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『唱え奉る河内國春乃井学園御詠歌部』第3話

第1話(末尾に全16話分のリンクあり)
(文字数:約6000文字)


3 西洋が 全てではない 御覧じろ

 右側のななめ前から声がした。
「ご機嫌うるわしゅう。弓月の君」
「それやめて。本当に意味が分からないから」
 大げさな身ぶりで挨拶までしてきたみたいだけど、わざわざ目は向けないでいる。
「検索、しなかったの?」
「しないよわざわざ。自分の名前に」
 気配で席に着いた事は分かった。あと前の席からもちょっと振り向いてきたみたいだ。
「小学生くらいの時に、自分の名前調べさせられなかった?」
「張山だから合わせて弓張月ゆみはりづきにしたって言われた」
「そっちかい!」
 ストレートなツッコミみたいに言ってきたけど、僕どころか前の席でも笑っていない。
「じゃあ九州目指してよ」
「なんで九州?」
「ハルヤマは、スプリングじゃないのか」
 神南備を、無視できてようやくみたいに話しかけてきたから、僕は顔を上げて足助を見る。
「ああ。うん。弓を張るとか、声を張るの」
 今日も長い黒髪を下ろしているから、部長と話す時みたいに髪周りは意識に入れないでおく。
「それは失礼した。が、なぜ訂正しない」
「別に訂正するほどの事にも思わなかったから」
 ちょっと黙り込んで、携帯を取り出しながら僕からは、横向きに座ると、操作しながらまだ話を続けてくる。
「張山はバイトに興味無いか」
「無い」
「体格が良いから、俺のバイト先を紹介しようかと」
「いらない」
 そう。父や兄には抜かれていたし、胸が苦しくてずっと押さえて丸めてばかりの猫背になっていたから、母や妹よりも背が低く思えていたけど、
 健康になってきて、猫背も治ったら、本当は一学年下になる生徒の中では、背も高めで細めで、スポーツでもやってきたか少なくとも向いてる奴みたいに見えるらしくて、入学してからあちこちの運動部に声を掛けられている。
「余裕が無いとか卓球部の奴に、話していなかったか」
「余裕が無いのは、お金じゃなくて時間。片道一時間掛かってるし」
「あれ? 深見駅までそんなに掛かる?」
 無視されたはずの神南備が話に入ってきて、返事に詰まったけど、
「……家のドアから考えたら」
 ギリギリウソじゃないくらいにごまかしておいた。

 今日も部長は坊主頭のヅラで、だから吹き出すタイミングを逃すと、もうずっと意識から逃がしておくしかなくなる。
「ガチ勢の三名は大会前の追い込みで、思うに任せない」
「ガチ勢、だけはやめてあげません? 本当のガチな人達にそれ言っても笑えないんで」
 というわけでこの日は、神南備と幸さんと四人で始める事になった。部長だけが今時珍しいCDラジカセを準備して、教壇に立っている。
「まずは『いろは歌』の、楽譜と楽譜の早見表を」
 教壇から印刷された紙を手渡されて、見た瞬間にギョッとした。
 何だこれ? いや「楽譜」って言われて渡されたけど、さっぱり分からない。
 音符みたいな黒だったり白だったりの丸いものが、所々に挟まってうねっているけど、しっぽの部分が決まった位置や形や向きなんか無い好き放題みたいに、丸によっては冗談みたいなとんでもない長さにまで伸びていて、それ以前にこの「楽譜」、タテに並んでいる。
「普通の、楽譜じゃないんですか……」
「ああ。申し訳ない。西洋の楽譜に慣れていたかな」
「いえ。普通の楽譜も読めませんけど……」
「ならばスタートラインは同じだ。それと張山くん、御詠歌においてはこの楽譜が『普通』だ」
「いや今までどこでだって見た事がありませんけどっ?」
「今までの、どこでどうあろうと関係は無い! ここは河内だ!」
 今更な、話みたいな気もするけど、僕が通っている高校は、

