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『張山光希は頭が悪い』第6話:大事な役目

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約4700文字)


第6話 大事な役目

 全国大会、と言っても申請したら出られるわけだし、もっと子供の時から日頃やって来た事の延長だし、特に緊張しなければ、大した高揚感も無い。
「いろは唄?」
 曲目を聞いたらおっさんは何か思い当たる事があったみたいに、一階の自分の部屋に引っ込んで、しばらくしてから戻って来た。
「あったあった。これ、参考になると思うからあげるよ」
 光希に渡して来たそれは、『いろは唄』の楽譜の裏に書かれたメモだ。
「晃が現代語に訳してくれた歌詞」
「うわーぁ」
 光希はすっごく純粋に目を丸くして喜んでいたけど、
「しれっと彼氏自慢入れてくんなおっさん」
 俺はおっさんの口から、晃おじさんの名前が出るだけで悪寒が走る。
「この頃はまだ彼氏じゃなかったってぇ」
 って言いながら、頬を赤くしての笑顔で身をくねらせてもいて、余計にムカつく。
「知らねぇよ。おっさん二人のメモリーにヒストリーなんざ」
「ごめん薫ぅ。現代語でもむずかしくてよく分かんないよぉ」
「世話が焼けるなおい。見せてみろ」
 泣きつかれて教えてやるつもりで目を通したけど、俺の方が頭を抱えて悩み込んでしまった。
「薫ぅ。どうしようコレぇ」
「んーと……。意味は分かってもなーんか、実感が湧かねぇよな……」
 これを「舞う」のは思ってたよりも大変だぞ。だけど、そこに気付きもしないまま本番に臨むよりはマシだった。

 五月も上旬、なもんだからあっと言う間に大会の当日だ。朝早くから光希と車に乗せられて、山頂の町まで向かって、お寺がこれでもかってくらい立ち並ぶ町の一角に建つ、コンクリートの建物が、受付になる本部。本部と渡り廊下で繋がっている茅葺き屋根のお堂が、大会の会場だ。
 俺と光希の名前に、出場番号が載ったパンフレットの表紙には、

 全国奉詠ほうえい奉舞ほうぶ大会

 と書かれてあった。御詠歌を、詠じる者と舞う者の、両方が並列で参加できる大会だ。
 歌う、ものではなく、唱える、ものである御詠歌と、
 踊る、ものではなく、舞う、ものである奉舞。
 共に、心のままを表すものではなく、神仏並びに神仏のための空間に、捧げられるもの。
 俺は着物に袴を着込んだけど、光希は制服に輪袈裟。同じくらいの背丈だし、一度は着物も着させてみたんだけど、
「これ着て歩けて歌える気がしないよぉ」
 って涙目になってきたから諦めた。
「坊さんたちに混じっての合宿中はどうしてたんだよ」
「『着物持ってません』って正直に言ってジーンズとTシャツで済ませたよ?」
「そっちの方が有り得ないくらいすごいんじゃねぇか。もしかしたら」
 渡り廊下からの入り口には僧侶が立ち並んでいて、ホワイトボードにマイクが用意されていたり、屏風で仕切られた奥が出番前の控え場所みたいになっていたから、広い廻廊をお堂の正面まで移動して、木の引き戸をそっと引き開けた。
 ホール、とか、ステージ、とか言うよりも、その場所はしっかり「お堂」で、一番奥には弘法大師の坐像が祀られているし、本来内陣がある場所に「舞台」が作られていて、出場者は弘法大師に背を向けて正面側に披露する形、になるらしい。舞台に向かって机が五つ用意されていて、椅子の背に「審査員」と書かれた紙が貼ってある。
 他の場所ではあまり見ない、鈍い金色の大細工が天井から垂れ下がっている。キレイ、とか、豪華、とか、素直に思うには普段馴染みが無くて、どう感じるものなのかが分からない。
 審査員席から正面の引き戸までの間には、椅子がざっと百席以上は並べられていたり、正座でいたい人用のスペースが空けられていたり、どちらにも人はいるけどまだほとんど埋まっていない。あと分かっていたけど暗い色の和服に輪袈裟を掛けた、おじいさんおばあさんばっかりで、高校生なんか見当たらない。
 光希と引き戸近くに立ち並んで、淡々と進められる開会式を眺めていた。

