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読書の記録など。

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最近の記事

「絵と言葉の一研究」(寄藤文平)を読む

デザイナーとしての仕事を通して出てきた違和感や疑問に、深い思考によって向き合う本だ。冒頭は、「もともとは、デザイナーをやめようかと考えて、この本を作り始めた」とある。 力の抜けたイラストや例え話が多く登場するので親しみやすくなっているが、問題に対して頭を使ってとことん考え抜いて答えを出している点、かなりストイックな本だと思った。自分が納得するまで考え抜く姿勢に勇気付けられた。 著者は自分のやっている仕事を、絵と言葉が作り出す距離に注目して捉え直している。「絵と言葉が作り出

    • 20240316 装丁

      先週行けなかった、水戸部功と名久井直子の装丁の展示に行った。じっくり時間を掛けて見た。 水戸部功装丁のスタニスワフ・レム全集がよかった。半透明のカバーに隠された鮮やかな表紙の写真は水戸部功本人が撮ったものらしい。インクを水にに溶かした写真と、石の表面の写真という身近なものだが、遠い異世界の雰囲気を感じさせるから不思議だ。 同じく水戸部功による装丁の「生ける物質」(米田翼)も印象に残った。黒のカバーを外すと赤が目を引く。副題は「アンリ・ベルクソンと生命固体化の思想」とあり、

      • 20240311 君たち

        宮﨑駿の「君たちはどう生きるか」がアカデミー賞を取った。あの作品は何がよかったのだろう。映画館で見た直後は戸惑った。期待していたものとは明らかに違ったからだ。かといって、つまらないとも思わなかった。何だこれは、という戸惑いだった。象徴的なイメージが散りばめられた夢の中のような風景。ジブリ作品のイメージに反して過剰とも思えるグロテスクさ、不気味さ。すっきりと解釈できないストーリー。消化不良の感覚と、残念な気持ちもあった。これまでのジブリ作品からの引用表現に溢れていたが、それらは

        • 20240310 竹尾

          竹尾見本帖本店で開催中の水戸部功と名久井直子の展示に行ったが、土日祝日が休みだったことを知らず、やっていなかった。疲れ果てた気持ちで、神保町の東京堂書店内にあるカフェを目指したものの、入れない。看板が立っていてこのカフェはなくなるらしいことを知る。時々利用していたので残念だ。すぐ近くのサンマルクカフェに入り読書をするうちに元気になったのでもう一つの目的地であった網代幸介の絵の展示へ向かう。移動の電車で「東京「進化」論」を読み、赤坂が広尾や麻布や六本木以上に安い貸家が少なくて貧

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        マガジン

        • 読書
          15本
        • 日々
          3本
        • 制作
          0本
        • 思考
          8本

        記事

          「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(東畑開人) を読む

          東畑開人の本は「居るのはつらいよ」と「心はどこへ消えた?」の二冊を読んでいた。 この本はそれら二作とは趣が異なり、物語形式で書かれている。読者が著者と共に「夜の航海」を進めるというストーリー。それは悩みと向き合って自分なりの生き方を見出していくための航海だ。さらに、臨床心理士としてのクライエントとのやり取りの様子が詳しく書かれていて、その具体的なエピソードと航海のストーリーが関わり合いながら話が進んでいく。 専門用語や難しい言葉は使われず、喩えが多用されている。著者は現代の

          「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(東畑開人) を読む

          「第四間氷期」(安部公房)を読む

          この本を読み、考えたことは次の四つだ。 ・AI(人工知能)との関連性 ・水棲哺乳類の魅力 ・現在と断絶した未来 ・自分は未来に対して保守主義者だろうか AI(人工知能)との関連性 内容については何も知らずにこの物語を読み始めたのだが、登場する予言機械は、まさに今でいうAIのことを描いているように思えて驚いた。書かれたのは一九五九年だそうだ。冒頭、こんな言葉が登場する。「電子計算機とは、考える機械のことである。機械は考えることはできるが、しかし問題をつくりだすことはできな

          「第四間氷期」(安部公房)を読む

          「デミアン」(ヘッセ) を読む

          読んだのは恐らく四回目。 一回目は高校生の時、二回目は大学生の頃だったと思う。三回目は記録が残っていて二年前だった。今の仕事に転職してから半年後くらいか。 「デミアン」の物語の前半部は、シンクレールがデミアンと出会い、暖かな家族に囲まれた明るい世界から善と悪の混在するもう一つの世界へと導かれる話だ。 子供から大人になる過程の、イニシエーションの経験を描いているように思える。 デミアンはシンクレールに、君は自分と同じ「カインのしるしを持つ者」であり、他の多くの人とは異なる特別

          「デミアン」(ヘッセ) を読む

          歴史を学ぶ楽しさと寂しさ

          この頃、歴史、特に日本史に関する本をよく読んでいる。 小中高と歴史は苦手な科目で、人生の中でここまで歴史に興味を持つことがなかったので自分のことながら少々驚いている。 昔ある人が、ある程度の年齢(確か三十歳くらいといっていた)になると誰でも歴史に興味を持つ、と話していた。 歴史は、経験を通して人間や社会への理解がそれなりに蓄積されてこそ、その面白さがわかるというのはその通りだと思う。 僕の場合、十代から二十代前半は特に、人間や社会への興味というよりも、それ以前の「世界の在

