善悪の知識の木は神様の愛? 聖書の神様①
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回は聖書の神様シリーズの第一弾です。
以前、生命の樹に注目しましたが、今回は善悪の知識の木に注目します。
自由意思を象徴する善悪の知識の木(知恵の樹)
なぜ神様がわざわざ善悪の知識の樹をエデンの園の中心に生命の樹と共に置いたのかという大きな疑問がありますが
これは神様が人間に自由意思を与えたということを象徴しているのではないでしょうか。
神様ご自身の臨在を表す生命の樹を含むエデンの園にあるすべての木からは食べてもよいが、唯一善悪の知識の樹からは食べてはならないと神様は言われました。(創世記2:16-17)
生命の樹・善悪の知識の木(知恵の樹)を選択する自由意志がなければ、人間はただのロボットになります。
つまり、人間が背く可能性があると分かりながらも、善悪の知識の木・生命の樹を園の中心に置いたということが神様の愛を象徴するのです。
愛である神様の意思に反することを象徴する
神様自身が世界を作りそのすべてを支配しようと思えば簡単にできました。
だけどそうではなく、創世記にもあるように創造された新しい世界を
天の被造物 (詳しくはこの記事)
地上の被造物
と共に支配をしようとされました。
そんなGive(ギブ=与える)をされる愛の神様ですが、残念ながら人間と霊的被造物はどちらもエゴ的なTake(テイク=自分達のために取る)をしてしまいます。
その代表的な物語が
人間(創世記3章)
霊的被造物(創世記6章1-8節)
目に美しく見えたものを取るというモチーフ
人間と神の子らはどちらもそれぞれの目に美しく/良く見えた(ヘブライ語の語根のר.א.ה)ものを自分のために取ります(ヘブライ語の語根のל.ק.ח)。
目に良く/美しく見えて
取る/選ぶ
というテーマは聖書の中で数多く登場します。
エジプトでのアブラハムとサラ(創世記12:15)
ソドムを選ぶロト(創世記13:10-11)
ディナを辱めたシェケム(創世記34:2)
ポテイファルの妻とヨセフ(創世記39:14)
エジプトでのヨセフと兄弟たち(創世記43:16)
金の子牛を作るアロンとイスラエルの民(出エジプト32:1,32:4)
アロンの杖の芽吹き(民数記17:9)
モーセの青銅の蛇(民数記21:8-9)
→この場面ではこのモチーフが逆説的に使われていように感じます
→青銅の蛇を見た者は生きますアカンの欺き(ヨシュア記7:21)
サムソンとデボラ(士師記14:2)
洞穴でのダビデとサウル(サムエル記第一 24:11)
→この場面ではこのモチーフが逆説的に使われているように感じます
→ダビデはサウルの命を取りません
などなど、ヘブライ語の見る(語根ר.א.ה)、取る(語根ל.ק.ח)、選ぶ(語根ב.ח.ר)が使われている一部の例です。
目に良く/美しく見えて
取る/選ぶ
というテーマに注目して聖書を読むと様々な気付きが得られます。
最後に
クリスマス(キリスト誕生)の星が表すものとは? 古代の星①にも書いたように、聖書において霊的被造物は人間の前に創造されました。
このことにも関わらず
生命の樹・善悪の知識の木(知恵の樹)を選ぶ選択権を与えた神様の愛を善悪の知識の木は表しているのではないでしょうか?
さらに
人間に自由意志を与えた時点で、すでに救いの道(キリストの預言)を備えてくださっていた神様の愛がわかります。
聖書の神様シリーズ続きます!
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