見出し画像

SNSとギターとジェラシー

今回はとっても真面目かつ自戒を込めたお話。

2000年代以降、人々の間にインターネットが急速に波及し、その流れの中で各種デジタルコンテンツが発展してきました。これらのコンテンツに端を発する波及効果により、30代以上のギタリストが辿ってきた道のりと、20代以下のギタリストが辿ってきた、あるいはこれから辿るであろう道のりは全く別物になってしまったと思います。

紙媒体の教則本を買い、有名ギタリストのVHS教則ビデオを買い、自分の住んでいる周辺で形成された小さなギタリストコミュニティの中で和気藹々または一触即発…というのが一般的なギタリストの形、そんな時代があったことでしょう。私もその時代を経験したわけではないので推測の域を出ませんが…ところが現在ではYouTubeに無数のギター動画がアップロードされていますから、もはや紙媒体の教則本は無用の長物なのかもしれません。VHSはとうの昔に絶滅し、DVDやBlu-rayに取って代わられ、さらに最近ではサブスクサービスも充実しています。

そして何より、SNSの普及によって、もはやギタリストコミュニティはボーダーレス状態となっています。北海道に住んでいようが沖縄に住んでいようが、ネット回線さえあれば気軽にやりとりできます。
何事においてもそうですが、善と悪、功と罪、両方の側面があります。私がTwitter上でギターに関する内容を発信し始めたのは一昨年の9月からです。Twitterを始めた当初の私は田舎からのおのぼりさんでしかなく、思い返すと本当に恥ずかしい無知蒙昧っぷりでしたが、およそ1年半の間に本当に多くのことを勉強させてもらい、かつ気の合う友人や先輩たちとの接点が生まれました。果報者としか言いようがありません。
私一人の知識量や技量など、たかが知れています。しかしここにフォロワー様からのツイートが加わると、見える世界がどんどん広く深くなっていきます。今後もその流れは続いていくでしょうし、まだまだTwitterは続けていくつもりです(ただのツイ廃)。

ただ、その1年半の間に全く波風が立たなかったかと問われると、それはNoです。大小さまざまなすったもんだも経験しました。それは外部からもたらされる時もありましたし、自分の中からわきあがってくる時もありました。
わかりやすいところで言えば、外部からもたされる例としては、何の脈絡も無しに「下手くそ」などと誹謗中傷してくるクソリプが挙げられます。私自身は直接的に言われた経験はないのですが、フォロワー様が何人か被害に遭っているのを観測したことがあり、中にはそれを気に病んでアカウントごと削除された方もいらっしゃいました。

しかし個人的には、こういった悪意のある攻撃よりも、"悪意のない攻撃"から受けるダメージの方がずっと大きかったりします。まだ10代の少年少女が私より何倍も流暢な演奏を披露する動画を見れば、何とも言えない無力感が脳をよぎることもあります。潤沢な機材の写真を見れば、羨望に駆られることもあります。楽器に関係ないところでも、婚姻届の画像などを見た日には、未だ市場で売れ残っている自分に嫌気も差します。まじで楽器関係なくてすみません。

要するにこのネット世界にいる限り、「他人との比較・嫉妬・やっかみ」というマインドをうまくハンドリングしていかないといけません。油断すると「なんであいつばっかり…」「あいつより俺のほうが…」という邪念が顔を覗かせますが、なんとかしてこいつを追い払わないといけません。

ギターとTwitter、という観点だと、技術的な面に対する嫉妬と環境的な面に対する嫉妬が大きいかと思います。自分自身よりずっと若くギター歴も短い人がぐんぐんと成長していく様を見ると、今までの自分のギターキャリアを否定されたような気分になるかもしれませんし、周囲にギタリストがいてその恩恵を受けられる立場にある人を見つけたときには、自分の努力だけではどうにもならない運の要素にげんなりすることもあるかもしれません。

だけど記憶を遡って、自分がギターに憧れたあの頃を思い出すと、好きなバンド、好きなギタリストと出会って、少しでもその姿に近づきたいと感じたところが出発点だったのではないでしょうか。つまりスタートとゴールは1本道で、その間にはチョーキングの壁とかFコードの壁とかそういうのはあったとしても、「会ってもいないネット上の誰かさんが用意した壁」なんてのは本来存在していないはずです。馬鹿正直にそんな壁を乗り越える必要はありませんから、迂回するなり爆破するなりして次の壁を目指しましょう。

ネガティブな嫉妬感情をポジティブな闘争心に転換できるのであれば、それはそれでありだとも思いますが、他者との比較という呪縛からは解放されていないので精神衛生的には多少不健全かもしれませんし、ネガティブな気持ちを払拭できずに挫折してしまう人もいます。黒い気持ちに襲われた時は「なぜ自分はギターを始めたのか」「当初に掲げた目標はなんだったか」「それを達成するために必要な練習は何か」を思い出して、昨日の自分よりも上手くなる、これを常に心がけて研鑽に励むのが肝要です。「あいつよりも上手くなってやる」のマインドは、driving forceとしては強力ですが、終わりのない競争の中で疲弊してしまうリスクもありますので個人的には避けたいところですね。本気でトップギタリストの座を狙うのであれば競争の世界にも身を投じるべきでしょうが、大半の人は趣味としてギターを楽しんでいますから、やっぱり「昨日の自分よりも上手くなる」くらいの心持ちがちょうどいいと思います。

環境的な面でも、「あいつ親が楽器やっててずるいよなあ」とか「あいつ学生で練習時間いっぱいあってずるいよなあ」とか、色々あります。しかし、趣味としてギターを楽しめる環境があることそのものが、とても幸せでありがたいものです。エレキギターなんて不良だ!という全く無根拠なレッテルで迫害された昭和時代もありましたし、病気・怪我・家庭・仕事の事情などが影響して大好きなギターを諦めざるを得なかった人もいるはずです。
自分が健康であり、ギターを手に取り演奏できて、ギターという趣味を理解してくれる人が周囲にいる、これ以上を望むのは強欲というものです。かつて老子が言った「足るを知る」は、古代から変わらない人間心理の金字塔です。

SNSを通じての知り合いとの交流は楽しいものですし、意義深くもあります。その一方で自分と他者との比較を誘発してしまいやすい場なので、うまく付き合わないとねっていうことが言いたかっただけなんです。長々とよくわからない文章を書いてしまいました。
人間は感情の生き物ですから、時には羨望の眼差しを向ける誰かを攻撃したくなったり、あるいは虚脱感に苛まれて落ち込んだりします。ですが、そんな時間があるなら、同じ時間だけ練習する方がよっぽど生産的なはずです。
私自身もけっこうな年齢になってきていますが、歳を取れば取るほど、多くの若い才能を目撃するはずです。そうした才能の萌芽に接した時に、混じり気無しに喜べる人が本当の意味での大人なのかな、と最近思ったりもします。いずれにせよ、自分の軸をしっかりと持って、無意味な心の喧騒に惑われされないようにしたいものですね。

最後にケリーサイモンさんのツイートを貼って、おしまいにしようと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?