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「イケオジ」のすゝめ #1 スピ的「イケオジ」に関する考察

こんにちは。らいおんです。
久しぶりの更新です!

最近「イケオジ」という言葉を耳にしました。
怪訝に思い早速google先生に聞いてみると以下のような意味らしいです。

「イケオジ」とは「イケてるオジさん」をそのまま省略した言葉。
ただ年齢を重ねているだけのおじさんとは全く違い、見た目だけでなく人生経験も豊富で内面も魅力的なおじさんのことを意味しています。
そのため、「おじ専」という言葉もあるくらい若い女性からもじわじわとイケオジ人気が高まっているのです。
イケメンという言葉もありますが、こちらは「イケてるメンズ」のことで、一般的には10~30代くらいのことを指しています。
イケオジと呼ばれる男性の年齢は、一般的なおじさんをイメージする40~60代を指しています。

な、なんということでしょう!40代に突入してはやいくとせ、、、夢も希望もないオジさんである筆者にとって「イケオジ」は人生一発逆転ホームランの匂いがぷんぷんします(笑)

ちなみに「イケオジ」には以下の6つの特徴があるそうです。

「イケオジ」6つの特徴
・程よい筋肉質
・スーツが似合う
・髪型はツーブロック
・お金に余裕がある
・清涼感のあるヒゲ
・おしゃれなファッション

・・・・!? 「はい、無理ー(ひとつも該当なし!)!!」(笑)ということで、早々に「イケオジ」の夢が砕かれた筆者ですが、せっかくなのでスピリチュアル的に「イケオジ」について考えてみたいと思います。

スピ的「イケオジ」とは?

最近筆者がオーラを視ていて「この人スピ的『イケオジ』だわぁ」って思う人がいまして、それが思想家で武道家の内田樹さんです。

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ちなみに内田さん、、、外見もなかなかの「イケオジ」ですね、、悔しい、、(笑)

それはさておき、内田樹さんは筆者が大好きな思想家の一人で著書もたくさん読んでいるのですが、最近読んだ対談記事で内田さんの「イケオジ」っぷりが炸裂してたのでご紹介します。

この対談のテーマは「共感」です。
対談相手の紛争・テロ活動家の永井陽右さんが冒頭から活動家らしく鋭く切り込みます。

今の日本社会では「共感」が非常にもてはやされていて、僕はその状況に違和感を感じています。小さな子どもが困っていれば多くの人が共感を寄せるけれど、例えばそれが元テロリストの成人男性や、街中にいるホームレスの人だったら、共感して手を差し伸べようという人は少ない。
僕は、情動的に共感できようができまいが、すべての人が持っている「権利」を理性的に尊重することが重要なのではないかと、この連載で書いてきました。しかしながら、すべての人には権利の下に「共感しない自由」もあります。

普段仕事で「共感が大事!」と連呼している筆者は、永井さんの直球の共感批判に対して、斎藤幸平さんの「人新生の『資本論』」で自分の仕事を「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」とばっさり切られた時と同じようにドキドキしてしまいました(笑)(過去のブログ参照)

そんな小心者の著者をよそに、対談相手の内田さんはいきなりの「イケオジ」っぷりを炸裂させます。

お話を聞く限り、永井さんは物事を原理的に捉えて、問題解決の糸口を見いだそうとしているように感じます。若い人だから、そうなって当然だと思いますけれども、年を取るとわかるのは、世の中のむずかしい問題は原理的には解決できないものが多いということです。

原理から導き出される結論は極端なものになりがちです。地球上の70億人全員を平等に支援することはできません。かといって、「自分が理解、共感できる人しか助けない」というのもまた不人情ですよね。現実には、この両極の間のどこかに実践可能な解がある。理解や共感の個人的な限界を超えて、どこまで支援の手を伸ばすことができるかというのは、「すべての人を救うべきだ」と「共感できる人だけ救うべきだ」の中間の「程度」の問題なんです。

この大人の余裕、、まさに「イケオジ」ですね!!
これは3次元の世界でも感じる「イケオジ」感だと思います。
ただこの余裕って5次元的に視ると「この人、オーラがグラウンディングされているぅぅ!」という表現になります。
「オーラがグラウンディング??」と「?」がいっぱい浮かんでいる読者のために少し解説しますね。

オーラのグラウンディングとは?

エナジーワークをするサイキックたちは、エナジーワーク瞑想を行う際に様々なスピリチュアル・ツール(物質的なツールではなくエネルギーで作るツール)を使います。
その中でも最も基本的かつ重要なツールが「グラウンディングコード」です。
グラウンディングコードは、尾てい骨付近にある第1チャクラから伸ばして地球のコアと結びつけるエネルギーのコードです。サイキックたちはこのコードで自分のオーラと地球のコアをしっかり結んでエネルギーを常に循環させています。このグラウンディングコードがあることで、オーラが安定するのと同時に3次元の肉体もどっしり安定感が増す雰囲気になります(”腹が据わる”感じですね)。
ちなみに、サイキックたちは基本的に24時間365日グラウンディングコードをぶら下げながら生活しています(ないと不安でしょうがない!笑)。イメージ的にはエヴァのアンビリカルケーブルみたいな感じですね(刺さっている場所も役割も全然違うけどw)

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さて、内田樹さんがグラウンディングコードを知っている(使っている)かは分かりませんが(多分知らない、、w)、内田さんのオーラはがっつりグラウンディングされているように視えます。
なぜでしょうか??

