人魚柄の鯉
とある寺の庭を散策していると、ひどく老け込んだ尼さんに出くわした。
ここは観光ガイド本にも紹介されていない、どうということもない普通のさびれた寺のようだ。私も、たまたま道に迷ってきてしまっただけで、べつに用事もなければ、とくに関心があったわけでもない。
なにも期待しないで門をくぐってみたところ、きれいな鬼灯(ほおずき)の実がなっているのに気がついた。だから、そのまま、ふらふらっと、その鬼灯の群生している一画まで、歩いてきてしまったというだけのことである。
しかし、ひとりの気ままな旅というのは、こういうところが醍醐味(だいごみ)なのかもしれない。
三日後には、妻とも、彼女の実家で合流をするのだが、それまでの間は自由なものである。
妻が親元に帰省するときは、いつも私よりも先にたつのがお約束だ。こちらは、仕事を口実にして、ゆっくりと後を追うことになっている。そうすることで、むこうは家族水入らずを、こちらは独身気分を満喫できるというわけなのだ。そうして、おたがいに羽根をのばす、夏のお盆休みはこれがたのしみのひとつだ。ちなみに、私たちには子供はいない。そして、私の実家の方は、自宅から歩いていける範囲にあるのだった。
話しをもとに戻そう。
その尼さんの老婆は、私をみるなりほほえんで、「今朝はいいことがありました」としずかに言った。
ここを訪ねる者はいないので、私のような観光客がいてくれることが、本当にありがたいことなのだそうだ。
たしかに、まわりを見渡してみても、自分たちしかいなかった。早朝だからかもしれないが、犬の散歩やら、体操をしている人など、すこしはいてもよさそうなものである。
なんだか、ずいぶんと人里離れた山奥に、わけ入ってしまったという風情がここにはある。
ひととき、現実の喧騒(けんそう)からのがれて、こうした非日常的な空間に身をおいてみるのはいいことだ。私も、満足をしながら、ていねいにお辞儀をしかえした。
すると、彼女は、「さ、さ、こちらへ……」と、そのまま勝手に、この寺の庭の案内をしはじめた。
「――」私は、なりゆきで、仕方がなく、その尼さんについていった。
もちろん、こころの中では、ひとりの方が気楽でいいのになあと思っていた。なんだか、せっかくの静寂を乱すような、お節介な人につかまってしまったようだ。
ひさしぶりの訪問者が、よほどにめずらしかったのかもしれない。
彼女は、私を、ぐるぐると連れまわしながら、あちらこちらの庭木の種類やら、その手入れの仕方などを、こと細かに話していった。
しかし、急にその足をピタリととめると、深刻そうな表情をみせた。
眉間にしわをよせながら、ひくいうなり声まであげている。
それから、なにかを決心したように、何度も何度もうなずいてみせると、手を叩きながら、私に「いいよね? いいよね?」と、くり返して言った。
それは、質問というよりは、ひとり言みたいだったから、私は、答えることもなく、だまったまま様子をうかがっていた。
「あなたのような人には、ぜひ、あれをお見せしなきゃいけなかった」しばらくしてから、彼女は私にそう言った。
「えっ? 何ですか?」
「池の鯉(こい)なんですけれど、一匹、めずらしいのがいましてね……。まだ、私しか知らないんですけれど。人魚にみえるって、気がするんですよ」尼さんは、なぜか、数珠を取り出しながら、神妙なおももちで、そう告(つ)げた。
彼女にとっては、それが、よほど重大な発見なのだろう。染みだらけの頬が、高揚(こうよう)で赤くなるのがわかった。
「へえ。そうなんですね?」
私は、その手のことには、ぜんぜん興味がわかなかったが、彼女に対しては、とくに突っぱねる必要もない。失礼にあたらない程度に、その鯉だけ見物してから、帰ることにした。
そういえば、以前にも、‘人面魚’ というのが話題になったことがあったっけな、などと思ったりもしていた。こういう場所で、おもしろい色柄の鯉などがみつかると、いきなりそれが観光の名物になったりもする。
いわゆる田舎のビッグニュースってやつだろう。都会から来たものが、それを笑いとばしてはいけないという気持ちもしていた。
その池の淵(ふち)に立つと、彼女はおもむろに手を合わせながら、まるでなにかの呪文のようなお経を唱えはじめた。
これは実際に、かなり不気味な光景だったし、なんだか、背筋がゾクッとするのを感じた。
今年は冷夏なので、日も当たらず、くもりがちなのだが、いまは、ちょっと寒い気さえする。だいたい、田舎は空気が澄(す)んでいるし、都会よりも気温が低く感じるものである。
あたりには、赤紫色の霧(きり)のようなものが立ち込めてきたが、こういう気象現象も地域によってはみられるのだろう。
やたらと幻想的な雰囲気につつまれながらも、私はなるべく平静をたもとうと、あたまの中でひたすらに努力をしていた。
「あ、あの……」それでも、さすがに、お香と魚臭さのまじった匂いまで、漂(ただよ)ってくると、ちょっと鳥肌がたってしまった。
「シーッ」尼さんが、鼻に人差し指をたてる。
「……(汗)」
「来たかな? 来たよね?」彼女は、そうつぶやくと、すうーと息を吸いこんだ。そうして、それを一気に吐き出すようにしながら、「ここへおいで!」と、まるで魔界の扉でも開くように、しわがれた声で大袈裟(おおげさ)に叫んだのである――‼
いきなり、池の水面が、洗濯機のうずのように、ぐるぐると回転をしはじめ、なんとも異様な気配をかもしだしていった。
そして、バシャリ、バシャリと、おおきな水音を立てながら、巨大な一匹の鯉がうずの中心から跳びはねてきた。その鯉は、見事なジャンプで、ふわふわの芝生(しばふ)が生えているところに、上手に着地をして、おとなしく横たわった。
「……」その鯉を、もちろん私は、まじまじとながめていた(つもりである)。
これは、ずいぶんと、よく手なずけられたものだな。魚なのに、すごい芸当だなと感心してしまう。
それと、普通の鯉にしては、かなりのおおきさではあった。
けれども、いままでの尼さんの儀式のようなやり方からして、もうすこし期待をしていた私としては、いささか拍子(ひょうし)抜けをしてしまっていた。
それを察したのか、彼女は、申しわけなさそうに、ていねいに解説をしはじめた。
「見てくださいよ。ここが、目で、鼻で、口で……。もちろん、魚の尾はそのまま、これですよ。ねえ、ほら、髪の毛だって……、ここに、こうして長くたれているでしょう」細長い指で、しめしながら、教えてくれる。
「んんんっ……!」なんということだろう!
