ヨナを食べたのは鯨or竜? 竜と蛇④
シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回は聖書の大きなテーマである竜と蛇シリーズの第4弾です。
本来神様に願われていること/いのちが願っていることを考えさせられるヨナ書。
そして、ヨナを食べた大きな魚が象徴するものに注目していきます!
ヘブライ語を見てみる
旧約聖書はヘブライ語で書かれているので、まずはじめにヘブライ語を見てみましょう。
ここでまず注目したいポイントは魚という言葉です。
1章17節
魚に対して男性名詞のדָּ֣גが使われています
2章1節
魚に対して女性名詞のדָּגָֽהが使われています
つまり初めて魚が登場する時は男性名詞が使われており、その次の節では女性名詞が使われています。
著者には何かの意図があったかのように感じます。
ギリシャ語を見てみる
次に七十人訳(ギリシャ語の旧約)聖書を見てみましょう。
ここで注目したいポイントはギリシャ語訳の魚はκῆτος(ケトス・ケトース)になっているということです。
この言葉を調べてみると大きな魚のみならず、海の怪物•獣という意味を持つことが分かります。
さらに、聖書でなぜ竜・蛇が悪の象徴になったのか?にも書きました、
ヘブライ語の海の獣תַּנִּין(タニン)は七十人訳(ギリシャ語の旧約)聖書でこのκῆτος(ケトス)に訳されていることが分かります(創世記1:21など)。
つまり、暗闇•混沌を象徴する海の獣תַּנִּין•κῆτος(タニン•ケトス)がヨナを飲み込んだという一つの解釈ができないでしょうか?
キリストがどのように考えていたのか
新約聖書のキリストの言葉に注目してみます。
七十人訳(ギリシャ語の旧約)聖書同様、キリストはギリシャ語κῆτος(ケトス)を使われています。
1. エデンの園を連想
神様の声を聞いたヨナは預言者としてニネベに行くように言われますが、ヨナは反対の方向のタルシシュへと逃げます。
神様の願いとは反対の行動を取り、暗闇•混沌をあらわす海へと逃げるわけです。
海の中で大きな魚(海の獣)に飲み込まれるというのはエバと蛇の場面を連想させます。
私たちも日常生活の中でこの暗闇•混沌に囚われることがあります。
この暗闇•混沌を他の言葉で影や悪魔などと様々な表現ができます。
本来神様に願われていること/いのちが願っていることをできないままこの暗闇•混沌に支配されているのではないでしょうか?
2. ヨナと鳩
私がヨナ書が大好きな理由はヨナが暗闇•混沌の深淵にいても「希望」があるからです。
大きな魚(海の獣)の中でヨナは神様に祈ります。(ヨナ書2章)
そして、ヨナはいのちの源である神様へと立ち返ります。
ヨナיֹונָהという言葉はヘブライ語で鳩をあらわします。
聖書の中で鳩יֹונָה(ヨナ)は様々な場面で登場します
ノアとオリーブの枝
神様への捧げ物としての鳩
神様の霊
さらに、鳩に帰巣本能(伝書鳩など)があるように、ヨナ(鳩)も最終的にヨナ書のはじめの声に帰るわけです。
ヨナはニネベに向かい、主のことばを伝えます。
そして、ニネベの人々は悔い改めて神様に立ち返ります。
3. キリストの十字架の預言
他の聖書のテーマ同様、ヨナの物語もキリストの十字架に集約します。
ヨナが大魚(暗闇•混沌)の中にいた3日3晩がキリストの受難の3日3晩と繋がります。
神様の声を聞いて逃げたのにも関わらず、ニネベの人々を立ち返らせたヨナ。
これに対して
神様のみこころに従い(ルカの福音書22:42)、自分の命さえも惜しまなかったキリスト。
私たちは聖書を通してキリストから学ぶべきことが多くあります。
最後に
キリストはご自身の受難と復活をヨナに例えて預言されました。
ヨナの宣教はニネベ全体が悔い改め、赦されるという素晴らしい結果でした。
キリストの十字架の救いと、その後の世界宣教に重ねて考えてみると大きな希望が湧きます。
今回の考察もヨナ書の一つの解釈としていかがでしょうか。
竜と蛇シリーズまだまだ続きます!
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参照
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