ゲーテの言葉 その10

いよいよこの記事に続きまして第10回目を迎えました「ゲーテの言葉(メモ)」シリーズですが,その節目にふさわしい(?)ゲーテの言葉たちを記していきます。

ゲーテ「互いに反発し合う性格はむしろ,親密な調和を可能とする。」

ゲーテ「ある種の欠点は,個人の存続のために欠くことができない。旧友たちがある種の癖をやめてしまったら,私たちはいやな気持ちになるであろう。」

ゲーテ「私たちの情熱はまさに不死鳥である。古いのが焼け死んだと思えば,すぐまた新しいのがその灰の中から立ちあがってくる。」

ゲーテ「まったく無縁で,互いに興味をもたない人たちでも,しばらく一緒に暮らしているうちには,互いに胸襟を開く。そして必ず,一種の親愛感が生じるものである。」

ゲーテ「アルカリと酸は,対立し合っていて,しかもおそらくは,対立し合っていればこそ,互いを他のなににも増してはっきりと求め合い,とらえ合う。そして互いを変化させながら,一緒にひとつの新しい物質を形づくる。」

ゲーテ「愛のない人生,愛する者を身近にもたぬ人生は,ばらばらのエピソードが納められた「引き出し喜劇」,つまり,引き出しだらけの駄作劇にすぎない。人は次々にひとつずつ開けてはまた閉め,急いで次の引き出しにとりかかる。仮に素晴らしいことや意味のあることが見つかったとしても,それらすべてにあまり脈略はない。」

ゲーテ「完全な愛とは無私であること,私欲なきものであることだ。」

ゲーテ「ある人物に備わるこころよい雰囲気は,その人の外皮の上にまで拡がる。だからわたしたちは,その人が自分の特性を新しい環境に見せつけるたびに,何度でもその人を新しく見直しては,ますます美しいと思うのである。」

ゲーテ「恋人として,花嫁として,妻として,主婦として,母としての婦人を観察してごらんなさい。いつでも孤立しています。いつでもひとりぼっちですし,ひとりぼっちでいようとします。虚栄心の強い婦人でさえ,そのとおりなのです。どんな女性でもほかの女性とは相容れません。」

ゲーテ「依然として二人は,名状しがたい,ほとんど幻術的な魅力を,およぼし合っていたのである。二人はひとつ屋根の下に住んでいた。しかしべつに互いのことを思い合わなくとも,ほかのことに気をとられていても,みんなにあちこちと引きまわされても,それでも二人は互いに近づいていった。」

ゲーテ「人間の美しさを見る人が邪念を起こすことはありえない。この人は自分自身や世界との調和を実感しているのだから。」

ゲーテ「内面的な衝動,興味,愛だけが,障害に打ち克ち,道を切り開き,ほかの人たちがみじめにくよくよしている狭い境涯から抜け出すよすがになる。」

ゲーテ「主要人物たちが立ち去って,かげをひそめて,活動をやめると,すぐあとから,第二第三の,今まではほとんど注目されなかったような人間が登場する。そしてその席をふさぎ,力限りの活動をし,今までの人たちと同様,私たちの注意や関心をひくのみならず,賞賛にさえ値する人物だと思えてくるのである。」

ゲーテ「愛人の欠点を美徳と思わないほどの者は,愛しているのではない。」

ゲーテ「私たちはどこから生まれて来たか。愛から。私たちはいかにして滅ぶか。愛なきため。私たちはなにによって自己に打ち克つか。愛によって。長い間泣かずに済むのはなにによるか。愛による。私たちをたえず結びつけるのはなにか。愛である。」

ゲーテ「人は自然の法則に従っている。たとえその法則に反して働いているような時でも。自然の絶頂は愛である。愛によってのみ人は自然に近づく。」

ゲーテ「すべてにつけて無私であること,なかんずく愛と友情においてもっとも無私であることこそ,私の最大の願いであり,また実践でもあった。」

ゲーテ「美は秘められた自然法則のひとつのあらわれである。」

ゲーテ「女性全体が果たすべきいっさいのことが,ひとりひとりの女性に要求されている」

ゲーテ「同じ広間で落ち合えば,すぐいつのまにか,二人はとなり合って立つか座るかしていた。」

ゲーテ「実際に,仮にどちらかひとりを,住居のいちばん端におさえつけておいたとすれば,もうひとりのほうは,しだいしだいに,ひとりでに,思わず知らず相手のところへ,動いて行ったことだろう。」

ゲーテ「尻尾とたてがみの切り取られた馬,耳を切りつめられた犬,もっともたくましい枝を払ってしまい,他の枝を丸く刈りこまれた大木,とりわけ,若いころからコルセットで締めつけられて,身体が歪んでしまった娘,こうしたものはすべて,良い好みに反している。」

ゲーテ「人はそれぞれの流儀によってものを考えればよい。めいめいが歩んでいく道の上でしか真理は,あるいは真理に類するものは,見出すことができない。そこに見出したものだけが,その人間を生涯助けてくれるのだ。」

ゲーテ「私たちは,叙事詩のなかで詩人の技巧としていつも賞賛していることに,普通の生活のなかでぶつかることがよくあるものだ。」

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