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何の参考にもならんと思うが就活偏光版

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 私の場合は特殊な状況下にあったもので、
 そんな奴もいるんだ(いたんだ)程度に、
 お読み下さい。

(文字数:約3000文字)



大学3年で自殺未遂

  いつの間にやら抱え込んでいた、
  黒人格が暴れ出した模様で、

  気が付けば病院で、
  丸三日昏睡状態だった。

  おおう(素でビビる)。

  今でこそクロコちゃん
  だいぶ可愛くなったけれども、

  当時は名前も付いてないどころか、
  人語も話さず人の姿もしていない、
  言うなればヘドロゴミ状態で、
  私の右肩にへばりつき、
  隙あらば両腕を乗っ取っていた。

  まぁなー。
  物心ついた時から、
  顔も体型も人格もけなされ続けて、

  地方国公立大学の、
  環境系学部に合格できて、
  好成績も維持し続けたところで、

  「お前に好感を持つ人はいない」
  「お前と結婚できる男はいない」
  「バイトも出来ないお前を、
   (↑大学を皆勤、
    かつ実家通学で門限付きなので、
    シフトを組みやすい学生に負ける)
   雇ってくれる会社なんかない」と、
  将来も悲観され続けたものだから、

  奨学金を返し終えて、
  両親が望むような家を、
  建てられるだけの資金が貯まったなら、
  行方も知らせず家を出て、
  どこかでひっそり命を絶つのが、

  ガチで唯一の夢でした。

  いや。本気で。
  そのくらい頭おかしかった事にすら、
  自殺未遂やらかしても気付かず、

  「役立たずのゴミは今すぐ死ね」って、
  「生き恥さらす前に死ぬべきだ」って、
  右肩から散々怒鳴ってくるし、
  両腕乗っ取れるから、
  頭殴るし首も絞めてくるけど、

  せめて奨学金は返してから死ぬのが、
  人としての礼儀ってもんだろう、
  って本気で唯一そのために生きてた。


学生の本文は卒論だろう

  幸いにして親が私の将来には、
  一切期待しないでくれたので、

  大学四年の一年間は、
  ガッツリ卒論と、
  息抜きのつもりの小説執筆に、
  のめり込んでいましたよ。
  (その時の小説を、
   約20年後の今書き直してます。)

