【HEAR公式シナリオ】《声を守りし宣教師》《声なき声の大罪人》《七色声音の芸達者》【蜂八憲】

ひあひあ~!
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《声を守りし宣教師》本文

 この島に住む一族は、十歳になると声を禁じられる。
 由来は分からない。ただ、そういう決まりになっている。
 その風習について、二人の宣教師は今日も今日とて議論を交わしていた。

 赤き目の僧侶は言う。
「彼らの掟は尊重すべきです。私たちの使命は神の教えを広めること。文化の破壊ではありません」

 青き目の僧侶は語る。
「邪悪な習わしは廃止すべきでしょう。つい先日も、若い娘たちが喉を潰された。神の教えに沿わぬ行いは正すべきです」

 それに、と青目はこうも付け加えた。
「教典にいわく、『声を守れ』と神は仰っているのですからね」

 彼らがこの島に赴任して、はや三年。赤目と青目がこの話題で意見を戦わせるのも、すでに日常の一部となっていた。白熱する会話が平行線をたどるのも、いつものことだ。とはいえ、それは二人の間に限った話だった。島民の間では、この風習を廃止する動きが高まっているという。中心となっているのは、二十歳に満たない若い世代であった。

    ◇

 “最近の若いものは、伝統への敬意が足りぬ”

 島の長老は苦々しげな顔つきで、手元の石版にそう書き記した。
 隣に座った赤目は、慰めようと口を開いた。
「若者とは、そういうものですよ」
 赤目は、長老の家に招かれていた。ここ最近は、何かにつけてよく呼び出されるようになった。とはいえ、長老の言う「用事」はいつも些細なものだ。実際は、単に筆談する相手が欲しいのだろう──そんなふうに赤目は推測している。

 老人とは、そういうものだ。それは故郷の村であれ、この辺境の島であれ、どこでも変わらない。そして、老人の話は長いものと相場が決まっている。この島の長老とて例外ではなく、しかも相手は筆談であるからして、たいそう時間もかかる。しかし赤目は、このひとときを好ましく感じていた。たとえそこに書かれる話が、何百回となく伝えられた内容であってもだ。

 今日もまた、そうだった。若者たちに対する愚痴が一通り出揃ったところで、長老は石版にチョークを勢いよく走らせ始めた。それは、島の神話の一節だった。由来の分からぬしきたりと同様、この地でかたく信じられている伝承である。

 “遠き未来、この島には二人の神の使いがやってくる”
 “一方は火の如き赤目、もう一方は海の如き青目”
 “赤目は災いを運び、青目は幸いをもたらすであろう”

 がりがりと、叩きつけるように、文字が、文章が生まれていく。

 “赤き目の人よ、過去の無礼を許してほしい”
 “あなたは、我らの善き理解者であった”

 赤目は、深々と頭を下げた。
 脳裏に蘇るのは、島に赴任して間もない頃のことだ。
 島の住人たちは、青目を歓迎する一方で、赤目を明らかに敬遠した。青目のとりなしによって長老の許しを得たことで、ようやく赤目は島に滞在できるようになったのだ。しかし、島民の多くは赤目を受け入れたわけではない。笑顔を向けてくれるのは、伝承をまだ理解できていない幼子(おさなご)くらいのものだった。

 ──それが、今はどうだろう。赤目に笑みを向けるのは、以前とは打って変わって、長老をはじめとする老人たちばかりである。若者たちは、どこか疎ましげに赤目を見つめ、視線が合うと気まずそうに目をそらす。逆に、青目は老人たちから鬱陶しげに扱われているが、若者からの支持は絶大だ。重要なことに、この島では圧倒的に若者の比率が多いとくる。それでも、いまだにしきたりが守られているのは、長老の権威のおかげだった。

 “あなたに比べて、あの赤目ときたら”
            ・

 そう書きかけたところで──突然、長老は「赤」にあたる文字を乱暴に指でぬぐい去った。どうやら、書き損じてしまったらしい。上から新しく書き直された文字は「青」だった。長老の手にしたチョークが、再び激しく動く。

