見出し画像

ショートショート ビンゴゲーム

 木枯らしが吹いて肩を縮めた。久しぶりに訪れた公園は遊ぶ子供もなく、古い遊具のペンキがはげかかっていた。

 ちょうど十年前の午後だ。競馬でひどく負けた日だった。財布にはかろうじて小銭が残っているだけだったが、帰り道にコンビニで酒を買った。家まで辛抱できる心境でもなく、道沿いの公園のベンチに座った。蓋を開けて、あおる。音を立てて風が吹いた。公園の砂が舞い上がって、思わず目を閉じた。

「やあ」

まぶたを開ける前に声がした。左の耳のすぐそばだ。目を開けて、声の方を向くと同じベンチの左隣に見知らぬ男が座っていた。高そうなコートに、帽子をかぶっている。今どき街ではあまり見ない古めかしいデザインだ。帽子の下の口がにいと笑って、思わず「ひい」と声が漏れた。

「調子は、いかがですか」

昔からの知り合いのような親しみのある、それでいて耳の中を吹き抜けるような涼やかな声だった。

「……知り合い、でしたっけ?」

おそるおそる聞いてみる。男が笑顔で首を振った。

「いいえ。でも、私はあなたを昔から存じ上げておりますし、あなたも、私をご存知だと思いますよ」

こんな金持ちそうな知り合いなんていただろうか。記憶をたぐろうと男の顔を見る。男は照れもせずに私を見つめ返した。

「私は、いわゆる悪魔です。ヒトの魂を食して暮らしております。中でも苦悩を知らない、汚れない魂が好物でね」

す、と音もなく男の右手が私の左胸、心臓の上を触った。驚いて身を引こうとしたが体が動かない。

「あなたは私の好みにあうようだ。こんな日の高いうちから能天気に酒を嗜んでおられるのですから」

「俺にだって、悩みくらい、ある!」

声を絞り出した。男の手が胸から外れた。

「いえ。私の見込みではあなたは人生を真剣に生きられないタイプです。賭け事ぐらいにしか興味がないでしょう。あとは、資金ぐらいですか。大変、結構な魂をお持ちだ。人生の困難に疲弊していない」

「あるっつってんだろ!」

「根拠のない仮定はただの妄言です。そうですね。ひとつ試してみましょう」

男が私の胸から離した右手を私の目の前に突き出し、人差し指と薬指をひねった。瞬時に指の間に正方形のカードが現れる。手首を返して私にカードを差し出した。

「十年差し上げましょう。証明してください。ビンゴカードです。あなたが一つでも列を揃えられたら、あなたの勝ちだ。なんでも一つ願いを叶えて差し上げます」

「ビンゴカード?」

「揃えられなかったら、私の勝ち。魂をいただきましょう。それじゃ」

また強い風が吹いて、反射的にまぶたを閉じた。寒い。目を開けて隣を見ると男はもういなかった。右手にカードが残っているだけだ。確かに縦横に五つずつ区切られたマスがある。マスごとに文字が書いてあった。

「初回はサービスです」

さっきの男の声がして、急に真ん中のマスが光った。光がおさまるとマスに『済』の字が赤く刻印された。マスの中には黒字で『悪魔に魂を狙われる』と書いてあった。

 カードを調べるうちに血の気が引いた。マス目に書いてあるのは全部『悩み』だった。『部下と上司の板挟み』『経営する会社の事業承継』私は経営どころか、そもそも何ヶ月かのアルバイトを点々としたことしかない。『結婚』『子供の将来』女は学生の頃以来縁がない。『親の介護』『故郷の過疎化』大学を出たと同時に家も出た。連絡もしていない。

「十年」

つぶやいた。とにかく時間がなかった。

 それからは大忙しだ。アパートの金をかき集めて散髪に行った。借り物のスーツで職探し。出会い系アプリも入れた。うろ覚えの実家の住所にハガキを出す。表には『元気か』とだけ書いた。

 ひとつ悩むたびにビンゴカードに『済』の文字が浮き出る。その日暮らしの頃には知らなかった悩みがたくさんあるのを知った。先日、娘が生まれてカードが光った。ようやく一列揃ったのだ。約束の十年ぎりぎりだった。

「やあ」

十年前と同じ場所に男は座っていた。私はビンゴカードを見せた。男がにっこり笑った。

「おめでとう。あなたの勝ちだ。望みのものをおっしゃってください」

息を吸う。答えはもう決めていた。

「次のビンゴカードが欲しい。まだ知らない、新しい悩みを知りたいんだ」

ショートショート No.709