灰色な世界_あるいは断章のフラグメント

灰色な世界。その中で私は生きる。いや,生きているという白色の事実も死んでいるという黒色の事実もない中で,それでも私は生きる。

この世から悪が消えるためしなし。消えたではない。消えるなのだ。真理という名のもとに語ることができるに値する言葉があるとすれば,これをおいて私には見つからない。この世から悪が消える試しはない。試しはない。試しがないだけで実際にはわからないではないかなどという戯言に耳を傾ける余裕は,興味深いことに,立派なくらいにないのである。形容矛盾。

憐憫の情というものがある。わたしはこれによって初恋,それも叶った初恋を始めたと言ってよい。これは相手にも直接に言ったことがあることだ。憐憫の情から始められる恋というものは,それ自体としてはよくある話であって,何も特別な話ではない。と私は思っているのだが,これが不思議という名の秩序というものであって,不思議とこれが私とその相手だけの体験であるという確実性だけは私から消えないのである。それこそ不思議なほどに消えないのである。僕はそんな確実性を確実に疑う立場にいるのでなかった。そんな俺のことなどぼくはしらないのだけれど。

灰色という色は混ざった色だ。というよりも実際に私は白色も黒色も見たことがない。今までに一度も見たことがないと言い切ってよいだろう。限りなく白色に近い灰色や限りなく黒色に近い灰色なら,経験値の回数として回数として存在できないくらいに多量な回数を,大きな小さい経験としてならいくらでも持ったことがある。白や黒が先にあるから灰色があるという感じがしなくなってくる。灰色と薄い,濃い。そんな「こい」があったしあるしこれからもあるだろうという感じがする。

大切なことや言いたいことは何度でも繰り返すと,誰かは言っているがそんなことはない。ありえない。本当に大切なことやいいたいことがあるとするならば,その言葉の圧倒性と真実性と鬼気迫る感じからして,その言葉を表現者に語りしめないのである。人は新しきことにとびつき,それを古きものとすることによって,その新しさを捨てる。捨てられた新しさを取り戻すことはできないが,それを取り戻すことを本気で望む人間はいない。もう一度記憶を消して最初から見てみたいわ!という人はよく見るけれど,記憶を消してしまったらその相手に,その対象に出会うことは叶わないかもしれない。そんな可能性を考慮した上で,なお同じセリフを言える人がいるのだろうか。

まわる。まわる。回転軸を中心にしてまわる。人は転回する。天界を展開しながら転回する。みだりに神の名を唱えてはならない。みだりに唱えるものはそれを信じていないからそうするのだ。それを人間の対象とするから唱えるのだ。それを人間の支配下に置こうとするから唱えるのだ。義人はただ一人もなし。私が善良だと思う人間にこそ悪が寄り添うのである。いな。悪はいつでもどこでも寄り添うのである。神は自分の姿に似せて人間を創造したという。神は善なり。されど人間は悪なり。どういうことか。この問いは古典的な問いであり,論理的に解決されることはない。論理的に解決されることがないからこそ,信仰が成り立つのかもしれないが,そんなふうに信仰の立場を弱めることは僕にとって嫌なことだ。

学問は限界の発見にあるのですよ,とかいうことを確か坂口安吾が述べていた気がする。とんでもない悪を人間が創造するとしても,その悪を創造する人間を科学の力で,ましてや天才的な科学者如きに止めてもらっては困るのだ。人間と自然に仇なすかもしれない技術が及ぼしうる危険性を論じることだ。その危険性があるからとってその学問それ自体を,学問の名に値するものをめざすのならば,止めることはできない。事実認識を積み上げた先に当為認識がくることはない,というようなことを述べていた人がいたような気がするのだが,こっちは坂口安吾とは違って名前さえ出てこない始末である。

逃げることは大切なことだ。逃げたということをその本人がはっきりと覚え続けることができるのならば。人は死ぬことから逃げ続けているのだから,本来的に逃げることの得意なものである。それがどういうわけか何かに向かって突き進むことを覚えるのである。覚えさせられる?人は死に向かっている,死にかかっているというニュアンスのことを述べた哲学者が,確かハイデガーとかなんとかいう名前の哲学者がいた。存在と時間。

この世は善で満ちている!とんでもない戯言を述べないでもらいたい。善があるから悪があるのではない。いわんや悪は善の欠如なのであって善を増やせば悪が減るなどともいわないでもらいたい。もちろんそういうことを言うのは自由なのであるが。初めにロゴスありき!ロゴスとは勘定とか計算とか言う言葉だ。え?言葉だとか理性だとか言う意味はどうしたって?それは後知恵というやつだ。ロゴスをラテン語訳したものであるラティオを考えればもっとはっきりする。有理数はrational numberという。比のことをratioという。どちらも英語での話だ。ではラティオはラテン語表記するとどうなるか。ratioである。

