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最遅本命発表~オークス編~

「一番好きなサッカー選手は内田篤人!」と答える女サッカーファンのことを俺は心底軽蔑していた。

ブンデスリーガの名門シャルケで闘将マガトの信頼を完全に勝ち取る実力はさておき、愛嬌があり、なおかつ整った顔立ち。「ウッチー」という愛称で彼を追いかける女がマトモなサッカーファンだった試しが無い。

しかし、当時俺が交際していたミサキという女は違った。

「一番好きなサッカー選手?うーん、加地亮かなぁ」

その答えを聞いた時、改めてこの女を好きになってよかったと思った。
加地亮、日韓W杯後にジーコ政権からオシム政権に至るまで長く日本代表で活躍した右SBのプレイヤーだ。決して派手ではないものの、献身的なフリーランに豊富な運動量でチームを支える、正に縁の下の力持ち的な名選手と言えるだろう。

交際後にサッカー観戦が趣味であることが発覚した彼女に対し、世間では「地味」と称されることの多かった加地亮のどこが好きなのか聞いてみたことがある。彼女の答えはこうだ。

「地味なSBがいるから、逆サイドのSBは安心して攻撃参加できるんだよ。
地味ってことは、逆に言えばそこから崩されていないってことでしょ?」

サッカー観がディープ過ぎる。
ミーハーな女が嫌いな俺だが、ここまでサッカー観がディープ過ぎると逆に俺がミーハー扱いされる可能性が出てくる。男のプライドとして流石にそれは許されない。俺は無邪気に加地亮の魅力を語る彼女に対して、

「わかるわぁ」

という、愛と恋の違いぐらい曖昧な返事でお茶を濁した。

俺とミサキの馴れ初めについてはいつかどこかで語ったような気もするが、初めて参加した合コンで彼女がスラムダンクとグラップラー刃牙のマニアだったことをきっかけに俺達は交際を開始した。彼女と過ごす日々は映画やドラマのような華々しい日々ではなくとも、「ごはんと卵焼きとウィンナー」みたいな安心感と安定感があった。

しかしミサキは、一度は俺に別れを告げた。
理由は彼女が病床に伏し、将来的に子供を望めない体となったことで、ずっと子供を望んでいた彼女にとっては、俺と過ごす日々が却って辛いのだと彼女は言った。だが、それが彼女の本音ではないことを俺は感じていた。本当は、深刻な病を患った自分が一緒にいることで、俺の将来の可能性を狭めてしまうことを彼女は危惧していたのだろう。

一度は去ってゆく彼女を見送ることしかできなかった。
だが、後に俺は彼女が入院している病院を訪ね、勇気を出して本音を伝えた。
最愛の相手と添い遂げることに比べたら、俺にとって将来的な子供の有無など、取るに足らない問題だった。俺は素直に自分の想いを彼女に告げ、彼女もまた再び俺を受け入れてくれた。かくして、闘病するミサキとの復縁が果たされた。

かつてのようにどこかに出掛けたり、お互いの家で映画鑑賞に耽ることはできなくとも、再び彼女と結ばれてからの日々は俺にとって充実していた。

どれくらい充実していたかというと、2005年頃の阪神の中継ぎ陣くらい充実していたことは間違いないだろう。ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之、三人の中継ぎエースの頭文字をとって『JFK』と名付けられたことはあまりに有名だ。リードを許したまま6回の攻撃を終えると、上記3人でほぼ確実に勝利をもぎとるその姿は、当時他のセリーグ球団を応援していた野球ファンにとってはなんとも忌まわしい記憶だ。何より恐ろしいのは、『JFK』のみならず右は渡辺亮、左は江草仁貴と、他球団ならば中継ぎエースに君臨できるレベルの投手が『JFK』に次ぐ中継ぎ4番手、5番手として控えていたことだ。
当時熱烈な横浜ベイスターズファンだった俺は、木塚、山北、牛田、横山道哉、加藤武治という自球団のリリーフ陣と阪神のブルペンを見比べてしばしば失神していた。特に木塚、加藤武治という右のサイドスローを相手の右の代打にぶつけるや否や代打の代打で左打者を送られては打ち込まれる姿を何度目にしたことか。こうした数多の絶望に耐え切れず憤死した横浜ファン達の屍の上に今のDeNAが成り立っていることを、DeNAの球団買収以降にファンになった横浜ファンは忘れてはならないと俺は思っている。

話が少々脱線してしまったが、自分の職場とミサキの入院する病院とを往復する日々は忙しくも幸福な日々だった。彼女の病状は、明らかに芳しくなかった。しかしそんな体調を尻目に彼女は病室を訪ねる俺をいつでも気丈に出迎えてくれた。彼女の好きだったフルーツを共に頬張りながら、ベッドの脇に用意されたパイプ椅子に座り、彼女と談笑するのが毎日の日課になっていた。

彼女は趣味嗜好に対してコアな価値観を持ち、同時に「もしも」の話をするのが好きだった。
不器用にカットしたリンゴをかじりながら、ある日彼女は屈託ない笑顔でこんな質問を投げかけてきた。