 “今の言い伝えにしても、案外、書き間違いだったのかもしれぬ”
 “実は、逆だったのではないか”
 “幸いをもたらすのは、赤目のほうだったのではなかろうか”

 一気に文章を書き殴った長老の額には、玉のような汗が浮き出ていた。もっと言うなら、目には涙を滲ませてもいた。その紫色の瞳は、家の入り口の向こうを見つめている。広場で歓声をあげて走り回る、幼い子どもたち。その後に続いて、青目の姿が現れた。この島で言うところの「鬼ごっこ」に興じているらしい。鬼の役は青目が務めているようだった。

「ほうら、逃げろや逃げろ──!」

 青目の楽しげな声を聞きながら、赤目は今晩の予定を思い出していた。
 今日もまた、青目は宿舎に帰ってこない。なんでも、若者の集まりに顔を出して、そのまま泊まってくるということだった。

    ◇

 その夜のことだ。
 日課を終えた赤目が床に就こうとした、まさにその時であった。
 がんがんと、扉を強く叩く音が宿舎に反響した。こんな夜更けに誰であろうか。そう訝しんで扉を開けてみれば、そこには長老が佇んでいた。
 いかがなさいました、と赤目が問うよりも先に──
 長老の唇が、わななくように動いた。

「ニゲロヤ──ニゲロ!」

 唾が飛んだ。いや、それはよくよく見れば血であった。
 叫ぶと同時に、長老は糸が切れたかのごとく倒れ込んだ。露わになった背中には、幾つもの矢が突き立っている。赤目は呆然としたまま、視線を上げた。遠目に見える、無数の光。松明(たいまつ)の群れが、こちらに向かって押し寄せている。強い風に乗って、無数の声が迫ってくる。

 そこでようやく、赤目は事態を悟った。考えるよりも先に、足は動いていた。逃げろや逃げろ──だが、どこへ? 四方を海に囲まれた島のこと、とりうる選択肢は一つしか残されていなかった。

 ──浜辺にさえ辿りつければ、小舟がある。

 一心不乱に赤目は走る。森を抜け、丘を越え、浜辺にようやく辿りつく。そこで目にしたのは、いつも自分たちが漁に使っていた小船、その残骸だった。この襲撃に合わせて破壊されたことは明らかだ。しかし、一刻の猶予もない。ひときわ大きな木片を胸に抱いて、赤目は祈りとともに海へ身を投げたのだった。

    ◇

 天にまします我らの神よ。

 私は誤っていたのでしょうか。
 いえ、自分でも分かっているのです。
 私よりも、青目のほうが、より正しかった。

 神よ、あなたは声を守れと仰った。
 島には声が満ちるでしょう。人々は声によって満たされることでしょう。
 彼らの前途に光あれ。願わくば、私の行く末にも同じ光を。

 今しがた、私もまた声によって救われた。
 頑なにしきたりを守ろうとした長老は、私のためにそれを破らざるをえなかった。
 あなたの意に沿わぬ者として殺され、この地のしきたりに殉じることすら叶わなかった。

 ──私などのために!

 神よ、私は生きねばならぬのです。
 あなたが私をお見捨てになろうとも、私は貴方を信じております。
 ゆえに──私を救おうとした声のために、私は生き延びねばならぬのです。

<了>

《声なき声の大罪人》本文

 なるほど、ここが教誨室(きょうかいしつ)というものですか。
 お恥ずかしながら、私はこの部屋のことを数日前に知りました。ここは、死刑を控えた大罪人が最後のひとときを過ごす場所。四方を壁に囲まれ、日差しはおろか、外界の音すら届かぬ空間。そして、教誨師(きょうかいし)たる貴方の仕事場でもある。

