Hejin

50代 看護師 独身 関西在住  両側乳がん トリプルネガティブ(pCR)  B’zと…

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50代 看護師 独身 関西在住  両側乳がん トリプルネガティブ(pCR)  B’zと韓国文化、海外旅行が好きです  2024年4月18日に全治療完遂しました これからも日常のことなど書いていきます

マガジン

  • 乳がん無治療の日々

    治療が終わってからのあれこれ

  • 術後のキイトルーダ開始

    さぁ、最後の治療、締まって行こう!

  • 放射線療法

    2023年9月25日〜10月30日 まじめに毎日通院する私

  • 初めての全身麻酔と手術

    2023年8月16日 左胸全摘+リンパ節郭清 2023年9月13日 右胸全摘+センチネルリンパ節生検 に挑む私

  • 術前の化学療法後半戦

    キイトルーダ+EC療法をさらにがんばる私

最近の記事

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はじめまして!

はじめまして!今年も残すところあと3日・・・ コロナの行動制限もなく日本国民の皆さんは、仕事もひと段落、家族に友人達に会いに楽しい年末を送っておられるでしょう。 そんな中、「乳がん発症しました」っていうどんよりなブログを書いている私・・・ 世の中には、こんな年末年始を送ってる人もいるんだなくらいに読んでいただければ幸いです。 ま、こんなウキウキするような時期にわざわざ読む人もいないか・・・ まずは、自己紹介から。 関西在住、50歳代、看護師。 旅行、外食、買い物と常にソロ

    • 5月はエンタメ祭り② Tak Matsumoto/B'z

      おおおお! 待ちに待った、松本さんのソロツアーに参戦してきた。 B'zのファンですと言うと、稲葉さんかっこいいよねとよく言われる。 もちろん稲葉さんは完璧にかっこいいし、歌はすごいし、B'zといえば稲葉さんだろうと思う。 私も、初めはミュージックステーションで『ねがい』を歌う稲葉さんに勝手にロックオンされて、聴けば聴くほどB'zのかっこいい音楽の世界にどっぷりはまっていった。 その後も御多分に洩れず稲葉さんファンであった。 しかし確か、2000年のLIVE-GYM Ple

      • 「女3人、かしましい熱海温泉の旅」

        熱海温泉に行って来た〜! 温泉旅行なんて何年ぶりだろう。 コロナで規制生活を3年送り、いよいよ活動開始と思ったところに乳がんになり。 去年、友人達に会いに広島を訪れたけど、今回のような『THE 旅行』は本当に久しぶりだ。 乳がん治療の目処がたったころ、広島の元上司Kさんと、先輩のYさんが、「治療が終わったら温泉に行こう!」と誘ってくれた。 「えぇ〜両胸ないのに温泉なんか行けませんよ...」と躊躇していると、「何言ってるの!部屋に温泉がついてるところに行けばいいのよ。それぐ

        • 「5月はエンタメ祭り① SUGA/BTS」

          先日ふらっと、BTSのSUGAがソロで活動しているAgust Dのライブムービーを観に行って来た。 私は、御存知B'z信者であるが、時々K-POPも聴く。 初めて、ONのMVを観て絶句した。 ナニ!? この人ら... すごいな! もはやアイドルとかの領域ではなく、彼らのダンスは私から観ると芸術だった。 語ると長くなるので割愛するが(じっくり聞きたいわと言う方は、毎日暇しておりますので、どうぞお越しくださいませ)、 初めは可愛らしいジミンちゃんに心を奪われ(完全にオバハ

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        記事

          終わった〜!!

          ついに、2024年4月18日最後のキイトルーダの投与を受けて、治療が終わりました。 ここまで、私を支えて励ましてくれた友人達、弟、亡くなった両親(ずっとそばにいてくれた気がする)、治療して下さった主治医と乳腺外科の先生方、医療関係者のみなさん、本当にどうもありがとうございました!! そして、4月30日をもって退職しました。 本来ならすでに退職していた職場でしたが、退職を撤回させてもらって在籍しながら治療を受けました。 申し訳ない気持ちでいましたが、今は労働力で十分お返しはし

          終わった〜!!

          「広島の街で」

          どうしても会っておきたい人が3人いた。 今までなら、「機会があれば会おうね」「時間があったら会おうね」といったところだったけれど、がんという病気を発症してからは、あらためて命には限りがあることを実感したし、大好きな人達と永遠に無限に会えるものではないことも自覚した。 だから、この3人には必ず時間を作って会っておきたかった。 遡ること去年の11月の初旬に広島を訪れた。 放射線治療が終わって職場復帰まで2週間。 仕事が始まれば休みは治療と休息に当てることになるだろうから、2週

          「広島の街で」

          「始まれば終わっていくね」

          あっという間の1ヶ月だった。 この1ヶ月はとにかく仕事仕事仕事で、毎日が疲労困憊だった。 というより現在進行形なので今も疲労困憊中。 上司が3月初旬に退職し、その下の上司は好き勝手に休んだり昼から帰ったりするので、管理職がいないまま平社員の私たちが走り回る毎日だった。 『ワタシ、マダガンノチリョウチュウナンデスケド・・・』 やっぱりこんな職場にいてはいけない。 そんなモヤモヤの中、確実に時は経ち一つずつ卒業式を迎えている。 ごっそり無くなった髪の毛もだいぶ生えてきて、サ

