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恋愛市場に参入しない仲間を失い、ショックを受けた負け犬の話。

短期バイトをしてたとき、黙ったら死ぬんか!と言いたくなるほどお喋りな人が、バイト仲間たちが世間話をしている様を見て「みんなもっと深い話しないの?」と不思議がっていたことを、ふと思い出した。
あなたの言う「深い」話って何?それって、短期バイトで出会った人とする話なの?
そんな疑問をある日ぶつけてみたけど、はっきりした返事は返ってこなかった記憶がある。なんじゃそれ。あんたの考えはかなり浅いね!

ところで、「深い」話の筆頭は、恋バナではないだろうか。
仲の良い友達にしか話さない本音のなかでも、最も自分の核に近い部分は、恋愛事情であるような気がする。
結婚式の友人代表スピーチとは、言うなれば「彼/彼女と、わが友人の恋愛を間近で見守ってきました」のアピールである。(語弊あり❗)
まあつまり、これはあくまで私の偏見強めの持論だという前提で、話を聞いてほしい。


友達と、恋バナをした

このたび、大学時代の友達と、付き合い3年目にして初めて「深い」話をした。
彼女はアイドルや、サブカル的なマンガや音楽が好きで、そうした嗜好に自分のアイデンティティを見出している。
けれど、彼女はいつも自分の嗜好が恋愛市場においてどんな見られ方をするのかを強く意識している。そして、どうやら自分の嗜好は恋愛市場において不利にはたらくと考えているようだ。だから彼女は、恋愛市場からは戦略的に距離を置いている。(決して逃げているわけでも、負けているわけでもない。というか、むしろ彼女はモテる見た目をしている。)
私は、彼女が恋愛市場から距離を置いているという事実しか知らなかった。恋愛市場に参入したくてもできない負け犬である私が彼女と気が合うのは、彼女もまた、恋愛市場に関心がないからだと思っていた。
その思い込みが覆ってしまった。久しぶりに会った彼女は、めちゃくちゃに恋をしていたのである。しかも傍目には勝ち筋が見えている。

本当にショックである。私はまた市場の外にひとり取り残されてしまった。

「深い」話の相手に選んでもらえない寂しさ

もちろん友達を応援したい。同じ熱量で話せることはないけど。
人は(女子は)いつしか恋バナができる友達と固まるようになる。そうやって私との関係が薄くなったケースを嫌というほど経験している。決して縁が切れてしまうわけではない。友達本人にとって重要なことだが私は知らないという項目が増えていくだけだ。それがどんなに寂しいことか!

すべては、こうした寂しい思いや、私にも大事な話をしてほしいという願いを正直に伝えない私自身のせいなのかもしれないと、今更ながら思う。

私の恋愛へのスタンス(再確認)

やっぱり、私は恋愛に忌避感がある。
だから、友達と「深い」話をする場面になったとき、自分が友達の心に寄り添えていないような気がして、自信がなくなる。まず友達が、私に恋バナなんかないということを知ったうえで気を遣って恋愛の話題を出さないようにしてくれているのではないかと不安になる。あるいは、友達は恋バナをしても私のリアクションや感想がいつもずれているから、実は満足していないのかもしれないと不安になる。

考えすぎだと自分でも思う。
というか、そんなに気になるなら友達に確認してみればいい話だ。なんせ「深い」話ができるほどの信頼関係がある友達なのだから。
真の問題は、友達に「深い」話をしてもらえないことなんかじゃなく、私が恋愛に忌避感を持っていて、それを自分で許せていないことだ。

私の恋愛への忌避感は、つまるところ「未知への恐怖」ぐらいにまとめられるような、単純な気持ちなのかもしれない。
そもそも私という人間は怖がりである。恋愛をしたことがないから、自分がどんな風になるのか分からなくて怖いとか、自分に本当に恋愛できるのか分からなくて怖いとか、その程度の気持ちなのかもしれない。
また、私という人間は結構プライドが高い。自分を高く買っているがゆえに、恋愛できない自分を許せなくて、恋愛に対して逆ギレしているだけなのかもしれない。

私のあり方は、たとえばデミロマンティックなど、セクシュアルマイノリティと言えるのかもしれない。でも同時に、単に精神が幼いだけだと考えてしまう自分もいる。(これはあくまで自分に対して、です。セクシュアルマイノリティ全般に向けての思いでは決してありません!)
いずれにせよ孤独なら、自分で自分を認められるようになるまでひとりで修行を続けるしかないか。少し寂しい気持ちを抱えつつ、そんなことを考えている。

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