 聞くところによれば、貴方はこのお仕事を二十年にわたり続けてこられたという。その強靭な精神には、ただただ感服するばかりでございます。そして、それ以上に私は驚いているのです。こうして貴方に再会できる日がくるなど、思ってもみなかったことですから。ああ、美しき青色の瞳。時代は移り変われども、貴方は今なお変わらぬままで……。

 覚えておいででしょうか。宣教師であった貴方が、私の島を訪れた日のこと。小さな島が世界のすべてだった私に、広がりを与えてくれた日々のこと。私は、今でも昨日のことにように思い出せます。

 声を取り戻せ、と貴方は仰った。十歳を超えたならば声を出してはならぬ、という島のしきたり。そのような悪しき慣習に縛られる必要などないのだと、励ましてくださった。おかげで、私たちは過去の鎖から解き放たれたのです。自由に会話を交わし、歌を唄い、伝えることができるようになりました。さらには貴方の庇護(ひご)のもと、島から大陸へと移り住むようにもなりましたね。

 思い返せば、大陸に渡ってからは様々な場所へ足を運んだものです。なかでも心を惹かれたのは、教会の敷地内にあった「図書館」でした。神の教えに帰依(きえ)した恩恵は、数えきれぬほどございますが──知識の宝庫に接することができる、その一点だけに絞っても、この身には余りある幸福といえました。今でこそ本は広く流通しておりますが、当時は宝石とほとんど変わらぬ扱いでありましたから。

 そうなのです。教会のお勤めの合間をぬって、私は図書館に足しげく通っておりました。そこである日、「怪物」というものについて調べました。貴方が島に来るよりもずっと前、この国の方々が、私たちをそう呼んでいたのです。けれども、あの島には「怪物」にあたる言葉がありませんでした。だから──どういうものか調べたかったのです。さすがは図書館というべきか、答えを見つけるのに時間はかかりませんでした。

 怪物。それは、およそ人とは似ても似つかぬ、異形の者。そこで私はようやく、かつての自分たちがどう見られていたのかを知ったのです。かなしいというよりも、むなしかったことを覚えています。肌の色が異なり、言葉が通じないというだけで、同じ人間を化け物と呼べてしまう無神経さに呆れ返ってしまったのです。

 しかし、私たちを怪物と呼んだ彼らは、あながち間違っていなかった。

 あの日調べた「怪物」のなかで、とりわけ印象に残っているものがございます。ハーピー。そしてセイレーン。いずれも、その声は人間を惑わし、死を誘(いざな)うと伝えられておりますね。いうなれば、私たちはそれらの紛(まが)い物だったのでしょう。飛べないハーピー。泳げないセイレーン。孤島の陸(おか)に縛られた怪物が、きっと私たちであったのでしょう。

 そして、私たちの先祖も、かつてはその事実を知っていたはずなのです。
 その声が、病を媒介することを──
 声を発することで、命を縮めてしまう病のことを。

 貴方は、私たちの声を取り戻してくださった。
 そして、かの病を現代に蘇らせてしまった。
 その元凶を、世に解き放ってしまわれた。

 貴方も御存知の通り、教会は数年前にお触れを出しました。いわく、幼子(おさなご)の声であれば病は進行しないとのこと。そう、あの島と同じなのです。国全体が、世界が、あの島になったといっても過言ではありません。とはいえ、多くの親はもう、幼いかどうかに関わらず、我が子に会話を禁じていると聞きます。人々は隣人の声を恐れ、自らもまた声を発さなくなってしまいました。この世界において会話が許されるのは、もはや私たちのみでした。あの島の民に限っては、声による影響を受けないというのですから、なんとも皮肉というほかありません。

 私たちが差別されるのは、当然のなりゆきと言えました。個人ではなく民族という単位で罰せられたとしても、なんら不思議ではありません。実際、世間ではそのような意見が大勢を占めていたはずです。けれども、教会はそうしなかった。差別ではなく、区別をした。「声を守るべし」という教義に従って、私たちをここに隔離した。そうして、新たな仕事を与えてくださった──。