          「始まれば終わっていくね」

          「コロナはつらいよ」

          ついにコロナに感染した。 2月に入って、勤務先の病棟でコロナ陽性患者が出た。 私も関わっていた患者だったので、いや〜な予感はしたけど、やはり数日後に私も風邪症状から始まって、発熱、倦怠感と症状が続いた。 勤務先でもらっていた、簡易の抗原検査キット(れっきとした医療機関が簡易のキットなんか使うなよと言いたいところ)で調べたけど、2回とも陰性だった。 私は、キイトルーダの副作用で副腎機能が低下していて、毎日コートリルという薬でステロイドホルモンを補っている。 体調が悪い時、

          「コロナはつらいよ」

          「生きてるっていいね!」

          先日、友達と明石まで電車の旅をした。 実は、その友達が2月に持病の手術をすることになったので、私から、ちょっと遠出しておいしいもの食べて気分転換でもしようよと誘ったのだった。 手術が決まった時の友達はすごく落ち込んでいたけど、考えていたほど重症ではなかったことがわかって、魂がどこかへ行ってしまっていた友達はすぐに自分を取り戻していた。 この病気になって、治療をしてつくづく思うことがある。 食べることは生きることだ。 私は、さいわい味覚異常はほとんどなかった。 EC療法の終

          「生きてるっていいね!」

          「えらいこっちゃからがんばらないへ」

          年末年始もフルで働き、本格的に仕事復帰して1ヶ月以上が経った。 足腰の痛みと肩こりはあるけれど、思ったより元気元気💪 怠くて1日寝込むとかいうこともなく、出勤していた。 が、しかし。 先週はキイトルーダの投与日だったのに、初めて寝坊をしてしまった。 アラーム2回とFM放送をもろともせず眠り続け、起きたらバスに乗る時間だった。 普段なら(寝坊なんかしたことないけど)慌てて準備するところを、 「ま、そんなこともある。慌ててもしょうがない。バナナでも食べてタクシーで行こう。」と切

          「えらいこっちゃからがんばらないへ」

          「そうだ、京都へ行こう!」

          あっという間に1月も半ば。 仕事に復帰してから、足腰の痛みと肩こり、疲労感はあるものの比較的元気に働けている。 ありがたい、ありがたい。 キイトルーダの投与は、1コース目は200mgを1回(3週ごと)投与したが、大きな副作用がなかったので2コース目からは400mgを1回6週間ごとのサイクルになった。 病院に行く間隔が開くので、休みを通院以外に使えてうれしい。 毎週公休をパクリタキセル投与に当てていた去年は、それはもう大変だったから。 体調もいいし、お天気もいいし。 そうだ

          「そうだ、京都へ行こう!」

          「さようなら2023年、そしてありがとう」

          2023年が終わって行く。 今年といえば、 『乳がんとその治療』 ただもうひたすらそれだけだった。 心の中は不安しかなかったし、頭の中は『乳がんとその治療』のことと、どうやって生活していこうかそればかり考えていた。 金太郎飴のように切っても切っても『辛』。 辛いの文字しか出てなかった。 私の今年の漢字一文字は『辛』である。 今度京都の清水寺で、でっかい毛筆でばばーっと書いてみたい。 長くて短い一年だった。 全力で駆け抜けて、休憩する暇もなかった。 まだもう少し続くけど

          「さようなら2023年、そしてありがとう」

          「いつかのメリークリスマス」

          早いもので、もう今年も残すところあと1週間になってしまった。 12月4日に退院して、6日から復職した。 さいわい熱がぶり返すこともなく、すこぶる元気に過ごしている。 入院中は、辛くてしょうがなかったけど、2週間びっしり抗生剤を投与して本当によかった。 看護師長さんに、「ここはがんばりどころですね。今治療をやめてしまうとまたぶり返してしまうから。」と言ってもらったけど、 ultra soulで頑張ってよかった。 B’zのお二人、ありがとう。 あ、師長さんもありがとう。 11

          「いつかのメリークリスマス」

          「幸せの伏線」

          ポート抜去したところを抜糸してもらい、テープ固定だけになった。 3cmくらいの傷がすーっと一文字。 1年間ここから抗がん剤を投与した。 まだもう少しキイトルーダの投与が残っているけど、 『ワシももう疲れたで。』 と私の身体から飛び出したかったのかもしれない。 そうか、ポートは関西のおっちゃんやったんか。 梅吉さんみたい。 最近お酒を呑んでよく玄関で寝てるな。 同士よ、1年間どうもありがとう! おっちゃんのおかげで1年間抗がん剤投与できたよ! いよいよ明日退院になった。

          「幸せの伏線」

          「KANさんに想いを馳せる」

          11月12日に、シンガーソングライターのKANさんがお亡くなりになった。 私がそれを知ったのは、11月17日午前中の仕事を終えて、インドカレーのランチを食べている時だった。 注文したカレーが来るまでに見ていたスマホの画面を見て絶句した。 言葉に詰まって涙が出た。 それを見たインド人が不思議そうな顔をしたけど、すぐに私から関心を無くしてくれたのがありがたかった。 私は20代の頃KANさんが好きで、ライブにも必ず行っていた。 きれいでポップなピアノの音と、一つの物語のような

          「KANさんに想いを馳せる」

          「私は ultra soul だ!」

          11月25日(木) 熱も下がり体調は落ち着いてきたが、1日4回の抗生剤投与はかなりのストレス。 抹消血管が取りにくいからポートを造設したのに、それが感染して1日4回も点滴じゃあ本末転倒ではあるが、仕方がない。 1週間くらいの入院なら、今回はもう誰にも知らせずにひっそり治療しようと思っていたが、2週間は確定、もしかしたら4週間になるかもと聞いて、色々足りないものが出てきた。 どうしようかな、友達に連絡しようかなと思っていたらちょうどLINEが来た。 すごい以心伝心、本当にあ

          「私は ultra soul だ!」