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私が美術館にいく理由

私が今note内で唯一入会しているメンバーシップ「オトナの美術研究会」の恒例企画に、初めて参加してみようと思います♪
「毎月ひとつ美術に関するお題を決めてnoteを書いてみよう!」
5月のお題は、「私が美術館にいく理由」

一言で言えば「好きだから」。
でも・・・そこには、深堀りすると何かあるはず。
言語化するの、難しいけど挑戦してみます!

癒しよりも、刺激を求めている

私にとって美術館はテーマパークのようなもの、といつも思っている。今まで見たことのない、新たなものとの出会いの場。こんなに楽しいところは他に無いと思っている。癒しよりも、刺激や驚きを求めている。もちろん絶叫コースターのような身体的な驚きではなく、心に残る静かな驚き。
いつも「初めての表現に出会い、感動したい」という下心がある。

美術館で見ているのは、作品よりも、アーティスト

単純に目の前の作品を鑑賞するというよりは、その作品を制作したアーティストに想いをはせる。現在と過去の作品を見比べて、アーティストの思考や人生を知ることが面白い。存命のアーティストならなおさら面白い。だってまだ変化の途中、そしてリアルタイムだからだ。結果である作品よりも、それができる流れや過程が面白かったりする。「推し」というやつですね!

忘れられない美術館での感動体験

人生で忘れられない作品がいくつかある。
まず1つ目は、学生時に短期留学で約1ヶ月滞在したイギリス。現代美術館・テートモダンで見た、壁のように大きなモネの絵。18年前の記憶だが、全体的に緑色で、庭のような絵、だったような。一眼見て、美しさに動けなくなった。大袈裟だな〜と思われるかもしれないが、当時19歳だった私は、本当に心から感動したのだ。悩み多き画学生だった頃、おそらくこれがアートで感動した初めての体験だ。

2つ目は、香川県・直島の地中美術館、ジェームズ・タレルの作品。光そのものが作品になっていて、作品という空間に自分自身が入っていく、体感型の作品。
直島は今では有名になった現代アートの島で、何度も訪ねている。他の島も含め、素晴らしくレベルの高い現代アートが多数あるが、最初にこの作品を体感した時は本当に驚いた。人生で味わったことのない美しい体験だった。
まだ訪れていない方は是非。3年に1度の瀬戸内国際芸術祭が無い年でも、直島ではたくさんの現代アートを見ることができる。

ジェームズ・タレルの作品。写真では伝わりきらない美しさが。

最後に紹介したいのは、2013年、東京都現代美術館での展覧会「アートと音楽」で出会った作品。記憶はおぼろげだが、確か入ってすぐにあった。室内に大きな浅いプールのような水場があり、そこに様々な大きなの陶器の器が浮かんでいる。無造作に、偶然的に優しくぶつかり合う器たちが美しい音を鳴らす。その音が重なり合い、美しい空間になっている。

種もしかけもない、単純明快に美しい作品。

このような素晴らしいアート作品との出会いは、他ではできな感動体験だと思う。

正解のない表現や思考が見える、最高の学びの場

美術館へは基本的に子どもと一緒に行く。3歳の娘と7歳の息子と、両手で手を繋ぎながら見る(学芸員さんに子どもと手を繋いでと言われるので)。

美術館は子どもにとっても他にないくらい、最高の学びの場だと思う。展覧会にもよるが、取り上げられているテーマが展示によって幅広く、しかもすべて実体験だ。息子のリアクションは、よっぽどじゃなければ「なんだこれ〜」といった様子だが、それでも構わない。長い目で見て、足を運んだ数々の展示、体感した作品から、何か感じてくれたら良いなと思っている。ジャブのように。もちろん作品を見て、「お〜〜きれい〜〜〜!」と素直に感じている場面だってたくさんある。

展示を見たあとは、できるだけ展示についての会話をするようにしている。「一番覚えてる作品を言い合おう!」「あの作品、何が言いたかったんだろうね〜。」「あの絵は◯◯に見えたな〜」など、たわいもない会話だけれど。


香川県・猪熊弦一郎現代美術館
いつも入り口前の広場で人遊びしてから入館。

私が美術館にいく理由。一言でいうと「好き」だからなのだけれど、自分の「好き」を分解してみた。こう書いてみると、なんだか他にもまだあるような気がする・・・!思いつたらまた他の記事で書いてみたいと思います!


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