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マラの苦い水と1本の木 エデンの園④

シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回はエデンの園シリーズの第4弾です!

聖書:エデンに帰る物語に書きました、聖書の物語にはエデンに帰るという大きなテーマがあります。
このテーマをたったの6節で連想させる見事な聖書箇所を紹介します。(出エジプト15:22-27)


モーセが海を割ってからたった3日後の出来事

モーセが海を割ってからの3日間、イスラエルの民は約束の地に向かって荒野を進んでいきます。

モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。しかし、彼らには水が見つからなかった。

出エジプト記 15章22節
聖書 新改訳2017

彼らは水が見つからないままマラという場所にたどり着きますが、マラの水は苦くて飲むことができません。(ヘブライ語でマラמָרָהは苦いという意味です)

民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。

出エジプト記 15章24節
聖書 新改訳2017

エジプトの10の災いとモーセの海割りを目の当たりにしたイスラエルの民は神様を信じ続けることができず、不平を言います。

神様を賛美するモーセとイスラエルの子らの歌(出エジプト15:1-21)の直後にこの出来事が記させれていることにも意図が感じられます。

水を甘くする1本の木

キリストが十字架で処刑される1000年以上前のこの出来事は
キリストの十字架を預言しているように感じます。

モーセが主に叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水の中に投げ込むと、水は甘くなった。主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、

出エジプト記 15章25節
聖書 新改訳2017

この苦い水を甘くする1本の木は、聖書の生命の樹(セフィロト)とは? にも書きました聖書のテーマであるに注目すると、キリストの十字架に集約することが分かります。

さらに、聖書における水とは?にも書きました、マラの水は聖書ののテーマにも関連し、木のテーマ同様にキリストの十字架に集約します。

暗闇・混沌をあらわす水がいのちの水に変わるというテーマが見事に再現されています!

エデンを連想させるエリム

こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。

出エジプト記 15章27節
聖書 新改訳2017

聖書の中には一時的なエデンを連想させる場所が数多く登場します。(代表的なものとして幕屋や神殿など)

このエリムという場所も一時的にエデンを連想させるように感じます。

それはなぜなら

十二の泉
→12部族全員が十分に満たされる

七十本
→エジプトに来た70名のヤコブの家族(出エジプト1:5)
聖書の「7」にも書きました、7という数字にも関連し、エデンを連想させる

という一つの解釈ができるからです。

最後に

今回の記事も一つの解釈としていかがでしょうか?
聖書にはこのように短い記述でもたくさんのメッセージが込められています!

エデンの園シリーズまだまだ続きます!

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参照

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