「ちがい」を堂々と、歓迎できる母に
いつもお世話になっている皆さま、はじめましての皆さま、
こんにちは。11月よりヘラルボニーに入社しました、小野 静香と申します。
マーケティング・コミュニケーション部門にて、広報PRやEC戦略、SNSマーケティングなど、日本中、いずれは世界中に、ヘラルボニーの”異彩”を届けるため、コミュニケーションに関わる様々な仕事をしています。
入社前から、どんな人たちが働いているのだろうと読み漁っていた「ヘラルボニーマガジン」ですが、いざ自分のこととなると、このnoteを書くことが憂鬱でたまりませんでした。
忙しさを言い訳に、締め切りを何度も伸ばしてもらってきました。
(本当にごめんなさい)
勇気を出して気持ちを綴ってみようと思うので、少しでも、私がここで働く想いを知っていただけたら嬉しく思います。
どうぞお付き合いいただけますと幸いです。
ちいさな、ひとり娘
私には、児童発達支援、いわゆる”療育”に通う小さな2歳の娘がいます。
娘には先天性の疾患があります。
治療法はなく、生涯付き合っていかないといけない珍しい疾患です。
それが要因で、同じ月齢の子と比べると、
体格がひと回りも二回りも小さく、成長もゆっくり。
娘にはいまは「障害」の診断はありませんが、医師による意見書には、『精神運動発達遅滞=境界』という記載があります。
「精神遅滞」は「知的障害」と同義です。
これから発達検査を受けるなかで、いつか診断される日が来るかもしれません。
娘のことを知ってから数ヶ月は、日常生活もまともに送れないほど落胆していました。同じ時期にママになった友だちと比べて「なんでうちだけ・・・」と悲しくなったり、通っていたベビースイミングでは遠回しに月齢相当のクラスへの入会を拒まれ憤りを感じたり。
真っ暗で、人生でもっとも辛く苦しい日々を過ごす中で様々な感情を知り、そして、福祉の制度や障害のある人たちの感じる困難を知りました。
いつも自慢してくれた両親
幼少期の頃の話を少し。
わたしは、茨城県の田舎で梨農家の長女として生まれました。
毎晩、家族が食卓に揃ってワイワイガヤガヤと話の尽きない家庭で、一つ年下の妹と共によく甘やかされ、そして、たくさん褒められて育ちました。
両親はいつも、この前こんなことを学校で覚えてきた、と些細なことでも「たいしたもんだ。」と私たち姉妹のことを自慢してくれるのでした。
子どもながらに、両親がいつも他所でも堂々と自慢げに振る舞ってくれることを嬉しく感じていました。
ありがたいことに、そんな両親のおかげで、”自分のことが好き”と思えるようにのびのびと育ちました。
娘を自慢できなかった私
そんな家族や、信頼できる素敵な友人に恵まれて、10代、20代は自分のやりたいことに真っ直ぐに生きてきました。
30代を迎えると同時に、わたしは先述のちいさな女の子の母になるのですが、娘が周りとは「ちがう」ことがわかり、少しずつ、想像していたはずの子育てとは違う道を進んでいくなかで、
そもそも娘のことをどう説明しよう。とか、
かわいそうだと思われるのか怖い。とか、
周りにどう思われるかに怯えるようになりました。
2歳半を過ぎて、ようやく娘が自分ひとりの力で歩けるようになった日、
「歩けるようになったよ!」
と、すぐにでも自慢したかったのに、私は娘が歩けるようになったことを自慢するどころか、他人に話すことができませんでした。
「もう2歳半なのに、いままで歩けなかったの?」
そんな反応をされることを想像してしまい、娘の発達になにかあるんじゃないかと知られることが怖かったのです。
娘の成長を記録していたinstagramのアカウントも、どんどん周りと比べるのが辛くなり、公開するのを辞めました。
自分自身は、両親に褒められ自慢されて育ってきたのに、
自分の娘のことを、隠そうとしたことが情けなくて胸が痛くなりました。
障害は、欠落ではない
ヘラルボニーの存在は、真っ暗で辛い時期を過ごしていた頃、ふとSNSで知りました。
成田空港をや彩るアート作品、ラグジュアリーブランドと堂々と並ぶ日本橋三越でのポップアップ。
と思えば、国会議事堂の前で「障害者」という言葉の書かれた紙をシュレッダーにかける大胆な意見広告を披露したり。
彼らの手掛けるコラボレーションのインパクトの大きさと、社会に新たな文化を根付かせようとするさまざまなアクションに魅了されました。
“支援ではなく、作家と対等なパートナーとしてビジネスを展開する。”
支援が必要な側になった私は初めて、誰かからの「支援」をありがたく享受しなくては生きていけないんだというという偏ったイメージから解放されました。
