男性を「助ける」ために創造された女性?? 聖書考察⑤
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回は創世記の女性の創造と「助け手」という言葉について考察していきます。
男性の「助け手」としての女性?
「助け手」という言葉(英語ではよくhelperと訳されます)から、
女性は男性を「助ける」ために神様によって創造された
と解釈されます。
このことによって、
男性>女性
といったヒエラルキーが出来てしまい、聖書の神様がそのように創造されたのだからと正当化する主張が見られます。
しかしながら、聖書が書かれたヘブライ語を見るとそうではないということがわかります。
ヘブライ語で「助け手」はעֵזֶר(エゼル)という言葉です。
助け手(エゼル)が使われている他の聖書箇所に注目
この「助け手」עֵזֶר(エゼル)という言葉はヘブライ語(旧約)聖書において16回登場します。
創世記2章においては女性に対して使われる言葉ですが、天地創造の場面以外では
全て神様の「助け」を表す時に使われていることに気づきます。
単なる「助け」「助手」として女性が創造されたわけではないということが読み取れます。
創世記で神様が初めて「良くない」と言われる
聖書の「7」 聖書のことば遊びでも書きましたように、神様は創造に対して7回「良い」とされています。
アダムのふさわしい相手が見つからなかった時に、神様は初めて「良くない」と言われます。
*このふさわしいという言葉の意味も議論されていますが長くなるので興味がある方は参照をご覧ください
何が「良くない」のでしょうか?
それは
アダムが一人ではこの祝福を受け継ぐことが出来なかったからではないでしょうか?
エデンの祝福を成就させる女性
ヘブライ語の助け手」עֵזֶר(エゼル)という言葉からも分かるように、聖書において女性はただ単に男性を「助ける」ために創造されたのではありません。
むしろ、このエデンの祝福(詳しくはこのシリーズ)を成就する/完成するために必要不可欠であったため、人類を助ける(救う)ために女性が創造されたということが言えます。
天地創造の聖書箇所は男性>女性というヒエラルキーを訴えるための聖書箇所ではないということになります。
最後に
それでは次の章で登場する神様の言葉
はどうなのかということを考えますが、
これは人間が知恵の実(エゴの誕生)を選び取った結果起きてしまったことです。
(産みの苦しみもよく神様の一方的な呪いとして誤解されているのでヘブライ語の言葉の考察と共に別の記事で書きます)
つまり、聖書の神様が人間を創造された時点では
男性にも女性にもヒエラルキーが無かったということ(そもそも他人と比べるということが無かったということ)
ではないでしょうか?
参照
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