マラの苦い水と1本の木 エデンの園④
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回はエデンの園シリーズの第4弾です!
聖書:エデンに帰る物語に書きました、聖書の物語にはエデンに帰るという大きなテーマがあります。
このテーマをたったの6節で連想させる見事な聖書箇所を紹介します。(出エジプト15:22-27)
モーセが海を割ってからたった3日後の出来事
モーセが海を割ってからの3日間、イスラエルの民は約束の地に向かって荒野を進んでいきます。
彼らは水が見つからないままマラという場所にたどり着きますが、マラの水は苦くて飲むことができません。(ヘブライ語でマラמָרָהは苦いという意味です)
エジプトの10の災いとモーセの海割りを目の当たりにしたイスラエルの民は神様を信じ続けることができず、不平を言います。
神様を賛美するモーセとイスラエルの子らの歌(出エジプト15:1-21)の直後にこの出来事が記させれていることにも意図が感じられます。
水を甘くする1本の木
キリストが十字架で処刑される1000年以上前のこの出来事は
キリストの十字架を預言しているように感じます。
この苦い水を甘くする1本の木は、聖書の生命の樹(セフィロト)とは? にも書きました聖書のテーマである木に注目すると、キリストの十字架に集約することが分かります。
さらに、聖書における水とは?にも書きました、マラの水は聖書の水のテーマにも関連し、木のテーマ同様にキリストの十字架に集約します。
暗闇・混沌をあらわす水がいのちの水に変わるというテーマが見事に再現されています!
エデンを連想させるエリム
聖書の中には一時的なエデンを連想させる場所が数多く登場します。(代表的なものとして幕屋や神殿など)
このエリムという場所も一時的にエデンを連想させるように感じます。
それはなぜなら
十二の泉
→12部族全員が十分に満たされる
七十本
→エジプトに来た70名のヤコブの家族(出エジプト1:5)
→聖書の「7」にも書きました、7という数字にも関連し、エデンを連想させる
という一つの解釈ができるからです。
最後に
今回の記事も一つの解釈としていかがでしょうか?
聖書にはこのように短い記述でもたくさんのメッセージが込められています!
エデンの園シリーズまだまだ続きます!
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参照
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