彼女といっしょに、その説明をするとおりに目を追っていくと、まさしく人魚の柄にみえてくるではないか。
しかも、見れば見るほど、どんどん女の顔がはっきりとしてきたのだった。
いったん、そのように見えはじめると、もうそれ以外は考えようもないくらいに、はきっりとそこには半魚人の、若くてうつくしい女が寝そべっていた。
私は、おどろきのあまり、なにも言うことができずに、茫然(ぼうぜん)と立ちつくしていた。
もはや、伝説の人魚そのものといえる状態にまで、その鯉は変化していたからだ……。
いま、世界中の摩訶不思議なことが、こうして自分の目の前だけに集中してある。
これを見て、驚かない者はいないだろうし、ひょっとすると、これは人類の歴史をぬりかえるような大発見かもしれない。あらゆる科学の常識を超えているし、これが現実に、こうしてあるという事実が、どれほど貴重なことか、もうわからないくらいだった。
「あっ!」突然、私は落雷に打たれたように、あることに気がついた!
そして、体中から変な汗が出てくるのもかまわずに、できるだけ、すばやい動作で、かばんの中からスマートフォンを取り出した。
写真を……、いや、動画の方がいいのか? とにかく、この人魚を撮影して、保存しなければならないと思った。
「ああっ~~‼」
ちょうど、カメラのシャッターボタンを押そうとした、まさにその瞬間に、なんと人魚は跳びはねて、そのまま池の中へと消えてしまったのだ。
いままで、いたのに! あと、もうちょっとだったのに‼
一瞬で、すべてがむなしく、意味がないものに、おわってしまった気がした。
どんなに奇跡的な発見も、それを記録に残せなければ、つまらない妄想とおなじ価値になってしまう。このままでは、見まちがいじゃないかと、疑われるのがオチとしかいいようがない。
だって、そうだろう? 本物の人魚の存在なんて、だれが信じてくれるだろうか。たとえ信じたとしても、私は、もっと、それをはっきりと証明することができたのだ!
こんなことなら、はじめからスマホを用意しておくのだった。
「あの……、証拠の写真が撮りたかったんですけれど……」私は、すがるような目で、その尼さんに言った。できれば、もう一度、あの人魚を呼び出してほしい。切実に、そう願っていた。
「――」彼女は、なにも答えなかった。そして、それ以上は、なにもしてくれなかった。
その表情は、私のことを、なんて身勝手で傲慢(ごうまん)な人なんだろうと、蔑(さげす)んでいるようにさえみえた。
私たちは、重苦しい沈黙のまま、見つめあっていた。
実際には1分間もなかったことだろう。けれども、私には、たえがたく、もっと長い時間のように感じられていた。
彼女は、無表情のまま、たんたんとした口調で言った。
「鯉(こい)は水の中でないと、呼吸さえできなかったのですよ」
そして、私は、スクープの塊(かたまり)のようなこの寺を、結局、手ぶらのままで、去らなければならなくなった。
門を出るとき、まだ、あきらめきれなくて、さっきの池の方角を、何度も何度もふり返ってしまった。
尼さんのくせに、いじわるなことをする。やっぱり、人魚の情報を私に奪われたくないからではないのか? そんなふうに、彼女のことを、うらめしく思ったりもした。
しかし、あの瞬間の興奮と熱気がさめてくると、今回の出来事をちがう角度からも、みられるようになってきた。
つまり、あの尼さんの顔に書いてあった、「もうしないであげてほしい」ということばの意味だ。それが、私の中でも、どんどん色濃くなって、しみじみと感じられてきたのである。
そして、私は、なにがなんでも情報を公開したがった、自分を恥ずかしく思うようになっていった。
数日後、私は妻の実家へとむかう電車の中にいた。
車窓から田園風景をながめていると、すがすがしい風がどんどん吹き抜けていく。
世にもめずらしい人魚柄の鯉――。
私と、あの尼さんだけしかしらないで、いまも、ひっそりと、あの池の中で泳いでいる。
あのとき、なぜ、私に教えてくれたのだろうか?
もしかしたら、それは彼女にもわからないことなのかもしれない。
おそらく、あんなことは、一生に一度の体験だろう。
もちろん、それは、私にとってという意味である。けれども、あの尼さんにとっても、そうだったのかもしれない。そして、あの人魚にとっても、きっとそうだったのだ。
神秘的なひとときの出会い。
私は、あのとき、あの感動に包(つつ)まれただけでよかったのだ。
私の記憶の中で、いつまでもあやしく、若くてうつくしい人魚の女――。
「もうしなくてもいいよ」私は、やさしく、そうつぶやいていた。
おしまい。
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