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日記 2023年10月12日(木)

今朝の常磐線と日比谷線は異常に混んでいた。
小さな段ボール箱に詰め込んだキン消しのように折り重なったまま、乗り換えの駅まで固まってやり過ごした。そんな朝の時間にも慣れてしまうのだから、人間の適応能力はなかなかのものだと思う。

(お仕事中につき9時間後にワープします)

会社のトイレで鏡を見ると「あ、オジサンがいる」と思う。着実にオジサン化していく自分を愛おしいと思う。それでもやっぱり切なさもあって、この切ない感情はどこからくるのか考える。
それは音楽とどうしたってつながっていて、僕はまだ音楽で何かひとつでも達成できていないように思うのだ。では何が「達成」なのかと問われれば口篭ってしまいそうだが、まだまだ「心の底からカッコいいと思える自分の音楽」に達していないのだと思う。それができればもう少しこのオジサン化とも余裕をもって付き合える気がするのだ。
同時にこの「まだまだ、もう少し、あと一歩」という感覚は、この先どこまで行っても付きまとう気もしている。人生とは他の誰かではなく、自分自身との戦いであることの証明なのかもしれない。

町田康の「記憶の盆をどり」を読み始めた。激しくて乗り物酔いしそうだ。文章がうねって渦巻いている。そして唸っている。蠢く文字に目が眩みそうになって瞼を閉じる。今日は脳を休ませることにして、まったく無になって帰ってきた。

帰宅したらミス花子の「河内のオッサンの唄」が聞きたくてYouTubeで再生しながら何度も口ずさんだ。「好っきやねん」「もうかりまっか」と続いて、それから月亭可朝のギター漫談を見た。
何をしてんだろと思いつつ、これはきっと町田康の文章のせいだ。

新曲を作っている。次のライブに間に合わせたいが、どうだろう。ギリギリだ。

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