 ……青い目の人よ。
 なぜ、貴方はこのような道をお選びになったのですか。
 私どもにすべての罪を押し付けるどころか、あまつさえ一手に引き受けるとは。

 今でも、私は夢に見るのです。
 貴方の言いつけに背き、島の長老たちを力ずくで排除した夜のことを。
 おそらくはあの日こそが、私たちの罪の始まりだったのでしょう。

 ……数日前、教主さまから伺いました。
 私たちが迫害を受けなかったのは、貴方がその罪を肩代わりしたからだと。

 ……先ほど、教主さまから仰せつかりました。
 私たちの新しい「お勤め」の内容についてです。

 おお、青い目の人よ。
 私は懺悔せねばなりません。
 すでにお察しのことかと思いますが……
 ここはもう、処刑場なのです。

 かつての処刑方法は、すべて過去の遺物となりました。石打ち、磔(はりつけ)、縛り首──それらはみな、野蛮であるとして禁じられたのです。代わりに、より人道的な措置として、私たちの声が使われることになりました。そう、ここは私たちの新たなる仕事場なのです。

 お許しください、青い目の人よ。
 後ろ手に縛られた貴方を救うことも叶わず、そのうえ厚意に甘んじて余生を貪(むさぼ)る我らのことを。このような形で貴方に再会する日がくるなど、想像すらしなかった。聖職者になりたいと告げたあの日から、私は貴方の隣に立つことを夢見ておりました。それがこのような形だとは、夢にも思わなかったのです。

 ただ、今はこの巡り合いを神に感謝しております。
 貴方が天へと召される旅路、その始まりに私がいる。
 そのいのちの尽きるまで、私がお側に侍(はべ)ることを、どうかお許しくださいませ。

<了>

《七色声音の芸達者》本文

 この記録を、いつかどこかの、誰かに捧ぐ。
 誰もが声を恐れることのない時代の人々へ。
 七色(なないろ)の声音を誇った、かの旅芸人のために。

  ◇

 浜辺に、人が打ち上げられていた。

 この島においては、さして珍しくもないことだ。漁が盛んな土地柄とあって、海に出たまま帰らぬ者も多い。その点では、遺体が戻ってきただけ幸いと言える。自分が第一発見者になったことは、私にとってもまた幸運だった。死人が出たならば、どのみち私が駆り出されることになるのだから、手間が省けてよいというものだ。
 石版を携えて、近寄ってみる。すると、砂に横たわった身体がむくりと動いた。次いで、その目がゆっくりと開く。瞬間、私は息を呑んだ。その瞳が、燃えるような赤色をしていたからだ。

 この島の人間ではない。
 そう理解した瞬間、私は転がるように後ずさっていた。

 “そのひと、いきてるの?”

 頭の中──より正確には、後頭部のあたりから言葉が浮かんだ。振り返れば、そこには島の子どもたちが数人いた。私が頷くやいなや、彼らは紫色の目をらんらんと輝かせ、赤目の遭難者のもとへと駆け寄った。
 
 “だいじょうぶ?” “くるしくない?” “なにかたべる?”

 矢継ぎ早に脳内へ流れ込んでくる、いたわりの言葉。それらは赤目にも無事に届いていたらしい。

「……水を、頂けませんか?」
 赤目が口を動かした瞬間、

 “しゃべった!”
 と、子どもたちがひときわ大きく思念を発した。

   ◇

 漂着した異邦人は、すぐさま島の長老のもとへ運ばれ、手厚く介抱された。
 幸いにして、赤目はさほど衰弱しておらず、数日もすればすっかり元気になった。
 不運だったのは、私が赤目の世話役に任命されたことだ。

 “何か分からぬことがあったら、そこの青目に訊くとよい”
 赤目の見舞いに訪れた私を見て、島の長老はゆるやかに思念を漂わせた。
 “青目は島の書記官であるからな。それに、そなたと同じく大陸から流れ着いた者なのだ”