武道の達人や僧侶の多くはグラウンディングされている

それは、内田さんが合気道7段という武道の達人であることが関係しそうです。武道の中でも合気道はもっともエナジーワーク的だと勝手に思っていまして(←やったことないw)、おそらく達人のレベルになると、身体の使い方とともにエネルギーの原理についても深く理解されているのではないかと思います。そしてこれは合気道に限らず武道全般にいえるような気がします。
さらに、内田さんは瞑想のほか呼吸法やヨーガにも精通されているようなので、「グラウンディング」という言葉は使わないまでも同様のことを実践されていると推測します。
内田さんと同じように「この人のオーラ、グラウンディングされてるなー」と感じる人として、普段から瞑想をしている僧侶やヨガの熟練者などがいるのも上記と同じ理由からだと思います。

スピ的「イケオジ」は「あわい」に安らぐ

さて、スピ的「イケオジ」はオーラがグラウンディングされていることが必要だと解説してきましたが、実はそれだけでは不十分だと思っています。
スピ的「イケオジ」は、オーラをグラウンディングしながら「『あわい』に安らぐ」ことができるレベルが求められると考えます(←別に誰も求めてないけどw)。
またまた「????」となっている読者のために解説します(笑)。

まず「あわい(間)」とは、物と物の間(あいだ)の意味です。上記の内田さんの記事でいうと「原理から導き出される極同士のあいだのどこか」のことですね。
人はともすると「右か左か」や「『〜主義』というイデオロギーや思想」「宗教」など、自分の寄って立つ考えや場所(物理的なもの以外も含む)を作りたがります。そうしないと不安ですからね。
その究極が以前のブログで紹介した「人は自分を含む存在がなぜ存在するのか?(存在してよいのか?)という根拠」であり、それが唯一絶対の創造神が多くの宗教に存在する理由だという説明をしたと思います。

しかし、同じブログで「無記(むき)」という仏教の考え方を紹介したように、そもそも人が自分の存在の「根拠」を求めること自体が人を悩ませ、苦しめる原因にもなっているわけです。そしてこれは、上記のイデオロギーや思想、宗教でも同様ではないかと思っています。
そこで、仏教では存在の「根拠」を求めることを止め(無記)、さらに「存在根拠のあるもの(自己を含む)なんてこの世にはないんだよ。そんなの全部錯覚さ。」と説きます。そして実体が存在するかどうか判断せず(肯定も否定もしない)に”ある”状態を「無常」といい、ブッタはその「無常」な存在を”そのまま(ありのまま)”を引き受けるように説いたと言われています。それが、「人々を苦しみから救う方法」だとブッタは考えたんですね。

もちろん仏教も「宗教」なので、”仏教だけに”寄って立つこと、執着することはブッタは否定するんじゃないかなぁと思います(ブッタが「宗教」としての仏教をつくったわけではないと思うので)。

スピ的「イケオジ」は、イデオロギーや思想、宗教など特定の考え、立場に囚われず、「あわい(間)」に身を置き続けることができる人です。これはつまり、「無常」な存在を”そのまま(ありのまま)”を引き受けることと同じであり「人々を苦しみから救う方法」を実践できている人といえるでしょう。

す、、すごいぜ、、スピ的「イケオジ」!!(笑)

しかし、自分自身を物事や思想の「あわい(間)」に置き続けることは大変不安定で普通の人には精神的な負担も大きくなります。したがって、そこに身を置き続けるためにはオーラをしっかりとグラウンディングしておくことが極めて重要になってくるわけです。そうしないと、グラグラふらふらして「あわい」に居続けることができません。

「物事の本質を見極める」スピ的「イケオジ」

「あわい(間)」に身を置き続けることは、上記で説明した「人を生きることの苦しみから救う」だけでなく「物事の本質を見極める」上でも大変重要な役割を果たします。
民藝運動を起こした思想家 柳宗悦の「茶道を想う」(一九三五年)に次のような一節があります。

大方の人は何かを通して眺めてしまう。いつも眼と物との間に一物を入れる。ある者は思想を入れ、ある者は嗜好を交え、ある者は習慣で眺める。(「茶道を想う」『柳宗悦茶道論集』)

柳は、本質を見過ごしてしまう理由の1つに「思想」、すなわち特定のイデオロギーを通じて見ることをあげています。
つまり、特定のイデオロギーや思想に囚われずに「あわい(間)」に身を置くことが「物事の本質を見極める」ことにつながるわけです。

ちなみに柳が本質を見過ごしてしまう理由としてあげている残りの2つ「嗜好(好き嫌い)」「習慣(惰性)」も典型的な人の思考や行動を縛るエネルギーのパターンでして、オーラをグラウンディングしてエナジーワークをしている(意識的、無意識的にせよ)スピ的「イケオジ」は当然こういったエネルギーの縛りからも自らを解き放っていると考えられます。

以上のことからスピ的「イケオジ」は極めて不安定な「あわい(間)」に身を置き続けることが可能(オーラがグラウンディングされている)で、そうすることで「生きることの苦しみから自らを解放」しているだけでなく「物事の本質を見極める」力をもっている人ということになります。
スピ的「イケオジ」は、「あわい(間)」に身を置き続けることで、自らを生きることの苦しみや本質を見ることを妨げる思想などから解放し、その場で「安らぐ(自らを癒す)」ことができるくらいの余裕(オーラの安定感)がある極めて魂のレベルの高い人だといえるでしょう。(3次元の「イケオジ」よりずっとハードル高いかも!?笑)

著者も3次元での「イケオジ」の夢は早々に砕かれましたが、スピ的「イケオジ」を目指して日々精進していきたいと思います。(おしまい)

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その他、このプロジェクト立ち上げ経緯などは以下の記事もご覧ください。

*記事に記載した内容はあくまで個人の見解であり、記事に記載した団体等の公式見解ではありません

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