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神よりも人

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 noteという半公共の場であえて、
 今週は葬儀の話をしたい。

(文字数:約1300文字)


 先日親戚が亡くなって、
 急遽お通夜と告別式に参列して、
 しみじみ思ったんだが、

 鳥山明先生よりも、
 身内の方が身に迫る。

 「当然じゃないか」と呆れずに、
 「何を失礼な」と怒らずに、
 この差分は明確な言葉に変えて、
 丁寧に見詰めておきたいと思った。

 どれほど世間から惜しまれて、
 個人的にも日頃から、
 神のように、否、
 神そのものとして敬っている方であっても、

 身内からは人なんだ。

 世間にとっては初めから手が届きもしない、
 神を失ったに過ぎないが、
 身内は人を失っているんだ。

 どちらにより配慮すべきかは自明だろう。


 ところで私の父方の祖母は、
 90歳を過ぎて亡くなったもので、

 見事大往生ということで、
 「大往生祭り」と銘打たれた。

 葬儀場などない限界集落なもので、
 祖母の生家であり、
 両親の実家で執り行ったのだが、

 白無垢を着せてもらえて、
 花嫁化粧を施してもらえて、
 棺にはキャラメルを一箱入れてもらえるという、
 何それ家族も今この場で初めて聞いた。


 先日亡くなった親戚も、
 80歳を超えた男性で、
 我々夫婦もここ数年、
 家族全体と付き合いがあったもので、

 お元気そうだと思っていたんだが、
 実際に今年の正月頃には相当な、
 元気エピソードも聞かされたんだが、

 とは言え突然の容態急変。
 恐ろしいと言うより私は、
 大変おめでたく感じてしまった。
 見事なほどのピンピンコロリじゃないか。 
 
 その地域では最も大きな葬儀場で執り行われ、

 西国観音三十三霊場に、
 四国八十八ヶ所も制覇した方らしく、
 棺にはお遍路時の菅笠や、
 孫たちひ孫たちとの思い出の品々が入れられた。


 それを見ながら私が思い出していたのは、
 私が掃除内職に入っているアパートに、
 ご主人を亡くしてから一人暮らしだった女性。

 去年自室で倒れて亡くなっていたのだが、
 前々から終活を進めていて、
 近所のお友達に連絡先を教えていたもので、
 親戚の方が葬儀を整えて、

 アパートの駐車場に棺を下ろして、
 喪服を着たお友達がそこに集まっての、
 お別れの会が行われたんだ。

 これがまた管理人さんも、
 ちょうど自分の身内の法事に参列中で、
 日頃顔を合わせていた事もあり、
 掃除内職の我々が参列した。

 若い頃バーのママをやっていたとの事で、
 綺麗な着物にドレスを取り揃えていたのだが、
 一人になって即売り払い、
 特にお気に入りの布地だけを、
 ハンカチやショールにして残していた。

 アパートの駐車場に、
 生花なんかは存在しないので、
 棺には参列者皆がそうした布を、
 一枚一枚手に取って入れた。


 実家だろうが、
 葬儀場だろうが、
 駐車場だろうが、

 良い式は良い式であり、
 それぞれの人生に優劣は無い。

 申し訳ないがこの事実は、
 私にとって面白く、
 讃えるべき素晴らしいものであると同時に、
 美しいものだ。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。


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