 長老の家を出たところで、赤目は早速とばかりに口を開いた。
「皆さん、本当にすごいですね。喋らなくても心が伝わるなんて、信じられません」
 なんとも新鮮な反応だった。無理もない。私だって、最初はずいぶんと驚かされたものだ。
「もしかしてあなたも、彼らと同じことができるのですか?」
「いいえ──あのような芸当が出来るのは、島の民だけですよ」

 彼らは、思ったことをそのまま他人の心に伝えることができる。さながら、魔法とでも言うべき力。それが島民たちに芽生えたのは、数十年ほど前のことらしい。その「進化」の代償というべきか、彼らの喉はもう、声を発することができないのだ。だからこそ、赤目には問わねばならなかった。声を出せる、大陸の人間であるからこそ。

「あなたは、声の病に罹(かか)っておりませんか?」
「先月、その病であると診断されたばかりです」

 返答は、予想以上に早かった。そして、自分の用心深さに感謝もした。もしやと懸念していたからこそ、私は赤目となるべく距離を置くようにしていたのだ。ひとつ咳払いをして、私は努めて冷静な口調で告げた。

「ご安心ください。紫の目を持つ島の民は、声の病にかからない。しかし、先ほども紹介されたように、私は貴方と同じく大陸の人間です。もし私と会話をなさるのであれば、大陸の作法と同様にお願いいたします」

 かつて、大陸を混乱に陥れた疫病があった。声を発するだけで寿命が縮むというそれは、今なお恐れられる不治の病だ。そのため大陸では、感染の危険性を抑えるための決まりも細々と設けられていた。「大人の足で十歩以上」。それだけの距離を空けて、患者はようやく他人との会話が許されることになっていたのだ。

   ◇

 赤目は、会話というものにこだわる人間だった。声を出すということに、並々ならぬ執着を抱いていた。一度、私は赤目に筆談を薦めたことがあるが、やんわりと断られてしまった。

「なるべく多く、声を残して死にたいのです」

 そんな調子の赤目であったから、島の民ともよくお喋りに興じていた。はたから見れば、赤目が一方的に喋っているようにしか見えないが、島民たちはにこやかな表情を浮かべていたものだ。そんな様子を遠巻きに眺めるにつけ、私は島民たちを心底うらやましく思うのだった。

 ある日のこと、おなじみの日常にちょっとした変化が起こった。
 お互いに向かい合う、二人の島民。その間に立った赤目が、身体の向きを交互に変えながら喋っている。よくよく観察してみれば、それぞれに声音を変えてもいるようだった。

 “私たちも、喋ってみたいと思ったのです”

 嬉しそうに島民たちは笑った。話はこうだ。二人のうち一方が、赤目に向けて思念を飛ばす。それを受けて、赤目がもう一方に喋りかける。それを繰り返して「お喋り」をするのだという。そのさまは、さながら腹話術人形といった風情だった。思念による意思疎通よりもよっぽど遠回りに思えるが、島民たちはいたく気に入ったようだった。加えて、赤目がひとりひとりに専用の「声」を用意してくれるということも、人気に拍車をかけた。

「大陸にいた頃は、腹話術師をやっていましてね」

 いつだったか、赤目は自分の生い立ちを語ってくれた。
 幼い頃から曲芸団で育ち、鍛錬を重ねたこと。下働きの期間が終わり、お披露目の舞台が決まっていたこと。その寸前で声の病にかかり、解雇されてしまったこと。

「《七色声音の芸達者》。それが、私に付けられる予定だった二つ名です。私はいま、幸せですよ。海に身投げした時からは考えられないくらいにね」

 私は何も言えなかった。声の病に罹ったものは、声を発するほどに寿命を縮めていく。だが、赤目に自重する様子はこれっぽっちも見られなかった。男女問わず、老いも若きも関係なく、赤目は声を当て続けた。裏を返せば、それは緩やかな自殺とでも言うべきものだった。けれども私は、その営みを止めようとは思わなかった。赤目が幸せならば、それでいいと信じることにしたからだ。

