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苦手な人が持つ要素とは何か

私は朝起きた時点で今日はnoteで何を書こうか
大まかに決めている。

そして、頭にそのことを思い描きながら
朝のルーチンをこなし、パソコンに向かう。

おそらくルーチンをこなしながら私の頭の中では
その内容がパンの記事のように捏ね上げられ
パソコンの前に座ることで
オーブンのスイッチが押されるのであろう。

そのようなイメージで毎日記事を書き続けているが、
時々この流れに従わない日がある。

パソコンにむかう前に他の方の記事を読んで
その内容に対して書きたいと思った時である。

そう、察しの言い方ならもうお分かりかと思うが
今日がまさにそのパターンなのだ。

ではどの記事に影響を受けたかというと、
いつも仲良くして頂いているうぉんのすけさんの
下記の記事である。

下記の記事はうぉんのすけさんが
苦手とされる方を紹介され、
その人たちがなぜ苦手なのかを書かれている
内容である。

私も過去に自分が苦手な人について
記事にしたことはあるのだが、
うぉんのすけさんの記事を読んでいて
私の頭の中には職場にいる2人の顔が
ずっと浮かんでいた。

彼らのことは思いだすのも嫌なぐらい
私は苦手としているが、
彼らのことが苦手な要素は掘り下げたことがない。

これは記事にして掘り下げてみろと
天が言っているのだと解釈して
今回記事にしてみることにした。

過去最長レベルの前置きとなったが、
さっそく本題に入ろうと思う。

私が苦手な人とは職場にいるSさんとMさんである。

Sさんは工場の出荷を担当する部署にいる方、
Mさんは品質管理を担当している方。

この二人に共通する苦手要素は一体何かというと
”不機嫌そうな態度を隠さないこと”である。

Sさんは私よりも10歳ぐらい上の方だが
いつ見ても仏頂面なのだ。

私が今の会社に入社したのは9年前なので
最初は人見知りでこのような態度を
とっているのかと思ったのだが、
どうもそうではなく四六時中このような仏頂面を
しているということに気が付いた。

もちろんそれは彼のスタイルなので
私がどうこう言うものではないのだが、
仕事を依頼したときにもその仏頂面から
不機嫌な言葉を吐き出してくるのである。

無論ではあるが、私は彼に無茶なことを
お願いをしているわけではない。

別に当たり前のことを依頼するだけなのだが
彼は「今忙しいねん」などと言って
それを受けようとすらしないのだ。

もしかするといつもそうではないのかもしれないが
少なくとも私が彼に依頼をした過去数度は
同じような感じであった。

それ以来私は彼に依頼をすることを止めた。

ではどうするのかというと、自分でやるか
他の人に頼むようにしたのである。

どうしても仕事上依頼をしないといけないケースが
発生したときには
彼が比較的仲良くしているKさんに
間に入ってもらって依頼をするようにした。

もう一人の苦手な人であるMさんは
Sさんとは少し異なるタイプの不機嫌さを
持っている人である。

Sさんは中二病的にいう「話しかけんなオーラ」を
常に出している人であるのに対し、
Mさんは日によってとてもフレンドリーな
オーラをまとっているのだ。

Mさんがいつもこのようなオーラをまとっていれば
私も全く苦手意識など持つことはないのだが、
Mさんはとてもムラがあるのである。

以前に品質管理に開発中の新商品について
相談しに行った際、
部屋には偶然Mさんだけが在席していた。

私はその際Mさんに何気なく相談を持ち掛けてみると
Mさんの表情が明らかにいつもと
違うことに気が付いた。

眉間にシワを寄せて不機嫌そうだったのである。

しかし、時すでに遅し。

相談内容について
「なんで〇〇をせえへんかったんや」
「何考えてるねん」
「こんなことちょっと考えたらわかるやろ」

このような言葉を浴びせかけてきたのである。

このようなリアクションに対して
別に傷つくわけでもないが、
想像していなかったパンチが飛んできた私は
不意打ちを食らったような気になった。

結局話の途中で品質管理の別の人がやってきて
その人が話を途中から引き取ってくれて
相談内容自体は問題なく解決したのだが、
私の中にはとても嫌な想いだけが残った。

そしてそれ以降私はMさんに相談することを
完全にやめた。

機嫌がいい時のMさんは時々私に話しかけ
何やらアドバイスをくれることがあるのだが、
機嫌が悪い時のMさんを知っているがゆえに
私の耳にはその言葉は入ってこなくなった。

この話題の最初から書いているように
この二人のことが苦手な理由はとても
シンプルである。

不機嫌な人には近づかないに越したことはない。
それを記事の結論にすることは容易であるが、
私のようにそのような人と距離を置くことが
難しいケースも出てくるであろう。

そうなった時、このような人たちを苦手と
感じてしまうメカニズムを
自分なりに解釈しておくことは重要である。

じつは、人が嫌いだと感じた時に
脳の偏桃体という部分が働いていると言われており、
この部分で相手が自分にとって危険か否かを
判断しているそうである。

自分にとって危険だと判断された人は
「嫌い」と判定されて、
近づけないようにするのである。

実際、私は上記の不機嫌な二人から
嫌な言葉を受けたが、
別に何か直接的な危害を加えられたわけではない。

彼らとて不機嫌さ故に私に実情の危害を
加えてくる可能性は少ないだろう。

もちろん言葉の暴力はあるかもしれないが
最初から彼らがそんな言葉を投げかけてくる人だと
構えさえ崩さなければ全く恐れることなどない。

むしろ自分がしっかりと構えをしたうえで
相手から加えられる攻撃は
相手のスキを打突する最高のチャンスでもある。

彼らに何かを依頼しなくてはならない時には
この心の構えを崩さずに立ち向かえば
心に傷を負うことなく、
むしろ少し優位な気持ちで彼らに対峙することが
できるのではないだろうか。

この記事は最初自分の苦手な人について
掘り下げようと思って書き始めたが、
書いていくうちに彼らに対して
自分がとるべき対処の話になっていた。

しかし、結局のところ私達は人を変えることは
どうあがいてもできないのである。

SさんもMさんも一体なぜ不機嫌になるのかは
想像の域を全く超えないし、
それを是正することなど私達には絶対できない。

それならば、苦手な人に対してどのように
接するのか自分の態度を決めることが
何よりも大切な事なのではないだろうか。

数年前下記の本が流行ったことがあるが
このような本を読んで自らをコントロールしようと
意識する人はそもそもSさんやMさんのように
相手にそのような態度を堂々と見せる人では
ないだろう。

これからも苦手な人に遭遇することはあるだろうが
自分にできることに集中して
苦手な人に立ち向かっていきたいと思う。

ちなみに、SさんもMさんも私のことを
どうやらライバル視しているという人がいる。

Mさんは私と同じ化学のバックグランドがあるし、
Sさんは私が彼の部署の他の人と仲良さげに
コミュニケーションをとることに
嫉妬のような感情を抱いていると
周りの人から言われたことがある。

これこそ私にはどうにもできないタスクなので
なにも気にしていないが、
彼らが私をライバル視していると思うと
なんだかちょっと好きになれそうな気もする。

人はシンプルなのか複雑なのか
よくわからない生き物である。

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