   私立 河内國かわちのくに春乃井はるのい学園

 と言って、入学案内はおばあちゃんが持って来てくれたし、深見駅での乗り換え込みで一時間とは言えどうにか通える範囲だったし、落ちこぼれだった中三から、二年がかりで身体を治しながらの受験だったから、受かれば入れればどこでも良くって学校の特色なんかは気にしてこなかった。
「張山くんは、当学園の校訓を知っているか」
 だから訊かれても申し訳無いけど、覚えていない。きっとどこかで見たり聞いたりしているはずなんだろうけど、何にも思い出せなくて、
「すみません。知りません」
 恐縮しながら答えたのに、
「そうだろう。一般には公開されていない」
「なら分かるわけないじゃないですかっ!」
 表向き先輩で部長じゃなかったら、「恐縮を返してくれ」くらい言ってやりたい。
「曰く、『河内國は独立国』!」
 堂々とした口調に表情で、ふざけている、わけじゃない事しか分からない。
「無論、公式見解ではない。国連には加盟しておらず、国の歴史書等にも記されてはいない」
 内容はどこまで本当の本気なんだか、ふざけていた方が、かえって助かるみたいに聞こえるんだけど。
「補足、失礼します」
「どうぞ。神南備」
 あまり神南備から補足されたくはなかった。
「応仁の乱以後の、河内國は、独自の法律や貨幣や、軍事力に経済体系を確立した、実質的な独立国だったと言われているの」
「江戸時代って日本中どこでもそうだったんじゃないの?」
 神南備どころか部長に幸さんからも、「おいおい」って聞こえてきそうな視線に取り巻かれた。
「応仁の乱は、江戸時代より一世紀半も前よ?」
「いやなんとなくでしか分からないって僕には! あとだから、たくさんあった独立国の、たった一つって事だよね?」
「何言ってんの? 徳川幕府が統一を果たせたのも、河内國という成功例があったからよ」
「関東に歴史が無いみたいな言い方するのやめてくれない?」
「歴史が無いなんて言ってない! 全体をちゃんと見てって言ってるの!」
 それがこっちには、余計なお世話に思えるんだけど、神南備もムキになってくる。
「独立国、という概念自体が河内國より以前には、考えとしてはあったかもしれないけど成立、し切れていなかったの! 武将達はただ領土を広げて城下を栄えさせるだけで、せっかく栄えさせた城も武将同士で奪い合って、正常に機能し続ける、たった一つの領土すら長く保てなかった! 成功例があったからこそ家康は、独立国をあちこちに増やして全体を束ねる構想に着手できたんでしょう? 鎮西ちんぜい八郎ほんっとうに歴史知らないよね」
「知らなくても生きて行ける事わざわざ知る必要ある? あと何その八郎って」
「それは無理だろう神南備。私も何となく思い当たるくらいだ」
 部長に言われてやっと口をつぐんだ。
「神南備の見方も興味深いが、断言し切れはしない。関東には関東の、河内には河内の見方がある」
 だけど、赤みの残った顔でメガネ越しにまだ睨んでくる。部長に叱られて悔しいんだろうけど、知らないし。
「独立国とはすなわち、心構えを問うている」
 取り出した扇を、今日は閉じたままでポーズを決めてくる。
「日本国には協力する。法律等もあたう限り遵守しよう。されど、法を犯さず他者にも実害を及ぼさない限りは、日本国内のみに通用する、如何なる『普通』にも従わない!」
「いや楽譜は日本だけとかじゃなくて、世界共通じゃ……」
「西洋が、全てではない! 御覧ごろうじろ!」
「ご、ごろ?」
「尊敬語の『見る』の命令形」
 神南備がため息混じりに言ってきたけど、尊敬の命令って、他人の口から聞いた事なんか無い。
「まず早見表! 中央の丸は人の魂を表している」
「いや出だしから重いです!」
「そして中央から放射状に八つの線が伸びる。河内國において八という数字は、万物を意味する」
 知らないけど今はそういう事だと思っておく。
「これらの線一つ一つが、音と音の長さを表すわけだ。八つの向きそれぞれに、半音が存在し、まずは十六音」
「『万物』が、増えているじゃないですか……」
「それだけではない。十二時方向から始まり時計回りに三周、螺旋状に音は上っていく。つまり八音を三倍した二十四音、が、御詠歌に使われる音域になる。そこを踏まえた上で、次に、楽譜を見てもらいたい。まずは眺めるだけで良い」
 言われて改めて眺めてみる。
「楽譜上のどの位置にあろうと、己の魂、すなわち、丸印から音は始まる。黒い線が基本の八音、白抜きの線が半音だ。さてお唱えするとして、まずは疑問が生じるだろう。張山くん、初めに出すべき音は?」
 初めの音と同じ向きの線は、早見表の中に見付け切れるけど、ドレミで言ったらこれが何の音になるのか分からない。
「音……、ってこれ書かれてます?」
「驚くなかれ。その向きは、『普段の話し声よりも、やや低い音』だ」
 言われていたから驚きはしなかったけれど、いや驚いた気もするけどそれ以上に、呆気に取られた。ワケの分からない、道理とか通らないとんでもない所に、連れて来させられた感じがする。
「集団でお唱えする際にはもちろん、チューニングが必要になる」
「西洋の音楽用語、使ってますけど……」
「分かりやすい語句を借用する事も一つの便宜だ」
 言いながらCDラジカセの、再生ボタンを押した。