「ねえ、もし生まれ変わったら何がしたい?」

突然のSFチックな質問に戸惑う俺を尻目に彼女は「私はもう一度、こうして君と出会いたいなぁ」と無邪気に口にした。何気ないその言葉を聞いた時、何故か胸が痛かった。

「俺も、生まれ変わっても君を好きになりたい」

…心の中でそう呟いてみたものの、どうにも照れ臭くて口にはできなかった。
照れ臭さを誤魔化すように、「生まれ変わったら、ポメラニアンになりたい」などと意味のわからないことを口にしていた。彼女は笑っていた。その胸の内は当時の俺にはわからなかったわけだが。

彼女の質問に素直に答えられなかったことが何となく胸の奥に引っかかっていたからなのだろうか。ある日、いつものように病院に行く途中に小さな花屋があることに気付いた。花を愛でる繊細な感性など持ち得ず、そこに花屋があることさえ気付いていなかったのだが、俺と違ってミサキは花が好きだった。何となく、これからは彼女に会いに行く度に花を一輪買っていこうと思った。ただ、彼女の好きな花がわからずに俺はミサキにメールを入れた。

「一番好きな花を教えて」

あえて理由などは知らせずに簡潔なメールを送ると、すぐに返信があった。

「桜が一番好き!」

うーん。桜は花屋には売っていない。俺は止むを得ず続けて質問した。

「じゃあ、二番目に好きな花は?」

また、すぐに返信があった。

「二番目は、薔薇かな!」

ちょうどよかった。薔薇なら一輪ごとにブリザーブドフラワーという、枯れないように加工されたものが花屋に売っていたからだ。これから病院に行く度に、一輪の薔薇を買ってミサキに贈ることを決めた。そんなキザなことをするのは柄ではないが、薔薇が100輪に達したら薔薇の花束にして彼女に贈ろう、きっと彼女は喜んでくれるに違いないと思った。

最初の一輪を手に彼女の病室に顔を出した時には、彼女もとても驚いていた。本来は俺が花などを買うようなタイプの人間ではないことをよく知っているからだ。だが、驚きつつも彼女は今までに見せたどんな表情よりも輝く笑顔で喜んでくれた。

日々彼女の病室を訪ねる度に一輪、また一輪と花瓶に挿される薔薇が増えていった。
薔薇の数が10輪を超えてくると、100輪の薔薇を花束にして、花束を受け取る彼女の姿が現実的に脳裏に浮かび、その日が待ちきれない気持ちになった。日々、彼女の病状はとても良くは見えなかったが、未来に希望を持つことはきっと彼女にも力を与えてくれると信じた。いや、信じたかったのかもしれない。

薔薇とチューリップの見分けさえつかなかった男が、花屋で毎日一輪の薔薇を買い病院を訪れる日々が一か月を過ぎる頃には、店の前を通りがかると花屋の店員に挨拶されるようになっていた。

33輪目の薔薇を花瓶に挿した帰り道、つまり彼女に薔薇を贈り始めてから33日目の帰り道。
なんとなく最近の彼女との会話が頭の中に蘇った。あの時「ねえ、もし生まれ変わったら何がしたい?」という彼女の問いに、素直に答えられなかった記憶が、何故かまた言い様のない後悔として胸の中に広がった。

いわゆる「嫌な予感」とは実在するものだと、俺は思い知ることになった。

翌朝、病院から連絡があり彼女の容態が急変し、そのまま帰らぬ人となったことを知ったからだ。

現実を受け止め切れない俺を尻目に、時は流れる。病院に駆け付けた彼女のご両親が泣き崩れる姿を見ながら、ドクターの説明を聞き、葬儀を終えるまでの時間は一瞬のようにも思えたし、胸を刺す痛みは永遠にも思えた。

この時、悲しみよりも後悔という感情が胸の中を多く占めていた理由は言うまでもない。
いつか彼女が投げかけた「ねえ、もし生まれ変わったら何がしたい?」という質問に素直に答えられなかった悔いと、100輪になるのを待たずにもっと早く薔薇の花束を彼女に贈ればよかったという未練が、胸の中に広がっていた。

あれから暫くの時が流れ、営業の外回りで当時毎日通っていた花屋の前を通りがかった。
どうやら店員は俺のことを覚えてくれていたようで、店の前まで挨拶をしにきてくれた。
知り合いでもない花屋の店員に胸の内を話しても仕方がないことはわかっていたが、時間が経とうと少しも薄まってくれない後悔という荷をわずかでも降ろしたかったのかもしれない。
俺は花屋の店員に、今日までのことを全て打ち明けた。