  父親はアルコール依存症で、
  母親は宗教に誘われてハマって、
  両親は常に喧嘩していて、
  家の中の空気も悪いもので、

  最低限の皿洗いに風呂掃除に、
  洗濯とアイロンがけはこなしながら、

  今思い返すとその一年間、
  ほとんど寝てねぇな。

  うん。
  寝ても幽体離脱系の夢ばっか見てた。

  おかげさまで私の卒論は、
  創立から20年以上経った今も、
  ページ数を超えられていないそうです。

  書き切った、
  と言うにはちょっと、
  卒論として規定された、
  枚数上限に達してしまい、

  それ以前に、
  「原発広告の現状と問題点」
  
なんてテーマを、
  約一年でまとめ尽くす事自体、
  無謀だったんだが。


公務員試験は華麗に奈落

  試験と面接受けたけど落ちたよ。


就職説明会in一年遅れ

  普通三年生の終わり頃から初めて、
  四年生の始めから夏頃には、
  内定取れちゃう流れだったんだが、

  私は卒論を書き終えてから、
  三年生向けの就職説明会に、
  単身一年遅れで乗り込んだ。

  会場内八割の面積が、
  有名大企業のブースに並ぶ、
  三年生たちの長蛇の列だったが、

  そんなもん、
  並んでいるだけで時間が終わる。
  企業側だって三年生狙いだしな。

  暇そうにしてる地元企業の、
  ブースを一通り見回って、
  その場で展示された製品や、
  仕事内容に興味を持った企業に、
  声を掛けて話を聞いてったよ。

  就職試験受けに来ますか?
  って言ってもらえた3社を、
  それぞれ訪ねて、
  試験と面接を受けに行ったんだが、

  それまで時間厳守で生きてきたこの私が、
  なぜだか大幅に遅刻してしまい、
  履歴書に写真も貼り忘れていた企業が、
  なぜだか内定をくれた。

  試験の結果が異様だったらしい。
  空間認識だけが壊滅で他は高得点。

  あと「確実に落ちる」と思っていたので、
  面接では読む側にせよ書く側にせよ、
  好きな小説の話ばっかりしまくって、
  面接官からは確かに面白がられていた。

  そしてふと周りを見渡せば、

  100社以上を受けても内定が得られず、
  圧迫面接ばかりで落ち込みまくっていた、
  当時の学生たちよりスムーズだった。

  第一次就職氷河期だったんだ。

  最中にいた当時は学生たちはおろか、
  親に親族に教授たちすら気付いてくれず、
  ひたすら学生たちの不出来を責め続け、
  知人や知人の周辺にやたらと、
  自殺や自殺未遂話を聞きまくったけども、

  ほぼ殺されたんじゃね?
  当時の社会やら常識とやらに。


結果のプログラマー生活

  入社して三年間は、
  掛け値無しで地獄を見ました♪

  パワハラセクハラ当たり前。
  残業休出当たり前。
  デスマーチにも多数踏み込みました。
  「死んでもいいから納期は守れ」
  ってマジで肉声で聞いたわよ。

  「定時は夜の11時でしょ?」
  という感覚麻痺に、
  「女の子だし最終バスで帰っていいよ」
  という涙するしかない恩情。

  「プロなら全力で働くな!」
  「人より上手くやれる得意な事に専念して、
   常に出力70%を維持するのがプロだ!」
  と言ってくれた先輩の言葉が宝物。

  IT業という理系職場で、
  文系学部出身である事を、
  鼻で笑ってくれるお方もいた一方で、
  現場は文系能力に飢えていた。

  「てめぇに任せる仕事は、
   てめぇしかやらねぇんだ!
   てめぇに潰れられる方が困るんだよ!」
  と現場課長からは江戸っ子口調で絶賛され
  大阪異動メンバーに入れてもらえた。

  そしたら大阪の方が、
  まぁ人間らしく生きていられること。

  プログラマーとしては芽が出なかったけど、
  デバッガーとしては天才だったからな私。
  大量のプログラムコード「読む」から。
    ↑
  (それもC言語とかJAVA世代。
   自分で言うのもなんやけど、
   アホやで異常やで。)

  敬意を持って「死神」と呼ばれたぞ。

  奨学金を返し終えた、
  7年目半で辞めたけれども、
  それまでの間にピンハネも、
  かなりの額されちゃってたみたい♪

  我々を当然の如く使い潰してきた、
  今現在の労働環境が、
  まだまだ過酷薄給なのもむべなるかな。

  私も既に人格が破壊されてたけど、
  抵抗せずに働き続ける事無かった。
  後世のためには少しでも、
  抗っといた方が良かったわ。

  そこはちょっとだけごめんなさい。
  現実として抗ったら即死だったけどね。
  私が死んでも代わりはいるもの現実に。


余談で永久就職

  大阪に異動になって、
  同じ開発現場で働いてた人が、

  「おかやんによぉ似た感じの、
   ツレがおんねん。
   見てたらソイツ思い出すから、
   いっぺん会わせてみたいねんけど」
  と言ってきて、

  「私に似てるって一体どんな奴だ?」
  と純然たる興味で会ってみたのが、
  配偶者というわけです。

  (・ω・)(・∀・)似てるのか?
  自分たちでは分からないね。

  「大阪の人間になった」から、
  「村長(むらおさ)への挨拶も不要です」と、
  無事故郷の一族から脱出できたぜ。

  (○ω○)(・m・)ふふふ
  村長ってなにそれー


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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