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日記やエッセイ、散歩の記録。 間違っていると後から気づいても、なるべくは記事を消さない…

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日記やエッセイ、散歩の記録。 間違っていると後から気づいても、なるべくは記事を消さない。恥をさらすだろうという抵抗感も込みで書いていきます。

記事一覧

近所のイオンで家族がセール品を見ている間に、下の子と雛人形の顔の違いを眺める。
雛人形はこんなに皆んな笑顔で口が開いていたか、と記憶をたぐっていると、ふとBGMから聴こえてくるフレーズに反応して子どもが"すまし顔って何?"と問いかけてくる。指さす顔がない。

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4か月前
6

年中に会社の中ではじめた読書会の記事を書きたい。どんな風に書くかを考えるのは楽しいが書くのは(いつも)大変。

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5か月前
9

ずいぶん長い時間ものごとを一般化する考えや志向に取り憑かれてきたと思う。たぶん臆病さから、という振り返りがそういった時間の断片の意味や価値を少し変えることになった。たぶん臆病さから。

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6か月前
10

祖母の命日、伯母にウチの家の写真にも花をあげておくとLINEしたら、早いね、あれから4年経った、と返信がある。ずいぶん前のことに感じられて、早いという言葉の意味が頭の中でもつれた。

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6か月前
10

アカウントの機能がWEBインターフェースに埋め込まれた当時のことはもう余り思い出せなくなっているし、当時はそんなに印象的な出来事だとは感じていなかったけど一大事だったんだなと思う。と、オンライン上でアカウントを強固に前提とした行為の中に埋め込まれながらつぶやくことになった、、

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7か月前
12

プレパラートと地図

通勤の電車から見える河川敷に瀬替えでもするのかというくらい大量の土砂が運ばれていて、内容がわからない作業が進捗するにつれて部分的に川幅が狭くなり流れが速くなって…

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8か月前
19

2000年代のいつぐらいの時期かが曖昧だけど自己紹介の欄に人間観察と書いてあるのをよく見かけた。いまそう書いてあったら、それはイキりとして捉えられるかもしれない。「何でお前が一方的に観察する側なんだ」という感じで。

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8か月前
10

親は子どもの泣きを発達のどこかのタイミングで要求のコンテクストでは受け取らなくなる。あまつさえそれを嘘泣きであるとさえして要求のコンテクストを言語的な運用にズラす事自体を求めるようになる。

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9か月前
12

道徳の地質学を読む1

ドゥルーズ『千のプラトー』のプラトー(≒章)のひとつ「道徳の地質学」の読書メモを少しずつしてみようと思う。 この章は単にパラパラ読んでいるだけだとうまく理解がすす…

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9か月前
18
+2

散歩の記録

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9か月前
14

身体性の砦と拠点

ここ最近、身体性という言葉をネットで見かけることが多くなったと感じる。自分としてはこの言葉をある程度ポジティブに受け取るような文脈を受容してきた意識があったから…

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9か月前
16

友だちの家にいた犬の名前はリキとキミのローテーションだった。自分が18まで実家にいたそれまでに友だちの家の犬がそんな入れ替わったとは今では信じがたい。
「今度はなんて名前なの?」
「いまはキミ」
今度は、というのは小さかったのか。母子だったか。母はリキか?いや。それに父は?

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9か月前
12

何年か前、ふと気づいたら知らない小さい子が俺の影を日陰として使っていたということがあった。先方こっちが気がついたのに気づいてもうごく様子はなかった。じっ、としていた。

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10か月前
11

外国で、日本にあるみたいな密集したいわゆる飲み屋街がある国ってあるのかな。(おそらくあるだろう)
ハシゴだったり、店の人に酒を飲んでもらったりというような飲み屋街のそこここで見られる定型的な所作やその解釈を規定するような関係のパターンのことが少し気になる。

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10か月前
8

梅原大吾が「2人で飲んでいると何故か真面目な話をすることになる」と言っていて確かにそうだと思う。関係というのは真面目で分裂生成的であることが多い。
だからこそ、そうでないときの条件が問われる。いかにふざけられるか。真顔が笑えるか。

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10か月前
11

怖がり屋さんはいつまで

上の子が中学生になって寝室に行く時間が日によっては私より遅くなって、下の子は寝支度の最後の工程の歯磨きを終えるなり下に行って寝てねと言われるのが習慣になった。こ…

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10か月前
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近所のイオンで家族がセール品を見ている間に、下の子と雛人形の顔の違いを眺める。
雛人形はこんなに皆んな笑顔で口が開いていたか、と記憶をたぐっていると、ふとBGMから聴こえてくるフレーズに反応して子どもが"すまし顔って何?"と問いかけてくる。指さす顔がない。