 開会式が終わって一旦、廻廊に出て、引き戸はしっかり閉めてから二人並んで思いっきり背伸びをして、お互い目線は合わせていたけど口から出そうな言葉は飲み込んでいた。
「ごめんね」
「言うなよ」
 唇を引き結ばせてしまったから、なるべく気にしない感じに付け加える。
「光希のせいじゃねぇって。大体そんなもんだって、分かってたし」
「だけど、うん。大丈夫だよ。だってほら、『いろは唄』だし」
 歌詞を思い浮かべたら俺も、クスッてきた。
「そうだな」
「薫」
 声がして、まさかと思ったけど俺の、父親がいた。渡り廊下から廻廊を歩いて向かって来るけど、家の外で、マゲは結ってるけどスーツ姿に出会うのは珍し過ぎて、違和感がある。
「……どうして来たの?」
「どうしてって、全国大会だろう?」
 嫌だ。俺今ここで、父親に会うの嬉しくない。言葉に出さなくたって父親には分からなくたって、小石川の家に帰ったら今の俺の気持ち、お母さんには伝わっちゃうから。
「御詠歌には、俺は詳しくないんだが、大変に権威のある大会だと」
 父親が太い首を回して俺たちの、周りを見回したから、
「今日ボクのパパ来てないよ」
 光希が気付いて口にした。
「え?」
 父親は驚くと言うより信じられないとか、呆れた感じで、
「なんでだ?」
 って、光希相手に問い詰めるみたいな訊き方をした。
「平日だもん。すっごく来たがってたけどさ。どうしても今日のお仕事休めないんだって」
「今日は二人ともここまで、じゃあどうやって……」
「ママが車で送ってくれたよ」
「ああ」
「おばあちゃんとおじいちゃんも。だけどホラ、この建物町に入ってすぐのとこにあるから、先にボクたちだけ下ろして駐車場、探しに行くって」
 頷いて、一応は納得したみたいだけどまだ、周りを気にしている。 
「お友達とか、御詠歌部のみんなも来てないよ」
 父親には意外が過ぎて声も出ない感じだった。俺に移した視線がどこか、出来が悪いのを責めるみたいな、きっと、俺に高校での友達なんか一人もいないみたいに思われた。
 どんな事情があっても父親なら、必ず行くから。必ず来てくれる友達しか知らないから。
「出たいって言ったら誰でも出られる大会だから、応援、みたいなのいらないよねって。部長とか、先生に頼んでくれたんだけど、授業休んで良いって事にまではならなかった」
「なんだ……」
 父親は息を吸い入れて思いっきりの、溜め息に変えて、
「何かを頑張ってここまで来たわけじゃないのか」
 俺の耳の奥がギシッて、きしむような事を言った。
「おじさん」
 って光希の声がしてうつむいた。吹き出しそうになったのを噛み殺す。普段なら光希は自分の父親でもないのに「お父さん」って呼ぶのに。
「また来年、来てくれない?」
 にっこり満面の笑顔になって、要は「帰れ」って言いやがってる。
「薫の、お父さんだけど、今日は、来てくれてホントにありがとうなんだけど、その、ムリだよ。そういうの、毎日いっしょに暮らしてなきゃ分からないから」
 ものすっごく、当てこすってるのににっこり笑顔で言われてるから、所詮俺の父親は他所から移り住んだ生まれながらの小石川の人間じゃないから、はっきり気付いてもいない。
「あぁ。そうか……」
 とか面食らった感じに呟きながら、図体のでかい男がちょっとずつ地味に後ずさっている。俺が、笑い出しそうなのを堪え続けてうつむいたまま細かく震えているもんだから、
「薫。大丈夫か」
 ってしっかり心配が伝わる声を掛けてくれてるけど、
「大丈夫。ボクがついてるからすぐ落ち着くよ」
 お前さえいなくなってくれればな、って聞こえて俺は二人に背を向けた。
「ああ。ありがとう。いつも」
 廻廊の欄干で顔を隠して、声はなるべく殺してだけど、腹を抱えて笑う。苦しくて、胸が痛くて涙が出るけど、肩を叩いて振り向かせてくれた光希に、
「サンキュ」
 って言った。
「お母さんには気付かれちゃうかもしれないけど」
「いいよ。もうどうせなら、一から十まで分かってもらった方が」
 涙を拭きながらようやく肺の奥までしっかり、息を吸う。
「悪い人ってわけじゃ全然、ないんだけどね」
「分かってる。良い悪いの二択で言ったら、良い人だよ間違い無く」
 深い呼吸をニ、三回繰り返して、吐く息がゆっくりになってようやく、身を起こした。
「俺はそうじゃないしそうなれないんだって、思ってもらえないからしんどい」
 お堂の正面の引き戸が、両端まで広く開けられる。俺たちに気付いた僧侶が、
「どうぞ。ご準備をお願いします」
 と微笑んできた。

