengeのバトンを受けてくれないか、とご連絡があった。 流行ってるのも知らなかったので、何かよくわからないまま、ただ単純に選んでくだ

      • 私は〇〇屋です、と言ってみる

        昨日とある方を友人からご紹介頂いてzoomでお話しした。 日頃からセッションや打ち合わせで1on1の初対面がzoomというのは結構あるけれども、プライベートで、というのはちょっと違う面持ちがあって新鮮だった。 特に今の環境で新しく人と出会う、ということがこういう形ででも叶うのは嬉しくありがたい。 何を得るためにという明確な目的のためでなく、 ずっとお話した方がいい気がする、という直観から繋いでいただいた。 この方が今の私をどう観られるか、に興味があったというのも正直な

        • 変わろうとしている時に大事なこと

          変わりたい、と願うとき、 変われない自分を責めてしまう に陥ってしまうことがある。 今のままではいけない、 こうなりたい、 と思うほど、 進化変化のない自分に呆れたり、 大きなくて遠い理想との差や距離に途方に暮れたりしてしまう。 こういう時、よく言われる効果的な方法として以下のようなものがある。 -変わりたい変化が起きている環境に入ってみる -変わりたい変化を起こしている人と共に過ごす -変わりたい変化を起こしている人の考え方を導入する そして、 -目標を今すぐできる

        サクラなる器

          もっくん、もいい

          何週間か前にプロフェッショナルの特集が本木雅弘さん、もっくんの回を観た。 (https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=22389) わー、なんて面倒くさい人だろう! と思うと同時に、 むっちゃ私やな、と思って 厚かましくも勝手にすごい親近感を感じて観てた。 翌日の30年来の友人とお茶してると、 友人も観てたらしく、 「私この人知ってる、 ふっちゃん(私の昔の愛称)やー、って思った!」 と言われ、 わたしも全く同じこ

          もっくん、もいい

          良い菌を培養する

          ある私の尊敬する人が、 自分は菌として生きていく と言ってたことを思い出す。 ちょうど新型コロナが話題になり始めた頃のことだった。 本当に共鳴する人、影響力のある人は 存在として、 そうやって他人の心にあっという間に植培され、 その瞬間から本人が意識しようがしまいが 身体の中の細胞に脳に作用し続け生き続けている気がする。 そしてこれはなんと心強い。 もう自分の身体の中で共存してしまっているので、 どこにいてもこの存在の考え方や在り方があたかも自分のもののように機能してく

          良い菌を培養する

          本当の自由を手に入れる

          自分は自由でありたい、 束縛、制約されたくない、 という自覚がある人は多いだろう。 私もより自由な人間関係、仕事、国、生き方を求め続けてきた。 居場所という絶対的な場所をどこかで求めながら いつでもどこでも誰とでもなんでもできることを求めてきた。 制約を感じるほどにいかに自分が自由でありたいかを思い知る。 人にしても男女問わず魅かれるのは大抵、自分よりもっと自由な人かもしれない。 大体、自由を求めている人は同時に制約を持っている。正しくは、制約という観念をつくってい

          本当の自由を手に入れる

          悲しみ担当、でもいい

          このところ実際に会えなくなってzoomでこんなんやりました!やyoutube、instaで動画デビューする人も増え、各々の表現の彩りも技術も急激に豊かになった。 そっち側になったり、それを享受する側になったり、する人/時がある一方、その間に境界線を感じ、そこに乗れない、今はそこから距離をおきたいと思っている人もいる。 SNSでの表現が盛んになる一方、その裏側で一時的に癒されたりごまかされたりしても虚しさや孤独感を感じている人の悲しみを感じる。 この悲しいという字をよくみ

          悲しみ担当、でもいい

          幸せを感じていい

          これは天国ですか。。。 なんて幸せなんだろう この自粛生活が始まったころから、 そう思う瞬間が格段に増えた。 とても不謹慎だと思う自分も強くいてあからさまにはあまり表現できないけれど、 涙が出るほど穏やかに心に沁みいる瞬間がある。 それは日常の何気ない一つ一つ。 毎朝散歩に行く公園のラジオ体操人口が日に日に増えていて、参加者の年齢層も層もぐっと下に広がり、 今本当に朝6時?と思うほどパーティーな賑わいの風景。(間隔はだいぶ開けられているようです) その前後の時間には

