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「ボクの!」期まっさかりな2歳児とモンテッソーリの教え

「あの滑り台、ボクのだね!」

花冷えの昼下がりの公園、ブランコの上。
大真面目に王様発言をしている、もうすぐ二歳になる息子を膝に乗せ、いかにも母親顔で優しく答える。

「あの滑り台はね、みんなのものなんだよ」
膝の上の天使は、思慮深げに滑り台を見つめ、
納得した様子で答えてくれた。
「…みんなのじゃないよ、ボクのだよ」
私は深く息を吸い込み、毅然とした態度で返した。

「そうだね、〇〇君のだね。」

(ビビー!ビビー!コラー!それでも母親か!しつけをちゃんとしなさい!)
そんな脳内の批判隊員達が警笛をならす中、私は精一杯、隊員達を説得する。

(まぁまぁみんな、落ち着いて!…コホン、貴方達は、モンテッソーリ女史をご存知かね?)

(ほぅ、モンテッソーリと来たか。それにしても付け焼き刃な学者口調から始まったぞ。大丈夫か?)

(モンテッソーリ女史とは、あれだ!藤井聡太四段も受けていた、あの何やらすごい教育法の…人だ!)

見兼ねた私の忠実な秘書、"iPhone7"が代わりに説明をしてくれた。

モンテッソーリ教育(モンテッソーリきょういく、英:Montessori education または the Montessori method)は、20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
シュタイナー教育と共に、既存の教育に不信感を持つニューエイジャーの支持を集めた
Wikipediaより

(フン、相変わらず無知な人だ。…まぁいい。モンテッソーリは分かったが、結局何が言いたいのだ?)

…はい、私の脳内の茶番劇はもうこの編にしておきまして、本題に入ります。

まず、モンテッソーリ教育には、「秩序感」という考え方があります。
秩序感(sense of order)とは、
いつもの場所、いつもの順、いつものやり方を守る感覚で、一歳頃から表れはじめ、三歳ごろをピークとして次第に消え始める、大人からすれば不思議な感覚です。

断言しますが、いわゆる、"イヤイヤ期"は、この「秩序感」を知っているだけでものすんごく子育てが楽になります。幸せになります。世界が平和になります。
…ごめんなさい、言い過ぎました。
(でも内心は本当にそう思ってたりします)

今回のケースで言えば、息子は「滑り台が誰のものなのか」という、所有物の秩序感を求めているのです。

この滑り台は、自分が使うことができる。
そして、自分が使うことができるものは即ち自分の物である。

このことを、子どもの頭の中では是非とも確立して、秩序を保ちたいのです。

** (自分の物と決めたら、独占欲の強い、意地悪な子になりはしまいか!?)**

…はい、また脳内批判隊のおでましです。

「自分のもの」だからと言って、即ち「他の子が使ってはいけない」という事にはなりません。

「自分の物だけれども、貸してあげることはできるのだ」あるいは、「自分のものでもあり、お友達のものでもあるんだ」という理解へと繋がっていくのです。

「みんなのもの」というのは、至極当たり前な言葉のようでいて、具体的に「誰と誰と誰のものなのか」という問いには答えてくれない為、子どもにとって、実は乱暴な説明でもあるのです。

子どもはそんなこと考えちゃいない?
いえいえ、とんでもない。
ものすんごく理論的に考えています。

その証拠に、「みんなのもの」と何度同じ言葉を繰り返したって、納得してくれないと思います。「ぼくの!」「私の!」と何度も確認してきます。
これは、決してわがままなのではなく、秩序感を確認したいだけなのです。

(ふむ、そこまでいうなら、そうするがいいさ。)

脳内批判隊達も落ち着いたところで、息子とブランコを降りた。丸い目が私をまっすぐと見上げ、こう告げた。

「だめよー!もう一回よー!ブランコもう一回よー!」

近くで地面を啄ばんでいた鳩達が、一斉に飛び立った。

登場人物たち:
私 …頭のキャパの割に新しい事に挑戦しがち。家庭・本格問わずカレーが好き。
息子…この時代になぜか機関車をこよなく愛する2歳児。
脳内批判隊…突っ走りがちな私の頭にブレーキ をかけてくれる、大切な人たち。"私"に甘いので、脳外批判隊の力を大いに要する
iPhone7(秘書)…幾度かの落下を経てヒビが入っている

#育児 #モンテッソーリ #教育 #エッセイ



ひょっとしてサポートをいただけるかもなんて思っているからこそこの説明文を書いているわけですが、貴重すぎるのできっと記念にとっておいたりするのだと思います!「日記でお金をいただけた記念!」とかいって。そして、そんなこと言いながら息子の絵本を買ったりするのだと思います...!