『張山光希は頭が悪い』第5話:声と舞
第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約5900文字)
第5話 声と舞
「小石川?」
訊ねて来た笑みにもう含みを感じた。
「もしかして、お父さんの名前ヒカル?」
「違います」
「あれ」
と細い金属フレームの丸メガネを掛けた、丸顔の三年男子が首を傾げる。イスに座ったまま腕を伸ばして棚から年季の入ったノート、ーー表紙に「活動記録」と書かれたヤツーーを取り出して、
「この御詠歌部の初代部長が、小石川、日の下に光で、晃って言うんだけど、知らない?」
頬の端まで笑みを引き上げてにんまり笑ってくる。
「知らないです」
初代部長だった事は。あと、晃おじさんは家を出た人だから、他所で訊かれたとしても小石川の人間とは答え切れない事になっている。
「張山のお父さんは二代目の部長だろ?」
俺としてはそっちの方が驚いた。
「そうだよー。張山弓月ー」
その頃からの知り合いであの仲かって、俺は目の前で見た二人のキスを思い出して、首筋に鳥肌が立ったけど、色々と気取られるのも嫌だから腕組みして涼しい顔を作っておく。
「二代目部長の息子が連れて来た、小石川って、ホントに何も関係無いの?」
「うん。お父さんの名前だって違うし、ね」
「ああ」
光希も晃おじさんに関しては、調子を合わせてくれる。
「ふうん」
ノートを閉じて席を立ち、棚の元あった位置に置き戻してから、振り向いてきた。
「部長の林です。よろしく」
「よろしく」
同じテーブルに座っていた二人も立ち上がり、
「副部長の真垣です」
と今時きっちり三つ編みの三年女子に、
「阪倉です」
と茶髪にピアスの二年男子が言ってくる。
「すみません。こんなナリっすけど、俺の親父が中古自動車の修理工なもんで、地元じゃ制服みたいなもんなんで」
見た目の割に腰も低くお辞儀してくるから、俺も阪倉さんには深めに返す。
プレハブ二階建ての部室棟で、一階に三室ある真ん中の部屋だ。備品も充実していない、と言うより必要が無いんだろう。戸口の向かいに窓があって、部屋の中央にそっけないテーブル。戸口から見て右手に隙間が結構空いた本棚。窓側の角に斜めにホワイトボードがあって、窓のそばに寄せた机の上には電気ポット。カップの類いは本棚の下の段に、ホコリよけのフタをかぶせて並べてある。
「ご覧の通りうちは弱小部でね、創部の年からほとんど、部室が持てるギリギリ限界の六人を維持」
「でしょうね」
と呟いた俺に返ってくる表情がバラバラだ。阪倉さんは苦笑したけど真垣さんは睨んでくるし、林部長はニヤついてくる。頭数を数えてあれ? と思って、
「今五人、ですけど。もう一人は?」
と訊いてみたら、部長は当たり前みたいに言ってきた。
「そうだろう? だから、君が連れて来て」
「は?」
本棚を背にした一つだけクッション張りのイスに、おもむろにふんぞりかえる感じに座ってくる。
「それが新入部員の初仕事。と言っても六月末まで、余裕はあるけどね」
申し訳ないけどこの部長は、なんかムカつく。と言うより、なんかムカつかれてるのを隠す感じに話して来られるから、かえって伝わってきて移る。
「入部早々部室がなくなっちゃうのは困るだろう?」
足元見られて操られる感じとか、メガネだしうちのおっさん思い出すし。
「光希。俺やっぱ……」
と足の向きを変えようとした時点で、
「ヤダ」
と真横から抱きつかれた。
「どこででもくっつくな!」
「ボクも勧誘手伝うからぁ!」
「張山は手伝うな!」
思いがけない方向から声がして、見ると部長がさっき座った席を立っている。
「お前のせいで私が地道に増やし続けた部員、去年で全員いなくなったんだからな!」
「おかげで半端な粗忽者は減って、ちょうど良かったけどね」
「まぁその一面はありますけど!」
副部長に対してだけ敬語でこの二人、力関係が微妙だな。
「大丈夫ですよー。何なら俺の後輩にも声掛けますからー」
阪倉さんはやわらかそうな物腰だけど、多分こういう人が地域の人間関係では結構怖い。その後輩が気の毒な感じがする。
「いや。そこはとりあえず、やってみてからどうにか」
ノックの音がして、皆が振り向いた。
扉が開いておずおずと、入ってきた女子は、
「ここ、御詠歌部、の部室ですか……?」
俺の顔を見るなり眉を吊り上げた。
「小石川」
さっきのエンデ信者の一人だ。
「あからさまに嫌な顔するなよ」
寸前までのおずおずと可愛らしく見せる魔法が解けた感じに、ずかずか部室に入り込んで来る。
「なんでアンタがここに……」
「アンタ呼ばわりすんなって」
俺に抱きついたまんまの光希を見て、ホームルーム直後の騒ぎも教室中から見られていたものだから、
「はっはーん。彼氏さんに連れられて、ですか」
