ショートショート トラネキサム酸笑顔
カメラマンの宝さんはため息をついた。こいつは厄介だ。肩掛け鞄の紐を掛け直す。「こっち向いて笑って」もう一度呼びかけた。
「ああ。はい」
ようやく椅子に座った老院長が顔を上げる。口がぼんやり開いていた。
「写真撮ります。チーズ!」
カメラを構える宝さんに院長の眉毛が動く。
「チーズは、控えめに。若い人ならいいがあんたみたいな中年は何でもかんでも食えばいいってもんじゃない」
「すいません」
看護師が宝さんに謝った。開業30周年の記念写真をと宝さんを呼んだのは院長の方なのだ。
「困りましたね」
宝さんが頭を抱えた。
「頭痛かね? バルプロ酸出そうか?」
院長が宝さんを見た。この人は仕事にしか興味がないんだな、と思った宝さんは今度は右肩をさする。
「関節痛もありまして」
「ヒアルロン酸も入れとこう」
「口内炎も酷い」
「トラネキサム酸」
ぱちり。「さん」で緩んだ口元を逃さずシャッターを切る。
「良くなりました」
宝さんがにっこり笑った。
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今週のお題は「トラネキサム酸笑顔」です。
「モカ入り卒業式」をたらはセレクションに選んでいただいています。(地口落ちでごめんなさい)どうもありがとうございます!