フロマートカの言葉メモ その5

この記事に引き続き,プロテスタント神学者たるフロマートカの言葉をメモしていきます。

「信仰と希望は結びついていて,どちらか無くしては生きられないものである。一方が死ねばもう一方も死ぬ。一方が成長して勝利すれば,もう一方も成長して勝利する。」(フロマートカ『人間への途上にある福音』新教出版社,邦訳317ページ)

「古のイスラエルの人は,さまざまな神秘的な儀式の泉で清めれば不死が得られることを約束した古代ギリシャ哲学や,その他の多くの神秘的な儀式の思想が教えるような,不死の魂という思想を持っていなかった。ギリシャ人は,こうした清めの儀式では,人間の不死の魂が肉体の中に囚われており,体の情欲や本能によって汚されていると考えていた。魂の本質が不死で清浄であるとすれば,肉体の本質は儚く,不浄で,人間のあらゆる弱さ,悪さ,私たちが悪と呼ぶものすべての根源である。こうした見解や雰囲気の背後にあるのは,人間は二つの一般的な,いわば抽象的な実体から成るという見解である。そのような見解においては,一人の人格はかけがえないものだという思想は失われ,魂と精神と肉体が相互に依存し切り離しがたく形成する一個の存在としての人間という思想は失われてしまう。だが聖書の人間観は最初から異なっていた。」(フロマートカ『人間への途上にある福音』新教出版社,邦訳323-324ページ)

フロマートカ「神は近づくことも制御することもできない。思想によっても崇拝によっても「宗教」によっても制御できない」

フロマートカ「常に私たちが留意しなければならないのは、キリスト教徒の本来の信仰は、いかなる世界蔵や世界観、いかなる神話や迷信、自然と歴史、世界の始まりと終わりに関するいかなる思索も突破しているということである」

フロマートカ「自分に当てはまることと決して当てはまらないことを自分で決めようとする。自分が自分の究極の権威になろうとする。これは神の恵みに対する反抗である」

フロマートカ「人間の歴史は神への反抗の歴史である」

フロマートカ「書を読んで信仰をもつ者は、悪がいわゆる宗教的分野から遠く離れた現象において見られるのではないこと、神に対する反抗は宗教のローブをまとい、聖なるマントに袖を通していることを知っている」

フロマートカ「偶像崇拝の本質は、神を自分の目的に乱用しようとする人間の企てにある。人々が宗教をアヘンと呼ぶゆえんである」

フロマートカ「近代の思想(実証主義と呼ばれる)は、科学的に収集し分類した大量のデータをもとにあらゆる方法を使って説明するが、悪または悪と呼ばれるものを、外的な諸関係の結果であり、無自覚と無知の結果であり、外的諸関係を改善すれば、もしくは人間関係を深めて外的秩序を修正し、一人一人を思想的または道徳的に上の文化水準に押し上げるべく支援するならば、徐々に克服でき、あるいはなくすことができると考えている」

フロマートカ「理性による啓蒙も人間の文化的向上も、悪を帯びるものを克服できない。私たちは、最大の犯罪もまたきわめて教養が高く論理的な思考力を持ち、社交的に洗練された人たちの心や判断から生まれることを知っている」

フロマートカ「個人的な責任を棚に上げて、悪の起源や力についてうまい説明や気のきいた説明ばかりを求めている限り、悪の最も暗い本質は理解できない」

フロマートカ「信仰において私たちが自覚するのは、悪は個人の反抗から生まれるが、単なる個人の領域を踏み越えて大きくなり、積もり積もって逃れられない切っ先を人間につきつけ、個々人と社会全体を隷属させる力になるということである」

フロマートカ「聖書的信仰を告白する者は、悪をありのままの姿で見る。悪を悪と呼び、虚偽を虚偽と呼び、邪悪を邪悪と呼ぶ。世界の闇の力のあらゆる可能性と現実、現実と可能性を見る。しかし何よりも、信仰の中で上を仰ぎ見て、神の真理、神の愛、そして神の力の至高性を見る。途方にくれた人間が絶望しているところに神の力を見る」

フロマートカ「神は、悪が勝利をつかんだように見えるところで勝利する。神はその聖性の中で、そして救済者の力の中で、最も絶望的な場所、つまり陰府にさえ臨在しているのである」

フロマートカ「生ける神の事実と、歴史と人間の生活の底において絶えず形を変えてゆく働きは、人間の定式には収まらない。というのも定式はいつも、不動で静的で抽象的だという特徴を備えているからである。しかしすでに述べたとおり、教会と神学は、表現できないものを表現し、解釈できないものを解釈し、説明できないものを説明しなければならない」

フロマートカ「イエスは道徳家ぶらず、裁かず、罪人の交わりから自分を切り離さず、彼らを追ってガリラヤへ、貧困にあえぐ彼らのもとへ、裁きの前、死へ、墓へ、そして地獄へも行くのである」

フロマートカ「イエス・キリストにおいて、永遠と時間が交わり、神の時間がこの世の時間と交わる」


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