   とぉなぁえたてまつるいろはうたのぉ ごえいかにぃ~ぃ

 最後の音が伸び切ったところで、止める。
「発句人が初めにお唱えするこの音に、他の者は合わせる。故に、発句人の技量は重要になる。特に現在のような、男性女性が混在する集団では、双方が最後までお唱え出来る音域を見出だす事は困難だ。しかし」
 これ以外に正解は無いみたいな笑みを浮かべて、
「不可能ではない」
 やっぱりどうとでも取れそうな事を言ってくる。
「少なくとも、不可能ではない、という心構えを持って各人は習得に臨む。何も男女の別に限らない。人の魂は人それぞれに異なる以上、お唱えするために適した音色おんしょくも異なる。故に、西洋の楽譜には落とし込めない。ここまでで大まかにでも分かってもらえたと思うが、西洋と東洋とでは音楽の、概念に造りが、まるで異なる」
 何がどこまで決まっているのかも、ふわふわした頼り無い楽譜に見えていたけど、それは今までの、普通の感覚で見ていたからで、これも「普通」だって感じ始めたら急に首筋がゾクッとした。
「何も、返して来なくなったが張山くん、驚かせたかな」
「いや……、ただものすっごく戸惑って、いるんですけど一個だけ、何だか分かったような……」
「何かな」
 人によってはもしかしたら、ネガティブな言い方に聞こえてしまうかもしれないけど、
「僕が、『歌える』ものじゃない……」
 部長は大きく頷いてきた。
「そう。『唱えさせて頂ける』ものだ」
 胸を張って堂々と、「楽しい」って言える性質のものじゃない。そんな音楽のどこが面白いんだって、ちっとも前向きとか、心から動けている感じがしないじゃないかって、普通の音楽とか楽器なんかが好きな人からは言われてしまいそうな気がするけど、
 面白くない、とは言い切れない何かがあって、だけど、まだ上手く言葉には変え切れずにいた。もしかしたらこれは、ただ「読める」とか、「弾ける」とか、「歌える」とかよりもすごく、実は、楽しいのかもしれない、ってそれもまだ、予感みたいなものだったけど。
「ところでこんな歌もある」
 ラジカセの操作音と、ボタンの音に続いて、

   とぉなぁえたてまつるそうごくようの ごえいかにぃ~ぃ

 そこは大して何とも思わなかったけれど、歌が始まった途端に、

   いーちぃいじゅうーのぉおかーげぇのぉおぉ
   あーまぁあやぁどぉおりーぃいー

 窓が開いていたわけでもないのに、涼しい風が吹き込んで来る感じがした。
「ああこれって……」
 神南備が言ってきたけど、御詠歌にも詳しいのかコイツ。
「メジャーコード」
「その通り。御詠歌では『陽旋』と『陰旋』に区分されるが」
 早見表に目をやって、時計回りに三周、の構造を思い浮かべる。
「『相互供養和讃』は御詠歌の中でも、僧侶の間でも人気が高い曲だ。確かに良い歌詞だと思うがそればかりでもないだろう。快さであれ悲しみであれ、人の魂を動かす旋律は、確かに存在する。如何に見出だし表すべきか、西洋も東洋も、それぞれに苦心を重ねてきただけだ」
 幸さんが『御詠歌全集』のページを開いて渡してくれたから、受け取って目を通してみる。

   一樹の陰の雨宿り 一河の流れ汲む人も 
   深きえにしのりの道 歩むに遠き行く手をば……

「これは、誰を讃える歌なんですか?」
「具体的な、どの仏と言うよりは、仏そのものだな」
 最初に聞いた時からちょっとずつ引っ掛かっている感じがするけど、部長は「仏様」とは言ってこない。

 駅を出るともう街灯も少ないから暗い中を、懐中電灯で照らしながら歩いて行く。
 『いろは歌』に『追弔和讃』はそこまででもなかったのに、『相互供養和讃』はずっと、初めに聴かされた時から気が付けば静かになると、頭の奥で鳴っていて、歩く速さにも合っていて正直に言うのは気恥ずかしいけど、いい感じで、
 口ずさもうにも歌詞は覚えていないし、暗い夜道から御詠歌聞こえてきたら、すれ違う人もこの辺りには滅多にいないけど、その滅多に出会っちゃった人は怖いだろうなって、思ったらクスッてきて、
「い……ち……じゅの か……げ……の」
「……るやま」
 頭に鳴っている音に合わせて、覚えていた出だしだけをほとんど無意識に呟いていた。
「あ……ま……や……ど……り」
「張山」
 肩を叩かれて、ちょっとどころじゃなくビックリしたけど、
「さっきから、呼んでいたんだが」
 振り返って見た顔に、もっとビックリして、叫んだりするどころじゃなくなった。
「足助……」
 お風呂上がりみたいな良い香りもしてくるけど、この辺温泉とか無かったと思うんだけど、いやそんな事より。
「何で、今、ここにいるの?」
「それは俺の方が訊きたい。ここから通っているのか。家は、この近くか」
「いやっ……」
「なるほど。この駅からなら確かに、一時間は掛かる」
「今日はっ……、たまたま、寄っただけで……」
「今日?」
 暗がりだけど眉の間にシワが寄った事が分かる。
「悪いがほとんど毎日見ている」
 終わった、って思ったけど同時に、何が? って頭の奥から聞こえてきた。
「俺はほとんど毎日歩いてここまで……」
 遮断機の音がこの辺りでは静かだから、つんざくみたいに鳴り響いて、
「ああ。あれを逃すと一時間待ちだ。じゃあ」
「待って!」
 足助の腕を掴んで口にしていた。
「誰にもっ……、ここで会った事は言わないで……!」
「俺は……、別に構わないが、一体何を」
 電車の音と光が近付いて来る。「悪い」と足助は僕の手を振り払って、明らかに全速力だなって感じに無人駅の駅舎まで走って行った。

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