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今はない家のこと 2022年7月10日週次投稿

週の半ばの記述のストレッチ、週次投稿です。
今日は小さい頃に住んでいた家のことを書いてみて、他にも思いつけばということで。



久々に読み返しはじめた本に水害のことが書かれていました。
以前に書いた記事で少し話題にしたのですが、私は幼少を過ごした家で2度ほど水害にあっていて、それは家の事情に何かしらの影響を与えて、ひいてはその影響と体験は自分の内面の形成にも関わっているかもしれない、という思いつきがあります。取り下げても構わないたわいないものです。

そういう自分の中でのフィクションを味わう意味で、気が向いたときに書店で河川や治水やその周辺文化に関わる一般書をパラパラしていましたが、門外漢にもほどがあるせいか、内容にうまく頭をなじませることができない。私は水害を体験しはしましたが、その背後に想定される環境や文化について理解をしていくには時間が要るように感じていました。

そんな状態でしばらく経って、読み返していた小説の中に水害の記述を見つける偶然があって、また前と似たような興味が思い起こされました。もしかすると他の小説の中に出てくる氾濫のある河川のある地域の記述に自分の興味に関わることが見つけられるかもしれないということも思いつきましたが、たまたまくらいが丁度いいかもしれません。

朝の散歩でたしかそういうことを考えているうちに、幼少を過ごして水害にあった家のことを思い出していました。商店街の中にあったその家は周りと同じように店で、奥の方に長いいわゆるうなぎの寝床でした。縦長の長方形の長い辺を3分割して、通りの側が店舗、真ん中が工場(コウバ)、奥に住居という感じだったと思います。

以前に書いた水害のときの以下の文章の階段は、店の構えの左側にある通用口から工場へと続く三和土の通路の途中にある一時は貸していたこともあったらしい部屋に繋がる階段でした。

夜だろうか、いつも使っていない店の上の部屋に通じる階段から下を眺めて、暗く動く水と音のイメージが記憶されている。そこには不安というより若干の高揚の気配もある。同時に母が近くにいない感じも。

その階段を通り過ぎると工場があります。父が作業で誤って指(利き手の人差し指と中指)を落とした場所であり、屋根の修理をしていた祖父が張替え中の穴から転げ落ちて腰を打ち付けた場所です。祖父は屋根の修繕を自分でしようと思ったのか、と書いていてあらためて自分とのギャップを感じます。

工場の店から向かって右隅に地下の物置に繋がる階段の戸があったはずです。地下室はひとつふたつ白熱電球を明かりにした暗いオレンジの空間でした。何に使っていたかわからない机の上に気に入っているおもちゃを置いていたら、いつの間にか失くなっていて幼いながら随分長い間根に持っていたのを覚えています。物置のどこかにはご先祖さまといっていいくらい前の世代がやっていたらしい豆腐屋のがあるということも聞いたことがある気がしますが、どこまで気がするの話なのか判然としません。

その地下室にも勝手口がありました。店の裏は表側より階段分低くなっていたわけですが、地下室と言って差し支えないと思います。地下室から裏庭に出ると、柿の木やいくつかの灌木が植えられていました。その裏庭に面した細い通り越しに家を1軒隔てて、増水したであろう、市中で一番大きな川にぶつかります。祖父が小さい私を片手で抱えて、トンビに食パンの耳を投げ食わせるのを見せていた川のへりです。



最近家で飲んだ酒。

樽平はいつもおいしい。丹沢山は飲みはじめの丹沢臭(ここんちの酒は皆んなこの匂いがする。他のところではあまり感じたことがない)が強かったので、奥さんが不愉快に思わないか(そんなことは一度もないわけですが)気になりましたが、少なくなるうちに余り匂いを感じなくなりました。珍しく本格派?を飲んでますね。いいんじゃないでしょうか。

あと、土砂降りの中で水浴びをするツバメを下の子と眺めました。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。