毒親とセックスレスと離婚危機③

今日は地元を離れるまでのことを。


中学を卒業して、自転車で通える範囲の県立進学校に進んだ。
99%大学進学を選ぶ、そんなところ。


学力的なことで選んだのも、もちろんあったのだけど。

一番は洗脳みたいなものだったと思う。


【あなたは国公立大学にちゃんと行くのよ。安定してきちんと稼げる仕事じゃないとダメだからね!】

わたしが小学校低学年の頃から、母がずっと言い続けていたのが、これ。

短大や専門学校は絶対にダメ。大学を出なさい。
国公立以外、ダメだからね。と。



実は幼い頃の夢は、ピアノの先生だった。

それを初めて母に伝えたとき、それはそれは苦い顔をして。先の話をされたのを覚えてる。
ピアノの先生は安定してないし、音大なんて就職率悪いし、収入も少ないからダメよ、と。(いろんな人がいるし、完全な偏見ですよね)

子どもの夢を否定するって、いまなら本当におかしいよなって思うんだけど。

母を怒らせたくない、余計なことを言われたくないという思いがその頃からあったから、何も言えなかったんだよね。


(余談だけど母は短大卒の公務員を少しだけやって、あとは専業主婦)


それ以来、ことあるごとに同じことを言われ続けた。

習い事のピアノは続けたけど、結局のところ、仕事にさせてもらえないんだなと諦めてしまって、どこか本気になれずにいた。

それで母に怒られて、泣きながらピアノの前に座る。そんな感じ。


母の理想は、国公立大学を卒業して、安定したいい仕事に就くこと。自慢の娘にすること。
公務員か、大企業。それ以外は不可。

とにかく自慢したい。そんな人だった。


わたしにとってはそれが大前提になっていて、その中からやってみたい仕事を選ぶ。
そんな進路の決め方だった。夢なんて、なかった。

本当になりたいものがわからない。
ふっと思い浮かんでみても、専門学校じゃ母に否定されるから、ダメじゃんみたいな。



もちろん親にとって子供が独り立ちして、きちんと生活することって願いの一つだと思うんだけどね。

それをそんな小さい頃から言う必要ってないと思うのよね。
アドバイスの一つとして話すぐらいならまだわかるけども。



思春期でわたしも不安定さはあったと思うけど。
その頃の母は最も不安定な時期で、妹は遠方に進学したため、日常的にわたしと母は2人でいる時間が殆どだった。


ちょっとしたことで、ブチギレられ、泣き叫ばれ、挙げ句の果てに寝室に引き篭もられる。
理由がわからないときもあった。

あまりにも酷い状況に、単身赴任中の父に電話して病院受診させて欲しいと訴えたこともあったけど、スルーされた。
ほんと、人生で2番目に辛い時期だった。




結果として、わたしは都内の国立大学の教育学部に進みました。

どうしても地元を離れたかったから。
地元の大学にはフルートを学べる大学はなかったので、音楽を続けたい、将来は教員になるからと約束して。

ピアノだったら、地元に縛られるのは確実。絶対に一人暮らししたかった。


東京の国立大学なんて、自慢したがりの親にはピッタリだと思ったんだけど、大正解。
案の定、すんなり認めてくれて。


絶対に地元に残らないと言う強い意志があったので、部活は1年で辞めて、2年の初めからずっと受験勉強。

キラキラの青春は捨てた。

最初の模試以外ずっとA判定だった。

音楽系の勉強もみっちりやって。
うちの親には私立の滑り止めなんて頭から存在しないので、わたしは私立を調べることもせず、受験したのは第一志望の国立大学だけ。

無事に、大学進学を決め、一人暮らしが始まった。



親のことは伏せて経歴だけを話すと。

地元の進学校出て、音楽勉強させてもらえてるし、東京で一人暮らしさせてもらえてるし。
優秀だったのねぇ、金銭的に余裕あるでしょ、親の理解もあって幸せだよね?って言われるんだよね。

99%そう。


でも、あの親から離れたかっただけ。そのための努力はちゃんとしたんだよなぁ。

青春捨ててでも、絶対に離れたかったんだよね。




親の異常性がわかってたはずの夫に、最近、わたしの家はお金もあって両親揃ってたじゃんって言われた。


実家にお金があっても、アルバイト不可の学校でお小遣いも最低限のわたし自身にはずっとお金はなかったし、たまに学校帰りに友人と行けるカラオケだけが楽しみで、それ以外はひたすら1人で。

土日もただ1人、勉強の日々。

精神的に辛かったんだけどな。

そんなこと言われたのは、本当ショックだった。



実家と離れ、新しい環境で新しい出会いが増えたことで、母の異常性に改めて気づくことになったのだけど、それはまた次の記事で。

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