          幸せを感じていい

          私にふさわしいもの

          なんで彼が私と付き合ってくれてるかわからないんですよね。 というご相談を最近よく受ける。 彼は人間的にとても魅力的で自分にないものをたくさん持っていて、自分も彼のようになれたらなと思う。 なんかどっかで聞いたことある。。 特に去年くらいから男女問わずそんな方達との出会いに恵まれていてこの2点を実は自分もよく感じていた。 どこかで私はこんな素晴らしい人に相応しくないと思っている自分→自信がない→自分が出せない→自分でいられない(時がある)感覚を感じている。 そんなふ

          私にふさわしいもの

          ただ在ること

          家のマンションの屋上から富士山が見える。 7F建ての屋上は立ち入り禁止だけどほぼ毎朝立ち入って富士山と東京の空の大きさを確認する。 晴れていたら必ず見えるわけでもなく、霞んでいると見えない。 白くくっきりその悠々しい頭が見える度に勇気づけられ感動する。 関西人として富士山を日常に見て育ったわけではないので、殊更格別に貴重でありがたく思う。 昔コーチに、 「何かできる自分には価値があるけれど、できない自分には価値がないと思ってる?」 「じゃあ、歩くことも喋ることもできない赤

          ただ在ること

          すでにそうである

          甘えられる場所や存在があることで私たちは救われる。 それは恋愛相手だったり、友達だったり、その中でも一番パワフルなのは自分という存在だと思う。 殊、散々ダメダメな自分をさらけ出して受け入れられてきたところでは、そんな私であるから愛される自分、あるいは愛されている自分を感じることができるためにダメダメな私であり続け、強化していく。 そうしているとそこでは愛を感じられたはずなのに、 離れると感じられないその落差が耐えられなくなってますます依存が進む。そして執着になる。 他

          すでにそうである

          こんなにない こんなにある

          和暦では今日から新年が始まるそう。 なんかいろいろ更新されつつある感覚と 追いつかないと焦る私と その新鮮さを歓ぶ私と その不器用さを心配したり面白がれたり でも多分まるっとめでたい。 そんな私と根気強く時を共にしてくださる全ての存在が本当ありがたい。 先週雪の中を歩く瞑想で こんなにもある もう何もいらない と思った。 ただこの時を共にできる奇跡 この地球上のどこかで存在してくれていることで充分 ありがとう。 と思った。 先日のお茶会でのお軸は

          こんなにない こんなにある

          栗に感じる

          今年はよく栗を剥いた。 記憶がないくらい久々に栗ご飯を作って、 これはなんて愛なんだと思った。 それくらい結構な時間と手間がかかる。 栗を前の晩から一晩水に浸して、40分茹でて、冷めるまで置いて、やっとその一つ一つを剥き始める。 栗の形はみな違って、“剥かれる”という行為の受け入れ方もそれぞれ違う。 剥かれるのを待っていたかのようにツルッと脱いでしまう子もいれば、ヤダヤダと渋皮を自分の身に食い込ませて抵抗するような子もいる。 一つ一つの栗と向き合い語らいなが

          栗に感じる

          花火が好き

          大阪にいた頃は毎年8/1に行われるPL花火大会に何を置いても必ず観に行った。 炎天下のまだ日が高い頃から場所取りをする。 出来るだけ花火に近いところへ。 アスファルトにまだ生温さが残る中、日が沈んでいく頃胸の高鳴りがピークになる。 一年間ずっと待ってた瞬間がもうすぐ始まる。 好きすぎて花火師になろうと思ったこともある。 一年間とんでもない刹那のためにおそろしく地道な準備と修行を重ねてその時を祈るように迎える。 甘い世界じゃない。 それまでの膨大な時間と

          花火が好き

          自由の選択

          今回の台風で被害に遭われた皆様にお見舞い申しあげます。 また連日救助復旧活動に当たられている皆様に感謝いたします。 起きたことには対処を、 起こりそうなことには対策を、 さらには、今ここの選択が何につながっているから始める、止める、続ける、の選択の選択は今という毎瞬更新し続けられる数少ない確実なことかもしれないと思いました。 台風は自然災害でもあるけれどこの頻度と強度はそれだけでもない、としたら、という長期的な選択も含めて。 先週、在日外国人と日本人がともに日本の文化

          自由の選択