___(以降は追記である)

あなたは,これの読み手は私がどういう仕方でどういう理由でこれを書いたかを知らない。想像することは,あるいはひょっとしたら創造することはできるのかもしれない。どうでもいいがimagineとcreateという,少なくとも英語で聞けば全く違う音に聞こえる想像と創造が,日本語では同じ音で発音されるというのは,興味深い。もちろんこのことを私以外に指摘した人も指摘する人もこれから指摘するだろう人もいることは,問題なく正しい。日本における英語教育が義務教育課程から外されることがない限り,おそらく問題なく私のこの予想はただしい。

知って欲しいと思うのか。私がどういう仕方でどういう理由でこれを書いたのかを私が他の人に?他の存在に?そんなことさえ私は知らないのだ。知って欲しいとも。言葉は誰にでも発行できる。問題はそれを受け取らせることがである。知って欲しいわけないのだとも。言葉は誰にでも発行することができる。問題はそれを受け取らせることである。

Scientia est Potentia. 知恵とは潜在的なものである。と今ここの私はこれを訳す。一般的には知恵は力なりと訳されている表現である。位置エネルギーはpotential energyの和訳であるが,これは潜在的なという意味のpotentialをいささか殺してしまった和訳であるように思われる。一度定着してしまったものを,一度人口に膾炙してしまったものを撤回することは,ほぼ不可能な所業であることを弁えているつもりの僕は,これを今更世に問おうとは思わない。ところで,潜在的と聞くと顕在化させなければいけない,と即座に,無反省に,考えることもなく,いや考えた挙句に?判断する人がいる。私からすれば,それはScientiaに対する,いや,scienceに対する冒涜であるように聞こえるのだ。見えるのではない。聞こえるのである。scienceはどこまでいっても,顕在化してはいけないのである。これは一般に信仰を,あるいは神の所業を神秘と捉える通俗的見解に違反している。違反しているからどうだとかいうつもりはないのであるが,科学をやたらに顕在化させようとするあまり,科学が妙な仕方で政治になってしまうのだ。

だからといって,顕在化させてはならないからといって隠せばいいということにはならない。隠れているのだか現れているのかよくわからない状態を運動することが科学だといいたいのである。状態を運動などという言葉は日常語ではないように見えるから,これを説明しなければならない気がするのだが,その説明はこれを放棄する。隠れていても現れていてもいけないものだからだ。それでもあえて簡単に言えば,状態と運動を対比で捉えるまではよいにしても対立で捉えるなということが言いたいことなのだ。

学問なき信仰はありうるが信仰なき学問はあり得ない。対称性の崩れ。均衡だとか平均だとかそういうものに対して肯定的になり,不均衡だとか不平均(あるいは外れ値)とかいうものに対して否定的になる傾向があるのはどういうわけか。バランスを取ろうとするという立場自体は基本的にバランスの対象にならない。バランスを取ろうとするその姿勢自体が天秤にかけられるということは,少なくともバランスを取ろうとする姿勢の頻度よりは少ないだろう。バランスが取れているから偉いだとか真実味が高まるだとか,そういうことはない。だからといって極端になれば偉いだとか真実味が高まるだとか,そういうこともない。バランスと偉さ,バランスと真実味には関連がない。真理や偉さはあるものなのか,なるものなのか。あるとなるの違いを考えたとされる政治学者に丸山眞男という人物がいたとかいないとか。

全てを支配したいなら,全てに支配されることだ。それ以外に道はない。There is no alternative. TINAである。もちろんそんな所業が人間にできる試しはないのだから,それ以外にしか道がないわけであるが。悪に支配されたことのない人間に悪を減らすことはできるのか。そんなあまちゃんな世界をどうやら神は,あるいは超越的なものは,あるいはあるいは因果はもたらさなかったらしい。もたらさないらしい。もたらすことはないらしい。人間の良心などない。あるのは職業的良心だとか立場的良心だとか,せいぜい金銭的良心だとか,ロゴス的良心だとかにすぎない。つまり人間の限定なき良心はない。あるなどと宣うことのできる人間がいたらみてみたい。偽善者にして真理に背くものがいるぞ!!欲望を無くせという欲望をなくすことができない時点で,この発想は失敗すること可能性100%である。


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