どの立ち位置からなんだか下に見てくる。
「彼氏じゃねぇ」
「うん。ちがうよー。薫は大好きだけどー」
「何のフォローにもなってねぇんだ光希」
女性だからか真垣さんが応対して部員名簿を差し出していた。
「入部希望者、ですか?」
「はいっ!」
「御詠歌について何か、知ってる事は?」
「無いです!」
満面の笑顔で言い切られて、真垣さんはちょっとカンに障ったみたいだけど。
「どこで興味を?」
「どうせエンデだろ」
と小声で呟いたのに、
「彼を知りもしない奴がその御名を呼ぶな!」
俺を振り向いた時だけ怒りの形相になってくる。笑顔の時との落差が激しい。
「エンデって?」
真垣さんは淡々とした無表情のままだ。「まさか」と信者は冗談だと思って笑っていたけど、
「誰か、知ってる?」
「いや。全然」
「聞いた事くらいは。でも別に興味は」
先輩たち三人から言い切られて顔色をなくしていた。
「ウソでしょ何ここ、外国? 治外法権?」
「ほらな。知らない人だって普通にいるだろって」
俺が呟いた言葉に部長は苦笑している。
「ここが普通かどうかは分からないけど」
気に入らないけどその文言にはある程度頷ける気がした。
「どうします? やめておきますか?」
「いいえ! 入ります! エンデがちょっとでも好きだって言ったものなら何だって!」
信者の思い入れってすげぇな、と溜め息をついた俺から、ようやく離れた光希は身体全体で若干左右に揺れている。部員が入って嬉しいような、押しが強い人で困るような、って迷ってる感じが伝わる伝わる。
名簿はまず林部長が取り上げて目を通した。
「どうも。で、お名前は、ああふりがなも振ってくれて助かる。彼塚さんね」
部室中を見渡して微笑みながら名簿を閉じる。
「これでとりあえず六人は確保」
「まず、言っておきます。御詠歌には全国大会がありますけど、五月です」
入ったばかりで何も知らないカナツカには、ずいぶん遠い情報じゃないのかって気になったけど、こっちも新入部員の分際だし黙っておいた。
「申請すれば審査も無く、誰でも出場できますが、〆切は残り一週間足らず。また審査が無いからと言って学生の身分で出場できる人、いや出場しようと思える人は、滅多にいません」
テーブルを囲んでイスに座っている、六人の中でも、林部長の目線に顔の向きは一年の二人、じゃなくて明らかに別の一人に向かっていたから、俺にも今ここで、なんでこの話をされているのか察しがついた。
「なぜなら長年研鑽を続けた、それはそれは名のある寺院の高僧たちが、修行の成果を披露し、熱心な仏教信者にとっても有難く拝聴できる、大変貴重な機会だからです。生半可な知識や技量で臨むのは無礼千万」
今や部長どころか全員の視線を集めている光希は、口も開けてぼんやりと空中を眺めて、何も聞いていない、ように見える。
そして「え?」と首を傾けた。
「……ってお前に言ってんだ張山! 私の許可も無く勝手に申請しやがって!」
その情報が伝わってきてさっきから、部長は俺にもムカついていたんだなと、俺も片手で頭を抱える。
「え。だってだから、〆切までに出さなきゃ」
「出すな、っつってんだ! ずっとやめろ、って言い聞かせてただろうが!」
「だからボク去年の夏休み、お山に上ってお願いして、お坊さんたちの合宿に、入れてもらえたもん」
それは俺も知らなかった。あとそうか。だからコイツ去年の夏休み課題、さっぱり手を付けていなかったのか。
「え。何。お坊さん? 仏教?」
って隣でカナツカはそこから知らずにいた感じだ。
「すごいんだよ。毎日声出しっぱなしだからすっかり枯れちゃって、『もう出ません……』ってすっごくカッスカスの声で、もちろん痛いからボクだって泣いてんのに、『よし。まだ聞こえる。出せ』って言われんだよ」
カッスカスの声に、僧侶っぽい威厳のある声も混ぜながら、
「一度つぶし切らなきゃノドの隅々まで、使いこなせないんだって」
いつの間にか全員が、光希の話に気を引かれて耳を貸している。
「あとね。尺八も吹かされたんだけど、レッスン終わったその瞬間に」
来るな、と俺は身構えていたけど、
「立つな!」
って大声が響いて俺以外の全員がビクッと身をすくませた。
「って怒鳴られてね。『あと三十分はそのまま座ってろ!』って。なんで? って聞こうとしたけど声、出ないんだよ。息、上手く吸えないし動けないんだよ。慣れてないと頭の中の血とか酸素とか、全部持ってかれてて」
ガチの修行してきてんじゃねぇか。何で俺がそれ他人と一緒に、今ここで初めて聞かされてんだって、ムッとしたけど「俺が入学してからビックリさせたい」とか言ってたな、って思い出して納得した。
「それで、お坊さんに、お友だちたっくさんできたから、お坊さんたちの方からニコニコ笑ってもらえて『出ませんかー?』って声、掛けてもらえたんだけど、部長に『出て良い?』って聞かなきゃダメだった?」