          歴史を学ぶ楽しさと寂しさ

          「木野」(村上春樹)の読書メモ

          「女のいない男たち」という短編集に「木野」という印象深い小説がある。 タイトルになっている「木野」とは、主人公の名前であり彼が仕事を辞めて開いたバーの店名でもある。 村上春樹を読んでいると、スピリチュアルな要素を感じることが多いが「木野」はそれが特に色濃い。 ここでは出来事の象徴的な意味が問題になる。 誰かが死ぬわけでもなく、具体的な災難が起きるわけでもない。それが予感されるに過ぎない。 しかしその予感、象徴性が物語を決定的に動かす。 現実世界と象徴世界が一体となる。そこが

          「木野」(村上春樹)の読書メモ

          最近読んだ本 2021年12月

          ・ドストエフスキー「罪と罰(上)」 登場人物がまるで目の前にいるかのように生き生きとしている。作者によって作られた感じがせず、そのリアリティの強さに驚く。ラスコーリニコフの部屋が「棺のような部屋」と何度か表現されているのが印象的だった。彼を狂気へと駆り立てたのはこの部屋だったのだと思う。青年はなぜ宿命のように、反社会性を持つのだろう、とそんなことを思った。 「わかりますとも、わかりますとも……そりゃもちろんです……何だってあなたはそんなに僕の部屋を、じろじろごらんになさる

          最近読んだ本 2021年12月

          常識と哲学

          木村敏「異常の構造」を読んでいる。精神分裂病者から見える世界について考察しながら、異常とは何かを明らかにしてゆく本だ。 前半部で常識とは何かということについて詳しく検討されている。「常識とは知識ではなく感覚の一種であり、それもいわば実践的な勘のようなもの」だという。アリストテレスのいう「共通感覚」とも深いつながりがあると。最近読んだ中村雄二郎「共通感覚論」にも常識と共通感覚について書かれていたが、「異常の構造」の説明の方がわかりやすかった。 常識というのは認識的な知識という

          常識と哲学

          最近読んだ本 2021年5月

          ・「ラクガキ・マスター」(寄藤文平) デザイナー・イラストレーターの寄藤文平によるユーモアに溢れたラクガキの指南書だ。 「広葉樹は傘のかたまり」とか「川は溝」「山はシワ」など、言葉で書くと何をいっているのだ、という感じだと思うが、図で示されると説得力が凄まじい。つまりそのようにイメージで置き換えることによって木や川、山といった対象を「それらしく」描くことができるようになるのだ。 実際上手く描けるようになるのかはわからないが、読むだけで絵が上手くなった気がしてしまう! シンプ

          最近読んだ本 2021年5月

          愛と死の物語—「星の王子さま」

          サン=テグジュペリの「星の王子さま」はこれまで三回ほど読んだと思うが、どんな話だったかあまり記憶に残っていない。特別心を動かされた、ということもなかった。 今回読んだのは、定期的に参加している読書会の課題本だったからだ。 そんな消極的な理由で読んだくらいで正直なところ期待はしていなかったのだが、意外にも引き込まれて、気付くとメモを取りながら丁寧に内容を追いかけていた。 こんなに深い内容だったのかと驚いた。 王子さまの成長の物語「星の王子さま」は、愛するとは何か、という

          愛と死の物語—「星の王子さま」

          コロナと自由

          人間に自由意志はあるか、という哲学の議論がある。 僕はこの自由意志というものがよくわからない。 自由意志がある、あるいはないということをはっきりさせたところで、そのことにどのような意味があるのかが疑問である。 自由意志は責任の概念と結び付く。自由意志があることを前提にしないと行為の責任を問うことができない。自由意志が社会の維持に必要とされる理屈はわかる。しかしだからといって、自由意志が本来的に存在することにはならない。あくまで僕たちが自由意志を想定した社会システムの中で

          コロナと自由

          実存の地平—サルトル「嘔吐」

          「嘔吐」は正直なところ、危険な本だと思った。 実存という世界の実相について語っているが、それは極度に非人間的な光景であり、その思想は、人間的な生からの逸脱に向かっている。 この本はそれ自体、人間的に生きようとしている人々に吐き気をもたらすものだ。 一方、人間であること、人間として世界を見、その中で振る舞うことに胡散臭さを感じている一部の者が、ここに安心あるいは救いを見るのだろう。 実存という事物の在りようについて様々に言葉を尽くして語られるが、それが十全に表現されるこ

          実存の地平—サルトル「嘔吐」

          価値のないもの

          価値。これについて考え始めると、とたんに粘着性のものが混ざって思考の流れを妨げる。しかしこの厄介な概念について何かしら納得のいく言葉を持つことができれば、見通しがずっとよくなるに違いない。価値は、我々の精神と行動をぎこちないものにさせている。 忘れがちな事実。それは、ものは本来価値を持たないということ。 価値はものに対して人間が与えるのだ。ものの存在が先にあり、そこに価値が与えられる。この順番が、現代では転倒しているように思える。 都市やネット、人工空間は、価値のあるも

          価値のないもの