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文章を書くことは調理と同じ

私が働く会社は外資系である。

日常の業務は当然日本語でしているが
親会社はアメリカの会社なので
英語で報告をしなければならない。

そんなシチュエーションの中で
私は得意ではないものの、
英語ができる部類として認識されているので
通常の商品開発の仕事以外にも
親会社とコミュニケーションが必要な仕事が
回ってくることがある。

時間を取られるのは痛いが、
これも英語の勉強だと前向きにとらえてみると
仕事をしながら英語を学べる最高の機会なので、
私はそのような仕事を積極的に取るようにしている。

先日何気なくメールを見ていると、
親会社の役員から社内報のようなものの
記事を各拠点から数点出してほしいと
依頼のメールが来ていた。

この社内報のようなものは年に2回発行され
PDF形式でグループ全員に配信されるのもので、
各拠点の改善事例や環境対応活動の事例を
記事にして紹介し合うような内容である。

過去2年分は私がこの記事を書いてきた。

幸い商品開発をしていると、製造や営業そして管理と
色んな部署の人たちと関わるので
このような紙面に書く事例には事欠かない。

なので、私が彼らに聞き取りをして事例を
紹介する文面を書き上げて送ってきた。

だが、今回はあえて私が書くのをやめることにした。

何となく私がやることが当然のように
思われている感じがしたからである。

とはいえ、いきなり英語で記事を書いて
送れというのもハードルが高すぎるので、
各部署の責任者に日本語で記事の素案を
送ってもらい、
それを私が翻訳して体裁を整えて出稿する形で
進めることにした。

期日を設けてメールで募集をしてみると
チラホラとメールが返ってきだした。

内容を見てみると私は知らなかったような
小さな改善の事例が書かれており、
とても面白い。

「やはりこのやり方は正解だった」

そんな風に思った時に、
管理の統括をされているOさんから
メールの返信が来た。

Oさんは総務人事も含めた管理業務全般を
統括している方なので、
どのような内容が書かれているのか楽しみな反面、
私の中で一つの懸念があった。

それは日本語が難解ということである。

Oさんは社会人になられてからMBAを取得されるなど
非常に勉学に熱心な方で、
私もとても尊敬しているのだが、
難解な日本語をしばしば話されるのである。

話し言葉ならばまだいいのだが、
これが文章となると難解さが増すので
メールでOさんとやり取りをするときは
少し身構えてしまうほどである。

だが、今回は私が英訳するという前提で
依頼を投げている案件なので、
さすがに平滑な日本語を使ってくれるのではないか。

不安と淡い期待を胸に抱きつつ
私は添付ファイルを開いた。

そこには案の定、難解な日本語がずらりと
並んでいたのである。

正直、日本人の私ですらどのようなニュアンスで
書いているのかわからない点が何か所かあるので、
これをどのようにOさんに尋ねるべきか悩んだ結果
とりあえず私の解釈で英訳してみて、
それをOさんに確認頂く形で投げることにした。

難解な日本語を自分なりに解釈して
英語に起こしてみると、
なぜだか少し楽しいと感じている自分に気が付いた

それはなぜか。

難解な日本語で書かれてはいるものの
内容は素晴らしいものだったので、
それを皆がわかりやすい平滑な英語に
置き換えている感覚が気持ちよかったのである。

私は毎日noteを書いているが、
特にこのテーマにフォーカスして書くと
決めているわけではない。

日々気が付いた色んなテーマで話を書くので
私の記事を初めて読んだ方であっても
内容を理解して頂ける前提で書いている。

その習慣が付いているからであろうか、
今回の翻訳においても前提を知らない人に対して
理解してもらおうとすると、
前提条件の説明が足りていない部分が
多々あることが気になっていた。

恐らくGoogle翻訳などでOさんの日本語を
そのまま翻訳したとすれば、
この話の背景や日本の習慣を
良く知っている人にしか伝わらないだろう。

そんな文章に肉付けをして
平滑な英語に置き換えて伝える作業は
何だか調理をする感覚に近いと感じたのだ。

調理も食事をして栄養を摂取するという
目的がある中で、
それをいかに美味しく楽しむかを
工夫する工程である。

単に栄養を摂取するだけならば、
味も何もつけずにそのまま食べるか、
肉のようなものなら火を通すだけの
原始人的な食べ方でいいはずである。

だが、私達は調理をすることで
その食事を楽しいものに変えた。

まさに文章で何かを伝えるというのは
それに近いことなのではないだろうか。

同じテーマであったとしても、
人によって切り取る角度や落とし込む文章は
全く異なってくるであろうし、
読者が読んだときの伝わり方も
全く異なってくるものである。

今回の仕事において私がしたことは
単に翻訳をするだけではなく、
調理をするのに近かったので
私は楽しいと感じたのではないだろうか。

今日も合間を見つけて他の記事を
翻訳する予定だが、
Oさん以外の方から出てきた文章は
とてもわかりやすい日本語で書かれていたので
次はその素材の味をしっかり残した調理を
するべきであろう。

次週末にはすべての記事の確認までして
入稿する予定であるが、
今回の私の料理がネイティブの方にとって
面白いものになるかつまらないものになるか
勝敗の判定を待つ道場六三郎のような
気分を味わいながら過ごそうと思う。

ちなみに、Oさんに私が書いた英文を送ると
「とても分かりやすく書かれていて修正点はない」
と返答が返ってきた。

もしかすると、そもそも英語で書いてもらうようにすれば
さすがのOさんとて、平滑な言葉になるのかもしれない。

次回から英語で記事案を出してもらおうと
思っているのはここだけの話である。

記事作成依頼のメールを受け取った人の
「Oh my god!」という心の叫びが
既に聞こえるのは気のせいではないだろう。


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