 屏風に隠された控え場所が、隠す意味も無いくらい騒がしくて、落ち着かせたくて困っている僧侶の声まで聞こえている。大会の最初の出場者は、頂上の町にはある幼稚園の子ども達で、曲目は俺たちと同じ『いろは唄』。
 パンフレットにある出場番号は、僧侶たちの偉さとか、前々からの仲の良さによる融通の効かせやすさとか、集団で参加する人たちの到着時間とかの都合で、ちっとも当てにならなくて、俺たちは要するに、埋め草とか露払いなんかに使われた、わけだけど、今年はそんな感じで仕方がない。
「ある意味大事な役目だよ」
 光希が呟いてきて頷いた。
「そうだな」
 お堂の空気を大人たちが唱え出せるくらいには、引き締めなきゃならない。
 子供たちが舞台へと移動した次に、俺たちが控え場所に促された。椅子が十個くらいの二列、舞台に登る階段の下に舞台と並行に並んでいて、俺たち二人には広すぎる。屏風の端際に僧侶が一人立っていて、目が合うと微笑んでくれる。
「見て。薫」
 控え場所の奥の暗がりに入って、光希が指を差した。俺も近寄って行くけど腕の向きで、何を見せたいかは分かっている。
「あそこの、あの人」
 お大師様の坐像が左端からの斜めだけど、近くに見える。
空海くうかいだな」
「え。あの人名前とかあったんだ」
「合宿まで行っといて光希、それはねぇだろ」
「みんな『お大師様』って呼んでるから神様みたいな人なのかなって」
「まぁそれで大して間違ってもないと思うけど」
 一応は声を低めてしゃべり合っているけど、幼稚園児たちの『いろは唄』が始まって、それがまた子供たち大勢の一生懸命で、俺たちの声が外に漏れる心配は無い。
 いーいろーはー にーおおえーどー ちーりーぬーるーをー
「手に何か、ボク名前とか知らないけど変な道具、持ってるでしょ」
「うん」
 わーがーよーおー たーれーぞー つーねーなーらーんー
「手首ぐにゃんって、ねじ曲げてアレ、本当にやろうと思ったら手首痛いよ」
「だよな」
 うーうーいーのー おーくーうやーまー きょーおおこーええてー
「そこまでしてボクたちに、お堂の内側の人たちにさ、あの道具あの角度で見せたいんだよ」
 あーさーきーい ゆーめーみーじ えーいーいもーせーずー
「あの人多分、自分を拝んでもらいたいわけじゃないよ。あの道具の方がもしかしたら、よっぽど大事で、ボクたちは、他の何もかもどうだっていい、あの道具だけにまっすぐ届けなきゃなんだ」
「舞台はあの像に尻向ける位置だけどな」
「そこはどうだっていいよ」
 舞台の方からは自分たちの孫に向けられる、まばらな客席にしてはあたたかい拍手と、子供たちが僧侶に誘導されて、多分手とか振りながらその様子に微笑まれながら、降りて行く足音が聞こえる。
「お堂の空気全部、埋めちゃえば良いんだから」
 光希が俺を振り向いてくる。
「出来るよね。薫」
「ああ」
 光希が声を出してくれるんならな。

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