ヘラルボニーを知ってから半年ほどたったある日、採用セミナーをするという告知を目にし、どうしても気になって娘を寝かしつけながらairpodsを耳につけこっそり視聴するのでした。
2027年にIPOを目指していること。
単なるアートのライセンス事業を手がけるだけの会社ではないこと。
これから目指す未来の大きさ、社会を変えようとする両代表や社員の皆さんの覚悟が伝わってきて、聞いているだけで鳥肌が立ちました。
こんな人たちと”働く”ことができたら、
悲観しかできなかった人生が
もっともっと面白くなるんじゃないかという直感でした。
娘のことを隠さずに堂々とふるまえる母親になりたい、
そんな思いもあり、転職という選択を真剣に考えはじめます。
「やりがい」と「キャリア」を両立できる仕事
子どもが産まれてからは、「限られた時間で納得のいく仕事ができているか?」という価値観を持つようになりました。
特に、娘に支援が必要なことがわかってからは、現実的にいつか働けなくなる日がくるかもしれない危機感もあり、より一層、自分のために働くことのできる時間の有り難みを感じていました。
わたしたち家族の生きる未来に繋がる仕事に自分の時間を投資したい。
そんな想いが膨らんだことが、ヘラルボニーへの入社を決めた理由の一つです。
さて、「子どもに障害があるから福祉の仕事をしている」と聞くと、キャリアを諦めて子どものために人生を捧げた母親とでも思われるでしょうか。
わたしがヘラルボニーで働く理由のなかに、自己犠牲や奉仕といった成分は含まれていません。
もう一つの入社の理由は、大好きな「広報」の仕事を突き詰めて事業や経営にインパクトを与えられる存在になりたい。という、私自身のキャリアのためです。
前職で経験した子会社の広報部門の立ち上げをきっかけにスタートアップにおける「広報」のやりがいと奥深さを知り、腰を据えてこの道を極めてみたいと思うようになりました。
憧れの広報の先輩方の背中を追いかけるなかで、いつしか私も広報パーソンとしてもっと大きな挑戦をしたいという気持ちも芽生えていました。
娘がきっかけで出会った「ヘラルボニー」というシリーズAのスタートアップは、やりがいもキャリアも両方そろっている奇跡のような会社でした。
療育に通う幼い子どもをもつ母が飛び込むには、無謀でハードな仕事に潰されてしまわないか不安もありましたが、こんな出会いはもう2度とないのではと、覚悟を決めて飛び込むことを決意しました。
応援して支えてくれた夫、両親、友人たちに心から感謝しています。
障害のある子の母も、自分の人生を生きていい
障害のある子を持つ母親にとって、働くことは当たり前ではありません。
障害のある子を持つ母親の就業率は、そうでない方と比べて20%も低いというデータがあります。フルタイム勤務となるとわずか25%、4人に1人程度の就業率しかないそうです。
障害と一括りにはできず、子どもによって支援の必要な度合いは様々です。
病院への定期的な通院や、療育への付き添い、親がいないとパニックになる子もいれば、医療的ケアが必要で預け先がなかなか見つからないケースだって実際にあることです。
SNSやブログを見ると、住んでいる地域によっては保育園から受け入れ拒否をされたという悲しい声を目にします。
やむを得ず仕事を辞めるケースだけでなく、周りに頼らず自分がサポートしなくては、と働くことを諦める人だって少なくないのではと思います。
私自身もそう思い込んで、母親ではない自分でいられる時間を失うことの辛さを感じました。今も、娘の今後がわからないなか、いつまで働くことができるんだろうかという怖さがあります。
障害のある子の母親も自分のために人生を生きていいんだと思えるような社会になってほしい。だからこそ私自身、働くことのできる間は、精一杯チャレンジする姿勢を大切にしようと決めました。
堂々と生きていく自分でいるために
ヘラルボニーに入社して3ヶ月ほど経ち、自分とは違う価値観を持った多様な仲間たちとの出会いを通じて少しずつ自分が変化している気がしています。
知的障害に怯え、絶望していたわたしが、
知的障害のある人たちの魅力を人にプレゼンしているなんて!
”社会や、会社や、自分自身の変化を歓迎しよう。”
ヘラルボニーの掲げるValueにはこんな言葉があります。
変化を歓迎することで、物事が少しずつ、面白くなってきて、良い方向に動きはじめました。
堂々と娘を自慢できる母親でいるために、これからも、ヘラルボニーとともに自分の変化を歓迎していきたいです。
ヘラルボニー マーケティング&コミュニケーション部門
シニアマネージャー 小野静香
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