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エッセイ 朝のこころうきうき(#習慣にしていること)

 朝にコーヒーを一杯淹れて飲む。社会人になって一人暮らしを始めてからずっと続いている習慣である。

 人生で一番コーヒーを飲んだのは多分高校3年生の頃だ。楽しみのためではなく、遅くまで勉強するために飲んでいた。

 普段は麦茶を入れている容器を母親から借り受け、インスタントコーヒーの粉を入れ、水で溶かして冷蔵庫に置いておく。苦い味は苦手だったが、目が覚めるから逆に良かった。夕食後に机の上にこの容器とコップを置いて、がぶがぶ、麦茶みたいにして飲んだ。
「苦い方がコーヒーらしい」
 いつしかそう思うようになり、毎日、少しずつ、コーヒーの粉の量が増えていった。ある晩、いつも通りに飲みながら勉強していると、差し込むような腹痛に見舞われてた。
 夏だった。暑い夜だったのに、いつもと違う汗が出た。助けを呼びたかったが、騒ぐと父親が起きてしまう可能性があった。父親を不機嫌にさせると、あまり良くないことが起こる家庭だった。床に転がって、うずくまって、疲れが自分を眠らせてくれるまで、じっと耐えた。

 それからというもの、わたしはコーヒーが飲めなくなった。ホットでも、砂糖入りでもミルクたっぷりでも、一口めで腹痛がする。どう考えても飲みすぎたせいだ。

 大学生になってもその症状は続いた。学友とハンバーガーショップに行き、コーヒーを一口飲む。それだけで冷や汗が出る。「とりあえずビール」なんて言葉があるけれど、比較的公的な集まりには、「とりあえずコーヒー」の時が少なからずある。研究室でのお茶会も、否応なくインスタントコーヒーだった。無理やり飲むコーヒーはただの腹痛の種だった。

 就職して一人暮らしを始めたとき、住み始めたアパートの近くに自家焙煎のカフェができた。本当に、歩いて数分のところだ。
 わたしはお酒が飲めなくて(これは今でもそうだ)、でも仕事で疲れた帰りに、一杯なにか飲んで帰る、ということに憧れがあった。看板を見ると終業後に真っ直ぐ帰れば間に合いそうだ。いいじゃない。土曜日にモーニングもやっている。休日の朝に朝食を怠けることだってできそうだ。

 問題は、そこで売っているのがほぼコーヒーだけ、ということで、サードウェーブの影響を受けたらしいその店は飲み物に数種類のスペシャリティコーヒーと店のオリジナルブレンド、それにカフェオレなどのアレンジコーヒーしか置いていなかった。自家焙煎が売りだったからもっともだ。文字通りの「カフェ」なのである。

 腹を決めた。慣れれば平気かもしれないとも思った。就職したばかりのわたしに、開店したばかりのカフェ。これは何かの縁かもしれない。休みの朝にモーニングを食べに行って、ブレンドコーヒーを頼んだ。そして驚いた。
 お腹が痛くならないのである。しかも、苦くない。

 思えば、お腹を壊した時も含め、わたしが飲んできたコーヒーのほとんどはインスタントコーヒーだった。たまに店で飲むことはあっても、そこはコーヒー店ではない。好きじゃないから行かなかったのだ。多分、あれがわたしが人生で初めて飲んだ「美味しいコーヒー」で、それからわたしは店の常連になった。いろんな種類の豆を飲み、コーヒーの淹れ方も、ここのお店のマスターに教えてもらった。

 サーバーにドリッパー、ポットにコーヒーミル。用具を一式買い揃えて、毎朝慣れない手つきでコーヒーを淹れた。焦って淹れると苦くなる。時間に余裕を持って、ゆっくりと淹れたほうが甘味も香りもちゃんとでる。おかげで朝は少し早く起きなければならないけれど、その価値はあった。豆を削る時に広がる香りを嗅ぐだけで朝からちょっとうきうきする。

 思えば、受験生の時とは随分な違いだ。いつまで経っても終わらない勉強漬けの夜と、これから始まる朝。コーヒーを飲めるのが大人、なんてことをよく言ったけれど、大人になって学んだのは、一杯の飲み物を大事に、楽しんで飲むということだろう。

 台所の棚には、袋に入ったコーヒー豆がある。今も変わらず、あのカフェで買っている。わたしが働いてきたのと同じだけずっと続いているあの店を、とてもありがたく思っている。(個人がお店をずっと続けるということがとても大変なことだというのも大人になってから学んだことだ)月に一度買うコーヒーの在庫が、月末までまだちゃんとあるな、と思うと安心する。どうしても夜更かしして頑張りたい夜用に、ほんの少し余分があるといい。

 今ではすっかりコーヒー中毒だ。朝の始まりにも、頑張る夜にも、ずっと一緒にいてほしい。もしかしたらあの店で初めて飲んだ時にコーヒーに恋をしたのかもしれない。コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム。コーヒールンバなんて歌は、もう古いかな。

エッセイNo.110


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