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蝦夷っ子倶楽部の今後について

激動の夏競馬が終わった。
連日連夜、神経をすり減らす予想作業に没頭した約3ヶ月間だった。

以前はmixiのコミュニティ内での活動をメインにしていた蝦夷っ子倶楽部の登場に、初めはTLの皆様もさぞかし困惑したことだろう。

しかし、開催が進むにつれて徐々に蝦夷っ子倶楽部の存在を皆様が受け入れてくださっていたように思う。非常に有難いことである。

そして何より、この記事を読んでくれている蝦夷っ子倶楽部メンバー諸君、本当によくぞ最後まで戦ってくれた。

MVP級の働きを見せてくれた何名かのメンバーについてこの場を借りて紹介させてもらおう。

●【蝦夷・はるみさん】

倶楽部内でも随一の三連複の名手。
あなたが100倍超えの三連複を1点で的中し、「サンレンプ、グ~!」の雄叫びを上げる度に倶楽部内は大盛り上がりでしたね。
札幌記念の買い目、「ジャックドール―パンサラッサ―アラタ」の一点買いも最初は冗談かと思いましたが、あと一歩でとんでもない馬券的中でした。
是非、今後も倶楽部の繁栄に力をお貸しください。

●【ジンギス・カーンさん】

一度は倶楽部の理念に反したあなたを破門と致しましたが、あなたが会員全員分のジンギスカンキャラメルを持参して倶楽部に戻ってきた誠意は本物でしたね。
モンゴル人の父を持つあなたの馬券はとにかく苛烈で勢いがありました。
一度的中が訪れるとそこから止まらぬ連続的中は「元寇☆タイム」と呼ばれ、会員からの信頼も厚かったメンバーの一人です。今後も倶楽部を宜しく頼みます。
ちなみにあのキャラメルは全て処分致しました。あと、あなたが勧誘してくれたエビフライ・ハーン氏は既に破門済みです。

●【旭川きよしさん】

かつてはその甘いマスクで倶楽部内の主婦層から圧倒的人気を集めていたあなたが実は女装家だったと知った時には俺も驚きました。
と同時に以前は古川吉洋騎手専門予想家だったあなたが古川奈穂騎手専門予想家へと転身したことも、今夏の大きな話題でした。
あなたが馬券を的中する度に倶楽部VC内に響いた「ズンドコ節」の美声は忘れられません。蝦夷っ子倶楽部のジェンダーフリー予想家集団としての立ち位置が確立したのもあなたのおかげでした。今後とも、よろしくお願い致します。

上記した3名は馬券精度、回収率、倶楽部への貢献度、全てにおいて優秀な成績を残してくださったため、ここで紹介させて頂いた。

さて、ではそろそろ本題に入るとしよう。
激動の夏競馬を終え、蝦夷っ子倶楽部の今後について考えていたところに一通のメールが届いた。

『久しぶりに、真剣な話がしたい』

メールの送り主の名前を見た時には、思わず私も驚愕したものだ。
と言うのも、そのメールの送り主はかつては蝦夷っ子倶楽部にとって最大の仇敵とも呼べる男だったのだから。

当時、mixi内の競馬コミュニティにおいて蝦夷っ子倶楽部と双璧を成す勢力を持つサロンが存在した。
その男は、対立するそのサロンの長を務めていた男だったのだ。
混沌とする競馬コミュニティを統一すべく、この男とは何度も朝まで激論を繰り広げたことは記憶に新しい。

HNは、【卑弥男】(ひみお)。

私にとっては何より負けたくないライバルのような存在だったのだが、心の底ではこの男の寒気がする程の競馬力を私は高く評価していた。
同時に、彼個人の実力のみならず、彼が率いる競馬サロンの団結力と馬券力は本当に凄まじいものがあった。

サロンの名は、【中邪馬台国】(なかやまたいこく)。

そう、読んで字の如しこのサロンは中山競馬場を主戦場として戦う精鋭集団だった。
サロン名の由来は、紀元前2世紀~3世紀に日本列島に存在していたとされる「邪馬台国」に由来している。

邪馬台国は今でも実際に日本の何処に存在していたのかについて、諸説が混在しており確固たる真実は未だに謎に包まれたままだ。

しかし、卑弥男氏は独自の調査と分析により邪馬台国は「千葉県船橋市」に存在していたこと、並びに中山競馬場は邪馬台国の跡地に建てられた施設であること、そして自らは卑弥呼の子孫であることを主張していたのだ。

