「死にたい」をやめる

鬱持ちの私が手当たり次第に「死にたい」とわめき散らさなくなったのは、高校時代の大切にしたかった友人が一人死んでからだった。

彼女が亡くなったのは2020年の1月6日。
もしかしたら前の晩には亡くなっていたのかもしれないけれど、私の元へ連絡が飛んできたのはその日だった。
年明け最初の出勤日で気だるい中、職場のデスクで昼食をとろうかと思っていた瞬間だったことをよく覚えている。

正直に言うとその時まで、私は結構な頻度で定期的にこの世からスムーズにログアウトする方法を考えていた。
2年か3年くらい前に地雷を踏み抜かれたように鬱をこじらせてから、この先の人生のすべてがどうでもよく思えていて、家族からも職場からも消費される日々に絶望していたのだ。
1月5日の晩も、次の日が来ることが不安で恐ろしくて眠れずに過ごしていたわけだけれど、そんなことを全部忘れさせる勢いで友人の訃報は私の頭を打った。

別に出るものなんか何もなかったけれど、ただでさえ呑気に笑って過ごしている同僚たちの隣で友人に起きたことを考えるのは、私と彼女たちとの温度差がありすぎて無理だった。
誰にも声をかけずに席を立って、とりあえず一人になれる場所にと思い行き着いたトイレの個室で、たしか私は手にしたスマホの画面を見つめ続けていたと思う。

自分で選んだ結末だったというのは、言われる前から察していた。
ただ、彼女に関する続報で「十中八九、家庭の問題」と目にした時、「なんで?」と思う自分と「やっぱりな」と腑に落ちる自分がいて一層混乱した。

後悔しても仕切れないのは、彼女がなくなる数日前、眠りの浅い私の夢に彼女が出てきて懐かしく思っていたからだ。
しかもさらに皮肉なのが、その数ヶ月前には忘年会か新年会を兼ねて久しぶりに同窓会をやりたいと別の友人に声をかけていて、結局スケジュールが合わず白紙になっていたという事情があった。
これまで親族の葬儀などにはそれなりに立ち合ってきたけれど、年老いた者や病に臥せった者が生き物として仕方がないように息を引き取っていくのとは訳が違う。

あのとき、自分の体調や金欠など無視して「忘年会どうですか!」と打診だけでもまわしていれば、亡くなった彼女の絶望の中に、少しくらい希望を灯せたんじゃなかろうか。
実際に同窓会を行えていたなら、彼女の悩みも聞き出して「散らかってるけど、うちにおいでよ」と言えたりもしたかもしれない。
そういうタラレバが、ずっとずっと頭の中に残っている。

・ ・ ・

彼女との最後の会話は、何年か前の同窓会での「妊娠したので結婚する」だった。

もとを辿ると彼女の苦悩はそこから始まっていたのだけれど、私や他の友人たちはその時気づくことができなかった。
高校生の頃、彼女はヤンキーとまでとはいかずとも派手なタイプの学生で、遅刻や欠席やタバコといった、年頃の未成年にありがちな悪癖を持つ問題児枠だったから、私たちも知り及ばない交際相手がいたことにあまり違和感がなく、そういうものかと聞き流してしまったのだ。
だから笑顔で報告する彼女に「おめでとう!」なんて言って送り出してしまったのだけれど、彼女を追い詰めたのはその結婚相手と家族たちだった。

もちろん彼女にもよくない点はいくつかあった。
ここから先はすべて彼女が亡くなったあとに聞いた話だけれど、彼女は私たちとも面識のある同級生の交際相手を寝取った結果、妊娠・結婚に行き着いていた。
何も知らない私たちには、スレた友人を受け止めてくれる良き人に出会えた角出に見えていたものが、自分で蒔いた種とは言え彼女にとっては地獄のはじまりだったというわけだ。

上述したとおりのいきさつにより、彼女は嫁ぎ先の家でかなり冷遇されていたらしい。
夫側の家族からは総無視をされて、産んだ子どもの育て方は全否定され、はじまり方がよくなかったとはいえこれじゃやっていけないからと親世帯との別居を求めるも、夫からも蔑ろにされ、挙げ句の果てには夫の父親とも肉体関係を持ってやりくりし、家族を持ったのにずっと一人で孤独に子どもを育てていたという。
彼女が自分の持った家庭のために懸命になればなるほど、彼女の夫を含め嫁ぎ先の家族は、彼女のことを卑しい女だとなじって言葉通りに迫害したのだ。

その話を聞いた時、私は色々なことが許せなかった。
最初に友人の交際相手を奪うような真似をした彼女にも、彼女を孕ませた結果責任を取るような形に落ち着けたくせに夫として機能しなかった男にも、それを正しいとして彼女をさげすみ続けてきた一家にも。
何より、家庭の脆さなんて身をもって知っているのに「結婚したなら幸せになるだろう」などと安直に決めつけて疑いもしなかった自分が、一番許せなかった。

とはいえ、ここでは今さら家族というものの悪い側面を糾弾したりするつもりはない。
家族というのはもとから理不尽で、私や彼女が知っているように、見方によっては脆くいびつな共生体だ。

自分でも驚いたけれど、私が「死にたい」をやめたのは怒りや憎しみからではなかった。
それらが一つの起爆剤になったような節はあるけれど、許す許さないは別にして、どこかのタイミングで一周まわったのを感じている。

私にどうこうなって欲しくて彼女が自分の人生にピリオドを打ったわけじゃないことくらい分かっているけれど、彼女がこの世から消えてしまったことの虚しさを実感するのと同時に、私は、彼女が好きだと言ってくれた私に戻らなきゃならない気がした。
なぜかって、彼女の思い出を振り返ったとき、私には到底できないようなキラキラした顔で、私の絵や空想や声や性格や容貌の多くを、迷わず「好き」と言ってはにかんでいた笑顔を思い出すのだ。

耳を疑うような悲しみや絶望で幕を下ろした彼女の人生に、このままの私では何の贈り物も用意してやれない。
頑張ったね、と言ってとびきり褒めてあげるには、彼女がとびきり好きだった私でいなきゃダメだ。
無理して演じているわけでも、心にないことを形だけ取り繕って述べているわけでもなんでもなくて、私は本心からそう思う。

一度ぐちゃぐちゃに挫けた私の心も、いなくなってしまった彼女のことも、もうなかったことにはできない現実だけど、それでもそれなりに向き合っていこうと心のどこかで思えたその日から、私はなんの苦しさも我慢もなく自然と「死にたい」をやめた。

彼女がこの世をあとにして146日目の今日。
取り残されたような寂しさは相変わらずあるけれど、今の気持ちがようやく言葉としてまとまった。

あの子に好きと言われて胸を張れる自分に、私は少しでも戻りたい。

お盆に来てくれても嬉しいけれど、私の部屋は散らかっているし、ビビって叫んだりしたらごめんね。
コロナの騒動が落ち着いたら、必ずあんたの墓参りに行くよ。

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