「……!」
部長は唇を噛んでうつむいて、腕組みで細かく震えている。僧侶から誘われたものを、高校の部活動の部長ごときが、否定するわけにもいかない。
「小石川くんもその合宿には参加したの?」
真垣さんはA4のコピー用紙ーー多分申請書の写しーーを手に、俺に顔を向けてきた。
「いいえ。俺も今、初めて聞きましたその話」
「御詠歌は知っているのよね」
「あまり。節だけは何曲か、聴き覚えているくらいです」
「それで何でソイツまで出場申請してんだよ。全国大会だぞお前たち」
光希が勝手にやってくれた事だけど、それを言ったところで部長には、言い訳にしかならない。
「しかも曲目は『いろは唄』って」
それも俺は今ここで初めて聞かされたけど、
「子供の遊びじゃないんだから」
ため息混じりの真垣さんに、光希は「え」と首を傾けていた。
「それ逆じゃない?」
もしかして相談されていたら俺もそれで良いって頷いている。
「子供の遊び、そのまんまが良いんじゃないの? 御詠歌って」
光希が俺を振り向いてくる。
「出来るよね。薫」
「ああ」
カナツカがさっきから置いてきぼりだなって思ったけど、何にも知らずに来た奴に言葉で聞かせるのって無理があるから、まず見せない事には始まらない。
光希がカバンから道具入れを、俺は制服の胸ポケットから扇を取り出した。
山を駆け下り巡って行く、それぞれの寺で、「鬼」が人々に見せつけるのは、舞だ。
小石川の人間は、たとえ「鬼」を継がないとしても、幼い頃から舞を徹底的に教え込まれる。もしかして長子が継げない場合の代理を用意する意図もあるが、音をなるべく排し静けさを極めた暮らしの中で、親子兄弟が間合いを測り心根を読み取り、呼吸を揃える手段でもある。
もっとちっちゃな子供の頃から、光希が声を張る度に、俺も隣で舞ってきた。子供の時分なら無条件に可愛いだろうから、光希のパパもママも、ニコニコ顔で眺めてくれていたし、おばあちゃんおじいちゃんなんか拍手しながら泣き出したり、お菓子にアメ玉くれたりした。
もちろん「鬼」の技とは似て非なるものだ。「鬼」は何も御詠歌に合わせて舞うわけじゃない。だけど、舞そのものは如何なる楽曲にも対応可能で、別に秘技でもない。
俺の両親に伝えても、嫌がるどころか嬉しそうだし、面白がっている事が伝わってきた。
テーブルと扉の間のスペースに、俺は扇だけを手にして立つ。正式には着物に袴で舞うものだけど、まぁ、演目による。
いつの間にか鈴と鉦、二種類の法具を買い揃えて、輪袈裟も首にかけて光希は正座でいる。きちんとしてなきゃいけない場合にやろうと思えば光希も出来るんだよな。
カナツカ一人だけが見慣れない光景に、違和感が強すぎて吹き出しかけているけど、それも光希が俺の隣で息を吸う、今この瞬間までだ。
唱え奉るいろは唄の、ご和讃に……
子供の頃から頭が悪くて、
落ち着きが無くて授業にもついていけないし、体力測定の結果も悪いし、絵を描かせたら輪郭線とか塗る色とかルール全く分かってない感じのメッチャクチャで、何が出来るんだよコイツって、呆れながら振り回されまくってきたけど、
光希の唯一の、だけどその唯一で、他の全部は賄えるんじゃないかってくらいの能力だ。
声が出せる。
上手いとか、大きいとかどこまでも長く伸びるとかじゃなくて、響く。場を満たして支配する。
必要な時に必要なだけの、届いた側から受け入れられ許される声。そんなものは、小石川の家では磨けない。だけど、隣で散々聞かされてきた。だから、
張山光希の誠心誠意本気の「声」を、捌き切れるのは俺だけだ。
最後の鈴の余韻が消えて、二人揃って頭を下げると、
「これは、まぁ……出場しなきゃどうしようもないわ」
と真垣さんがニコリともせず言ってきたけど、この人には最大の賛辞だろう。
「分かったよ。だけど小石川」
林部長は抱えていた頭を上げて、
「ホントにアイツの息子じゃないの?」
と訊いてきて、一瞬誰の事が分からなかった。晃おじさんが「アイツ」呼ばわりされるとは思わなかったし。
「ちがうよー」
「お前に訊いてないんだ張山!」
「子供の頃から知ってるもん。薫のお父さんお母さんとだって仲良いもん」
「その、初代部長に何か恨みでもあるんですか?」
いいかげん気になって訊いてみると、部長は「ウラミ?」と初めて聞いた外国語みたいに呟いて、
「じゃ、ないけど色々とまぁ、フクザツなんだよ」
今聞き出せてもきっと俺には分からないだろう答え方をした。
ついでに目を丸くしていたカナツカに、微笑んで見せるとプイ、と、ふくらませた顔を逸らしてきて可愛くない。
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