「喜びしかない」のブラジルローカル哲学と、社会が繊細になりすぎてるかもの話。
やっほー!皆さん、喜びしかないですか!?
今日はこの「喜びしかない」という日本語だと不自然に聞こえてしまう表現について語っていきます。
しかし「喜びしかない」は、どうしても違和感があるので、
一つだけポルトガル語の単語を覚えていただきます!
Alegria=喜び、にぎやか、活気に満ちてる様子。
外国語あるあるですけど、日本語で外国語の単語のニュアンスを正確に伝えるの無理ゲーなので、Alegriaがどういう状態のことを指すのか、何個か例をあげてみますね。(このブラジル哲学を理解するのに役に立つので、単語のイメージをなるだけ掴んでみてください。)
例1、大会で優勝して、みんな盛り上がってる→Alegria!
例2、上司に褒められて、ルンルンにスキップしている→Alegria!
例3、華金で明日は休み!→Alegria!
というように嬉しい感情伴うことや、にぎやかなシチュエーションのことをAlegriaと表現します!
「Só alegria!」=「喜びしかない」
発音の仕方は、 「ソ アレグリア」です!
これ超絶マニアックなんですけど、挨拶として使われます。
正直使ってる人、一人しかみたことないですw
「え、使われない表現を教えるな」と思うかもしれませんが、
僕は真剣にこの挨拶に心が救われましたので、解説していきます。
「友人Aの父親」に学んだ「Só alegria」の精神
友人Aの父親は、会う度に「Só alegria?」と挨拶します。ブラジルには、たくさんのパターンの挨拶があるが、僕は反射的に「Só alegria!」と返事しています。友人A曰く、これは昔の人の挨拶の仕方らしく、今では使われることが珍しいようです。(ちなみに、友人Aはこの古い言い方は好きじゃないから絶対に使わないそうです)僕は、めっちゃ好きなんだけどなぁ。
友人Aの父親と話していると、「人がAlegriaの状態になること」をとても大事にしてるのが、すごく伝わってきます。いいことが起きると一緒に喜んでくれるような人です。それが挨拶から伝わるってことです!
Tristeza(悲しみ)の罠
これは、「Só alegria!」を使うときの注意点でもあるんですけど、例えば相手がどうみても、悲しんでいる時やイライラしている時に言ってしまったらどうなるか想像つきますでしょうか?
そうです。「なんだ、この無神経な奴は」と思われます。
どうみても、Alegriaな状況にない人には使ってはいけないのです。
おっと、友人A曰く昔の人は「Só alegria」って使っていたらしい?
ってなると、昔はAlegriaの状況が多く、みんな幸せだったとも考察できますよね。そして神経質な人が増えて、「Só alegria!」という挨拶が死語になった。みたいな流れも想像できますね。
今こそ、「Só alegria」の社会に戻したほうがいい。
日本だと辛いことをすることが美徳とされていて、Alegriaが足りていないことが多いです。確かに成功をするには、努力をして辛いことを乗り越えることが必要になるかもしれない。しかし、忘れてはいけないのは、成功とその過程にはAlegriaがなくてはいけないということ。そうじゃないと、いつのまにかTristeza(悲しみ)が蔓延するだけの社会になってしまいます。
「Só alegria」っていう挨拶をすることこそ、あなたとあなたの大切な人の喜びを守るための一つの方法なのです。
いかがでしたでしょうか、みなさん!!
もし、読者がいれば反応いただけると幸いです!
明日もまた書いていきます!
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