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未来のご先祖様が思う

G.Wもあっという間に終わる
我が家は受験生がいるので遊びに行かず
お墓参りに行ってきた


趣味が高じて仕事にもしたアイシングクッキー


嫁いで四半世紀が経つ。
夫の実家はスープの冷めない距離
とても元気な義母が一人で暮らしている

嫁いで身に付いた習慣の中で
最も大きく影響を受けた事・・・
それはご先祖様をご供養すること

独身時代は実家を離れて暮らしていたので
お盆に帰省した時にお参りに行くぐらいだった
帰省のタイミングがお盆とズレることも
よくあったし、お墓が遠い田舎にあり
私自身は実は数えるくらいしか言ったことがない
それについて当時は何も考えていなかった

嫁ぎ先では日々、お仏壇に
炊いたご飯やお茶を義母がお供えしている

お盆、お正月、お彼岸には片道1時間半かけて
家族みんなで必ずお墓参りに行く
(今はお墓を近くに移して片道20分ほどで行けるようになった)
子どもたちは幼い頃それをピクニックと言ってた
(好きなお菓子を買って車の中で食べたり
歌ったりおしゃべりしたりを楽しんだ)
お盆の「迎え火、送り火」も嫁いで初めて体験した


私たちが普段当たり前のように顔を洗い
当たり前のように食事をするのと同じように
ご先祖様をご供養するのは

「当たり前且つそれが生きること」

だった。

「ご先祖様も一緒に生きている」
という感覚を凄く感じている

嫁いだ頃はその「形」を重んじて
ご飯を炊いたら一番にお供えして
みんなでお茶を頂く時は
お茶やお茶菓子を一番にお供えした。
嫁としてちゃんとやらなきゃ的な


いつからだろう
それが「形」から「心」に変わっていた
本当にいつの間にか、自然と。

お仏壇にお供えするとき
心の中で声をかけている

「いつも私たちのことを見守ってくださり
ありがとうございます」
「お陰様で今日も無事に過ごせました」

などなど、いろいろ。
これもいつの間にか
そうするようになっていた

よくよく考えたらご先祖様も
私たちと同じ人間出身。
いつの日か私もご先祖様になるということ

子孫が毎日思い出してお茶を入れてくれるって
幸せ過ぎる!お線香炊いてくれるって泣ける!
そういうことよね

見えないからこそ心を配る
聴こえないからこそ心を添わせる

嫁ぎ先でのご先祖様を敬う姿勢が
いつしか私の細胞一つ一つに染みわたり
深いところにどっしりと腰を下ろした

それは脈々と受け継がれてきた
命のバトンの重み。
感謝の気持ちが自然と溢れ出る。

かといって子どもたちに
それを強要しようとは思わない
気が向いたらやってね
というつもり

・・・と思っていた!

でも、私がそうするようになって
何かが変わってきた
上手く言葉で表現できないのだけど
繋がりを感じるし
喜ばれているような感じもする
聴こえないし、見えないから
本当のところはわからない

ただ信じている

それってとても大事で
素敵なことだなぁと思う
ただただひたすら一方的に
感謝と愛情を形で表現する
それって尊いことではないだろうか



なので
「気が向いたら」ではなく
「できればなるべく」・・・と
いつか伝えようかな
そう思っている

きっと娘たちも私と同じ
幸せな空気に包まれるような
そんな気持ちになるんじゃないかなって。

泣きたい気分の時手を合わせたら
何となく癒されるんじゃないかなって。
一人じゃないって思えるんじゃないかなって。

先日帰省した長女がその日に言った

「お墓参りに行きたい」

と。
もしかしたらわざわざ言わなくても
よいのかも。
未来のご先祖様(私!)は嬉しくなった


ご先祖様も一緒に召し上がれ

【今日の気づき】

形から入るのも
良いと思う
その形が教えてくれるから

*

信じることから
何かが変わる

#気づき #エッセイ #結婚 #感じた事 #お菓子作り #お菓子

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