年中に会社の中ではじめた読書会の記事を書きたい。どんな風に書くかを考えるのは楽しいが書くのは(いつも)大変。

ずいぶん長い時間ものごとを一般化する考えや志向に取り憑かれてきたと思う。たぶん臆病さから、という振り返りがそういった時間の断片の意味や価値を少し変えることになった。たぶん臆病さから。

祖母の命日、伯母にウチの家の写真にも花をあげておくとLINEしたら、早いね、あれから4年経った、と返信がある。ずいぶん前のことに感じられて、早いという言葉の意味が頭の中でもつれた。

アカウントの機能がWEBインターフェースに埋め込まれた当時のことはもう余り思い出せなくなっているし、当時はそんなに印象的な出来事だとは感じていなかったけど一大事だったんだなと思う。と、オンライン上でアカウントを強固に前提とした行為の中に埋め込まれながらつぶやくことになった、、

プレパラートと地図

プレパラートと地図

通勤の電車から見える河川敷に瀬替えでもするのかというくらい大量の土砂が運ばれていて、内容がわからない作業が進捗するにつれて部分的に川幅が狭くなり流れが速くなっている。
昔部活で川に生息(?)する珪藻の分布を調べていたときに流れの速さによってそれに変化があるかというパラメータがあったのを思い出した。

それは結構地道な作業で、年がら年中顧問の先生のセダンに乗って川から標本の元を採集にいっていたはずな

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2000年代のいつぐらいの時期かが曖昧だけど自己紹介の欄に人間観察と書いてあるのをよく見かけた。いまそう書いてあったら、それはイキりとして捉えられるかもしれない。「何でお前が一方的に観察する側なんだ」という感じで。

親は子どもの泣きを発達のどこかのタイミングで要求のコンテクストでは受け取らなくなる。あまつさえそれを嘘泣きであるとさえして要求のコンテクストを言語的な運用にズラす事自体を求めるようになる。

道徳の地質学を読む1

道徳の地質学を読む1

ドゥルーズ『千のプラトー』のプラトー(≒章)のひとつ「道徳の地質学」の読書メモを少しずつしてみようと思う。
この章は単にパラパラ読んでいるだけだとうまく理解がすすみそうになかったし、誰かに読んでもらう構えで書いて―書いてあることを自分なりに読み替えたり展開して―何かしら取っ付きを設定してみたかった。

とは言うものの、誰かに何かを伝えようとするときの自分のフォーマットは、この文章はこれこれこういう

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身体性の砦と拠点

身体性の砦と拠点

ここ最近、身体性という言葉をネットで見かけることが多くなったと感じる。自分としてはこの言葉をある程度ポジティブに受け取るような文脈を受容してきた意識があったから、自分がいまその言葉の用いられ方を目にするときに嫌悪感とはいかないまでも抵抗感のようなものを感じていること自体に引っかかりがある。

ITの印象的な展開について書き手が身体性を持ち出したりするのを目にすると、イメージはわからなくもないけど実

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友だちの家にいた犬の名前はリキとキミのローテーションだった。自分が18まで実家にいたそれまでに友だちの家の犬がそんな入れ替わったとは今では信じがたい。
「今度はなんて名前なの?」
「いまはキミ」
今度は、というのは小さかったのか。母子だったか。母はリキか?いや。それに父は?

何年か前、ふと気づいたら知らない小さい子が俺の影を日陰として使っていたということがあった。先方こっちが気がついたのに気づいてもうごく様子はなかった。じっ、としていた。

外国で、日本にあるみたいな密集したいわゆる飲み屋街がある国ってあるのかな。(おそらくあるだろう)
ハシゴだったり、店の人に酒を飲んでもらったりというような飲み屋街のそこここで見られる定型的な所作やその解釈を規定するような関係のパターンのことが少し気になる。

梅原大吾が「2人で飲んでいると何故か真面目な話をすることになる」と言っていて確かにそうだと思う。関係というのは真面目で分裂生成的であることが多い。
だからこそ、そうでないときの条件が問われる。いかにふざけられるか。真顔が笑えるか。

怖がり屋さんはいつまで

怖がり屋さんはいつまで

上の子が中学生になって寝室に行く時間が日によっては私より遅くなって、下の子は寝支度の最後の工程の歯磨きを終えるなり下に行って寝てねと言われるのが習慣になった。これまでも寝室に一人で行くことのあった下の子は、寝室に降りてしばらくしてまた階段をあがる音が聴こえてくると、リビングの奥さんと私はまたあがってきたね、と声をかけあう。下の子はその都度、水を飲みに来たんだ、喉がかわいちゃって、とか、一緒に寝る人

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