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どんでんとか知るわけないシャマラン(映画『スプリット』)

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 「あの『シックス・センス』の!」
 を枕詞にして、
 「どんでん返しの名手!」
 みたいに我が国に認識させてしまったのは、

 残念な事だったと私は思う。

(文字数:約2400文字)


   『SPRIT』 2017年 アメリカ
   監督 M・ナイト・シャマラン
   ジェームズ・マカヴォイ
   アニャ・テイラー=ジョイ


「どんでん返し」に思えた理由

  かく言う私も、

   『シックス・センス』 1999年
   ブルース・ウィルス
   ハーレイ・ジョエル・オスメント

  には度肝を抜かれて、

  「すげぇ!」
  とその場のその一作で、
  のめり込んでしまったクチだが、

  改めて思い返すとあの作品は、
  「どんでん返し」じゃあなかったんだ。

  ってかインド系アメリカ人のシャマランさんが、
  「どんでん」自体を知るわけがないんだ。

  映画的に都合の良い展開なんか、
  気にせずに作品を作っているだけなんだ。


人格が3つある私が観る

  正直2017年辺りの、
  この映画を知った時点の私は、
  どうも観る気がしなかった。

  だって私も人格3つあるんだもん。

  ざっくりあらすじを言っちゃうと、
  誘拐・監禁された女子高生3人に、
  対峙する犯人が多重人格者
  (しかも23人もいる)って話。

  それはお嬢ちゃんたちに異常者が、
  ぐへへへでへへへなエロエロ展開に、
  いかにも落ちぶれそうじゃない。

  しかしそこはシャマラン監督。

  「この謎を見抜けるか!」
  みたいなキャッチコピーもよく添えられる、
  シャマラン監督作品だけども、

  謎は存在しない。

  と言うより初めから盤面に、
  素材として並べられている。

  結果23重人格とは言っても、
  映画に登場するのは8人格、
  その中でも話を展開するのは、
  実質4人格くらい。
  (以降この4人格を特別に、
   「ホード(群れ)」と呼びます。)

  それをガッカリ要素と見るか、
  現実的に考えてそうだよなと見るかで、
  面白く感じる度合いは変わるかもね。


多重人格者の難儀

  解離性人格障害が、
  いわゆる「多重人格」とは、
  正直言い切れないと思うけど、

  と言うのもあくまでも私の場合、
  誰か他人の前に現れるのは、
  ほぼ常に「偏光」だから。

  どれだけ別の人格がいると訴えようが、
  どれだけ人格の数に特徴を増やそうが、
  他人の目には本体のただ一人が、
  生身の肉体として存在しているだけなので、

  基本信じてはもらわれづらい。

  序盤からホードが、
  女子高生たち3人に向けて語る、
  「ビーストがやってくる」
  「君たちは聖なる食糧として捧げられる」
  といった言葉が、

  嘘でもごまかしでも何でもなく、
  ホードにとっては、
  唯一と言ってもいい希望になる事も、

  わりかし理解できてしまう。
  だって「ビーストが現れてくれたなら、
  僕らはもう馬鹿にされない」んだもの。

  私はせいぜい3人格だから、
  人前に出るのは偏光一人で済んでるけど、

  23人もいられちゃあなぁ……。

  人格同士で嫌い合うし、
  軽蔑し合うし殺し合うし、
  人前にも8人格くらいは現れちゃって、
  そりゃ他人からは気味悪がられもする。
  (しかし人前に出るのはやっぱり、
   3分の1程度なんだな、
   ってところは純粋に興味深い。)  


苦しみを知る者

  ホードが前々から目をつけていた二人と、
  その日偶然行動を共にしていたため、
  一緒に誘拐されてしまった、

  ケイシーの視点で、
  基本のストーリーは進行する。

  なぜその二人が選ばれたかと言えば、
  (ホードの基準では)、
  「苦しみを知らない者」であり、

  (あくまでもホードの基準では)
  「苦しみを知らない者に、
   生きている価値は無い」から。

  しかしケイシーは
  (少なくとも他の二人よりは)、
  苦しみを知っていた。

  おそらくはホードの一員である、
  ヘドヴィクと同じ九歳頃から。
  何なら今現在も苦しみの最中にいる。

  だからホードにわりかし、
  共感できてしまう。
  理解や同情までは出来なくとも。

  しかしそれは、
  ケイシーだけが知っている事で、
  ケイシーだけにしか影響しない。

  他の二人の救いにはならない。
  その描写は実際結構上手い。


人生とはそういうものだから

  女子高生たちはそれぞれに、
  ヒントを見つけたり、
  勇気を振り絞ったりして、

  脱出を試みるんだけども、
  ことごとく上手くいかない。

  だってこれは映画じゃないから。

  長年ホードを担当していた精神科医が、
  キーワードを残してくれて、
  一般的な映画だったらそれによって、
  クライマックスを迎えるんだけど、

  ちょっと長引かせ切れたくらいで、
  特に状況は変わらない。

  だって「この話」は映画じゃないから。

  恥ずかしながらこのストーリー作りは、
  ワタクシ偏光とも似通っている。

  登場人物たちが違えば、
  また違った展開になるかもしれないけど、

  それこそブルース・ウィルスがいてくれたら、
  映画みたく劇的に解決するかもしれないけど、

  この時この状況下にいる、
  こいつらの場合はこうなんだ。
  これ以外の展開はそう簡単に起こり得ない。

  残念ながらそれが現実だ。
  良くも悪くも。


To Be Continued……

  ところで私がなぜ2024年の今頃、
  この映画を見たかって、
  
  かつて、
  この映画の前段階の映画を観たから、
  そして、
  この映画には続編があるからだよ。

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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