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エッセイ 東風吹かば

 梅の花には苦い思い出がある。

 大学の終わり、4年生に書いた公募の台本が関西の人形劇のフェスティバルの公募に残り(この公募はもうない)、表彰式と上演を見に行った。近くに天神社があり、早咲きの梅が咲いていた。

 縁ができて、それから数年、私は上演してくださったアマチュア劇団に年に1つ程度の台本を書いた。初演を観に行くのは春の初め。行く時はいつも天神社に寄る。(そして近くの商店街でたませんを食べる)。毎年、写真フォルダに梅の花が一輪増える。

 会社の合間を縫って大学の練習場に通い、大学サークルのつてなどで集めた方達と公演もしていた。といっても年に数回できればいい方で、人形を作る時間すら足りない。残業が多かった部署におり休日の確保が難しく、夜に会社と大学を往復した挙句、帰宅中、ホームに立ったまま突然寝てしまったり、自転車運転中に寝てしまったりして、続けて行くのは難しいと自覚せざるを得なくなった。

 上演自体をやめても数年、私は関西のアマチュア人形劇団に台本を書いた。台本が私の関西行きの切符だった。程なく会社や家族や、そしてなにより人形劇を続けられなかった自分の情けなさと自己嫌悪に捕まった私は台本を全く書けなくなって、書けなくなった私にも、定期公演の案内は届いた。

 申し訳ない。そういう気持ちでいっぱいになりながら、梅の花の季節に人形劇を観に行く。「また書いてね」そうい言いながら先方が笑って迎えてくれる。ごめんなさい。また書いて来られなかった。ごめんなさい。もう書けないかもしれない。

 コロナの流行った初めの年から、公演案内は来なくなった。「また書いてね」が間に合わなかった、と思った私はふと、大学時代の友人のために書く約束だった台本を書き始めた。私の書いた台本をいつも読んでくれた人だった。そして自分でも驚くことに、何年も書けなかった台本はすんなり書き上がった。

 印刷し、封筒に入れて友人に送る。数日して「忙しくて読んでいる暇がない」という謝罪の手紙が届いた。大学を卒業して数年が経つ。彼女はもう家庭がある。もっともだと思った。私は、また間に合わなかったのだ。賞味期限切れの約束を覚え続けている自分が強烈に恥ずかしかった。

 毎朝、散歩に行く神社にも梅の花が植っている。天神さんはなかなか人気のある神様だ。東風吹かばにほひをこせよ梅の花。梅の花を見るたび、自分が誰かを失望させてしまう人間であることを思い出してしまう。どうでもいいことをずっと覚え続けている人間であることも。

 梅の花よ、君は春を覚え続けていてください。みんな待ってる。遅れずに、でも焦らないで、待ってくれている人がいる、今、咲くんだ。

エッセイ No.108

小牧幸介さんの「#シロクマ文芸部」に参加しています。
今週のお題は

「梅の花」から始まる
小説・詩歌・エッセイなどを
自由に書いてみませんか?

です。