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秋の思い出

私と恋人が付き合い始めたのは、昨年の秋のことである。
夏にマッチングアプリで出会い、色々あって恋人同士になったのは9月30日のことだった。映画が好き、猫を飼っている、動物園が好き、共通項は沢山あるのに、内気同士のためか付き合ってからもしばらくはお互い敬語のまま話していた。

付き合って2度目のデートは、双眼鏡を持って上野動物園に行った。異常に暴れ回るアビシニアコロブスたちの檻の前で、「あれすごいですね…」とだけ言い合い、30分くらいただただ立ち尽くしていても全く退屈さを感じなかった。むしろその瞬間、世界は自分たちのためだけにあるような気すらしていた。

動物園を出て夕食を食べ、カフェで話しこんでもまだ足りない。解散するのは名残惜しく、かといって付き合って早々にセックスするのも情緒がないようで気が引けた。

「少し散歩しませんか?名残惜しいです。……ほら、今歩くのにちょうどいい気候ですし」
まだ一緒にいたいって言っても引かれないかな?ヤリたがってるように思われたら違うんだよな……と逡巡したせいで、言い訳のように気候に言及したのを覚えている。

上野から相手の自宅の方面まで歩こう、遅くまでやってる居酒屋なりネカフェなりがある北千住まではとりあえず行こう、ということになった。
歩いても歩いても話は尽きない。だってデートに双眼鏡を持っていって、ただ動物を見てるだけでも引かない人だもの、フィーリングはばちばちに合っている。きっとこの夜は一生忘れない。

形骸化されている「エモ」に浸りながら、とりあえずの目的地である北千住に到達した。深夜1時過ぎ。営業しているお店は沢山あった。

その中に、外壁中が美術展のフライヤーで覆われている異質な店があった。明らかにヤバい匂いしかしないが、その異質さになにか惹き付けられる。眺めていたところ、店じまいをしようとしていた店主が出てきた。まるで『のだめカンタービレ』で竹中直人が演じたミルヒーのような風貌だった。

竹中直人演じるミルヒー

ミルヒーは私が持っていたムーミンのトートバッグを見るなり、「お姉さん、いいカバンだね!うちにムーミンのセル画があるんだけどちょっと見てく?」と声をかけた。

では少しだけ、と中に入ったところ後悔した。
カウンターとパイプ椅子の他には、乱雑にモノが積み上がっている。埃だらけだった。

「エッー、わたくしはですね、昭和のアニメーターたちと繋がりがありましてね、これだけのセル画をですね、集めることができたんです。まあわたくしの専門はバウハウスなんですがね、ああ、ドリンクは水割りをお出ししますね、お姉さんとお兄さんの専門はなんですか?エッ、お姉さんアート関係ないんですね、お兄さん映画やってらっしゃるの!ではお兄さんみたいな人はこれ読まないと。ガロ。」

こちらが口を挟むタイミングなく話すミルヒー。水割りは出されたがコップは曇っている。お菓子はビニール袋に入ったラスクで皿もない。彼氏はガロのひたすらエッチな漫画を無理やり読まされている。

オール中のため頭が働かず、ミルヒーは美大でバウハウスを研究している教授なんだな、じゃあ話はちゃんと聞いた方がいいのかも…と思ったがそんなわけはない。美大の教授が貴重な資料を乱雑に扱うはずがない。ただの胡散臭いコレクターだった。

ミルヒーはお酒を飲みながら次から次へと図録や本などの資料を渡してくる。結局解放されたのは2時間後だった。

「エッー、お会計は7500円になります」

????
激薄水割り1杯ずつとラスクだけで??7500円????!!!???

どうやらミルヒーが手酌してたお酒も含まれているらしい。断りもなかったし、キャスドリなんて頼んでない。信じられないと思ったが、もう解放されたい一心で言い値を支払った。
北千住怖すぎる。

「……ねえ、今のなんだったんだろうね」
「……妖怪じゃない?」

ミルヒーを境に、私たちはタメ口で会話ができるようになった。
一生忘れない、秋の思い出である。

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