 私のもとには、記録の依頼が次々と舞い込むようになった。島民いわく、赤目からもらった声を記してほしいのだという。これには幾度となく頭を悩まされた。なんせ絵画に題名をつけるようなものだから、記録というにはいささか詩的な文言が並ぶことになった。「早朝の水のせせらぎ」「月に羽ばたく小鳥」「断崖に吹きすさぶ風」──まあ、楽しくなかったといえば嘘になる。ひねり出した文言を木簡に刻みつけるとき、島民たちは大げさなくらいに喜んでくれたからだ。声の記録は、少なくとも百枚以上にのぼる。しかし、今となって思い出せるのは、先ほどの三つだけだ。

 この島に残る記録は、この文章をおいて他にない。
 すべて、津波に流されてしまったためだ。
 私と赤目を除く、百人あまりの命とともに、一晩にして海の藻屑と消えてしまったからだ。

   ◇

 期せずして、私たちは最後の島民となってしまった。
 赤目の体に異変が現れるようになったのは、ちょうどその頃のことだ。自力では立ち上がれなくなり、しだいに物を掴むこともできなくなった。私も赤目も、それらが声の病の末期症状であると分かっていた。全身の機能が徐々に失われていき、最後には声しか出せなくなる。同じようにして亡くなった人間を、大陸で飽きるほどに見てきたのだから。

「そんなに近くへ寄ってよろしいのですか、感染(うつ)ってしまいますよ」
「今更なことを仰いますね、もう気にもしませんよ」

 赤目の寿命はもう幾許(いくばく)もなかった。そうした状況に置かれた人間が何を望むのか、私はそれを分かっていてなお、口には出さなかった。けれども悲しいかな、その日はついにやってきたのだ。

「私のことを、記録してほしいのです」
 白く濁った瞳をこちらに向けて、赤目はそう望んだ。

「記録など、できはしませんよ」
 涙を堪えながら、私は言った。
「……もはやこの島に、記録を省みるものはいないのですから」

「あなたがいるではありませんか」
「……私しかいないからです。そして、私は記録を見返すことに耐えられない」
「忘れないために、記録は残すものでしょう」
「……その通りです。ただ、完全にはなりえない。《七色声音の芸達者》。あなたは多くの声を島の民に捧げた。しかし彼らは海に消え、私はすでに彼らの声を忘れかけている」

 人は、最初に声を忘れてしまう。大陸で商人をやっていた頃、知ったことだ。お客の訃報に接しても、容姿と人となりは思い出せるのに、なぜか声だけはとんと思い出せない。この島に流れ着き、速記術の腕を買われて書記官となってからも、それは同じだった。多くの島民たちの葬儀に立ち会い、記録を重ねても、声だけは記憶からこぼれ落ちていく。

 だから、これは単なるわがままだ。
 自分でも、痛いくらいに分かっていた。
 それでも、伝えねばならなかった。

「私はこれから、ひとりで生きていかねばなりません。あなたはまさに声の職人でした。そして私は、未熟な書き手にすぎません。あなたの声を記せないのです。出来損ないの記録を抱えて、やはり声だけは忘れてしまって、あなたのことを中途半端に思い出して──そうして生きていくことに耐えられないのです。ならばいっそ、忘れてしまったほうが──」

「大丈夫ですよ」
 ・・・・・・

 それは、私の声だった。否、赤目が発した、私の声真似だった。

「何を驚いているのですか。私を誰だと思っているのですか」

 さも愉快そうに、赤目は──いや、「七色声音の芸達者」は笑った。

「私に本当の声などありません。強いて言うなら、どれもが私。普段あなたに向けていた声も、あなたのために用意した声なのですから。そして、今しがたの願いも、あなたのためのもの。記録なさい、書記官。あなたのために、ご自分の職務を果たしなさい。そして、私を思い出したくなったら、その記録を読み上げなさい。あなたが私を演じるとき、私もまたあなたを演じているのですから」


<了>

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