ただその主張だけを聞いても、馬鹿馬鹿しい妄想としか思わない方がほとんどだろう。
当時の私も、実際にそうだった。

しかし、やがて彼はその圧倒的な競馬力とサロンの統率力によって自らの主張が真実であることを世に知らしめていくこととなる。

実際に「中邪馬台国」という競馬サロン内においては邪馬台国の風習を馬券理論に用いたルールがいくつも存在していた。

●G1レースがある時は骨を焼き、割れ目を見て結果を占う。
●サロンでの振る舞いには、父子・男女の区別がない。人々は酒が好きである。
●レースを見守る作法は、拍手を打って、うずくまり、拝む。
●長命で、百歳や九十、八十歳の予想家もいる。
●身分の高い予想家は4、5人の妻を持ち、身分の低い予想家でも2、3人の妻を持つものがいる。
●女はロマンを持たず、複勝を買う。
●予想の盗みは無く、訴訟も少ない。
●サロンの法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。

(一部Wikipedia 邪馬台国の項目より引用)

これらは全て邪馬台国の風習をサロン運営に活かしたものであり、実際に鉄の掟による団結力が「中邪馬台国」というサロンの一番の強みだったのだ。

mixi内で火花が飛び散るような勢力争いをしていたあの頃から、気付けば十年以上の月日が流れた。

そして、久しぶりに連絡をくれた卑弥男氏の本題はこのようなものだった。

『中邪馬台国を、継いで欲しい』

全く予想していなかった卑弥男氏の言葉に、私も一瞬思考が停止した。
しかし、彼は決して冗談を口にするような男ではないことはよく知っていた。

決意の経緯を聞けば、最大の理由は彼の奥様とのトラブルにあったらしい。
卑弥男氏の奥様(光浦靖子似)は大のギャンブル嫌いで、卑弥男氏は「馬券は100円しか買わない」という言い訳を使い何とか競馬活動に励んでいた。

しかしある日、卑弥男氏は結婚記念日に奥様とディナーに出掛け、カードで会計を済ませようとしたところ、あろうことか去年の有馬記念で購入していたアサマノイタズラの複勝馬券100万円分の紙馬券をデスクに落としてしまったそうだ。

激怒した奥様より競馬の完全引退or離婚を迫られた卑弥男氏の競馬人生は、そこで終わったのだ。

しかも、卑弥男氏ほどの実力者があの場面でアサマノイタズラを狙ったことさえ私には信じがたかった。理由を問えば、

「TL人気している割に大穴だったから買ってしまった」

とのこと。予想家として最もしてはならない愚行である。
卑弥男氏本人も、ここで自らの実力の衰えを痛感し、同時に家庭を守る為に競馬の世界から身を引くことを決意したのだろう。

卑弥男氏は元々、他のコミュニティとは一切慣れ合うことのない一匹狼だ。

彼との縁を持ち、そして当時鎬を削り合ったサロンの長同士、私がそうであったように、卑弥男氏もまた私のことを認めてくれていたのだろう。

ここで男の決断を蔑ろにすることができるほど、私は男として腐ってはいない。

卑弥男氏と熱い抱擁を交わし、私は彼の想いを全力で受け止めることを決めたのだ。

よって、これより正式に重大発表とさせて頂こう。

【蝦夷っ子倶楽部】は本日より超巨大サロン【中邪馬台国】を吸収合併し来夏まで、

“中山競馬場を主戦場として戦う”

ことをここに発表させてもらおう。

既に卑弥男氏が数十年に渡り採取し続けた中山競馬場に関するあらゆるデータ、極秘機密に関してもサロンの長として譲渡を完了している。

蝦夷っ子倶楽部の長として培った競馬理論と、中邪馬台国で卑弥男氏が確立した競馬理論が融合した時、どんな化学反応が生まれることになるのか、正直に言って今から胸の高鳴りが治まらない。

私自身、このような展開は予想だにしていなかったものの、蝦夷の地に続き船橋の地を治めていく野望が既にこの胸に生まれている。

どうか引き続き蝦夷っ子倶楽部を、そして中邪馬台国の今後をあたたかく見守って頂ければ幸いである。

まずはこれにて、このnoteをお読みくださっている皆様への報告とさせて頂こう。

蝦夷っ子倶楽部会長&中邪馬台国会長 T田

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