彼女に、「生まれ変わったら何がしたい?」と聞かれたこと。

彼女の二番目に好きな花が薔薇だったこと。

毎日ここで一輪の薔薇を買ってプレゼントしていたこと。

100輪の薔薇を花束にしようと思っていたこと。

でも、彼女はその日を待たずに帰らぬ人となってしまったこと。

結局彼女に贈ることができたのは33輪の薔薇だったこと。

全てをありのまま話し終えると、涙を流しているのは何故か俺ではなく花屋の店員だった。
思わず俺は戸惑った。一時期店に通っていたとはいえ、あくまでも他人の話を聞いて涙を流せるとは、今時にしては感受性の高い人だなと、そんなことを思った。
が、涙を拭うと店員は思わぬ言葉を口にした。


「彼女さん、きっと満足して旅立たれたのだと思います」


その言葉の意味が俺にはまるでわからず、「どういうことですか」と俺は率直に心の中で思っていることを口にした。すると花屋の店員は微笑みながら、こう話してくれた。

「やっぱり、ご存じないのですね。花が好きなのは彼女さんだと仰っていましたから、そうだと思いました。薔薇には愛に関する花言葉が多くありますが、薔薇の花言葉は『本数』に応じて変わるんです。あなたが最後に彼女さんに贈った、33本目の薔薇が、きっと彼女の心を全て満たしてくれたんだと思います」

薔薇には本数に応じた花言葉がある…。
指摘された通り、そんな事実は生まれてから一度も耳にしたことがなかった。
ならば、33輪の薔薇の花言葉とは一体何なのか。考え込む俺を見つめ、花屋の店員は更にこう続けた。

「33輪の薔薇の花言葉はこうです。

“生まれ変わっても、あなたを愛します”

あなたが一番伝えたくて、あなたが伝えられずに一番後悔している言葉。
その言葉は、33輪の薔薇がちゃんと彼女に伝えてくれたんです。
薔薇の花が好きな女性なら、この花言葉は絶対に知っていますから」

その言葉を聞いた時、彼女が亡くなってから一度も流せずにいた涙が、要した時間に比例するようにとめどない勢いで溢れ出した。そこで涙を流せなかったら、俺は心に溜まり続ける後悔の念にいつか溺れてしまっていただろう。大切なことを教えてくれた花屋の店員に礼を言い、俺は33輪の薔薇の花を束にしてもらった。

どうやら、薔薇の花を墓前に供えるのはマナー違反らしい。
だからこの薔薇の花束は、いつか君と出掛けた海に投げよう。
知ったばかりの花言葉だけど、

“生まれ変わっても、あなたを愛します”

という花言葉がどうかあなたへ届きますように。

そんな決意を胸に花屋からの帰路に就いている途中、33輪の薔薇の茎の根本を包む新聞紙の中に「オークス」という文字が見えた。
こんな時に競馬なんてする気にはなれなかったが、大きなレースともなればミサキも一緒に競馬観戦を楽しんだ思い出もある。
かつての楽しげな記憶を振り返りながら出走表に目を通すと、ある一頭の馬の存在が目に留まった。

どうしても、その馬の馬柱だけが俺の眼に焼き付いて離れなかったのだ。

俺の手には今、33輪の薔薇の花束が握られている。
思えば、この薔薇の花がなければ俺はミサキに本当の想いを伝えることもできず、一生この胸には後悔だけが残されていたことだろう。

しかし、振り返ってみると薔薇はミサキにとって「一番好きな花」ではなかった。

彼女は確かに、一番好きな花は「桜」だとそう話していた。

だがもしも、彼女の一番好きな花が桜ではなく、花屋で買える別の花だったとしたら、俺は彼女に「33輪の薔薇の花言葉」を届けることもできなかったのだ。

だから俺は薔薇の花に感謝した。「二番目の花」でいてくれてありがとう、と。

オークスに出走する馬の中で、思わずそんな薔薇の花を想起させる牝馬がいた。

3歳牝馬にとっての晴れ舞台である「桜花賞」には縁がなく。

そして「フラワーC」では「2着」に終わり、「二番目の花」になってしまったその馬を、俺は今回の本命馬とさせて頂こう。


来たる、2024年5月19日。
東京競馬場にて行われる、オークス。

本命は、ホーエリート


●あとがき


今回もこのような長文を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
意図せず「最遅本命発表~NHKマイル編~」の続編のような形になってしまいましたが、前作からお読みくださった皆様にはより一層の感謝を。
本命馬選びは難航したのですが、勇気をもって大穴馬を本命に。対抗馬には、内田篤人や加地亮といった日本を代表する右SBにちなみライトバックを買おうかなあと。もしかすると、勘の鋭い最遅読者の皆様の中には冒頭の「内田篤人」という文字を見た時点で本命ライトバックを予想した方もいたりして。

とにもかくにも、いつも皆様のあたたかすぎるサポートが執筆のモチベーションとなっております。是非とも、今回の「最遅本命発表~オークス編~」を少しでも楽しんでくださった皆様は、この先に記します「今最もオススメしたい泣ける映画ベスト3」をご覧ください。
そのお気持ちで、また楽しんで頂ける最遅本命発表を執筆できますので何卒お願い致しますm(__)m

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