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医療の進化とノスタルジー

昨日の記事でも書いたように
一昨日から右の耳の調子が悪い。

だが、一昨日は木曜日で耳鼻科が開いていなかったので
何とかして昨日は受診したいと思っていた。

とは言え、昨日は午前も午後も外部業者との
来社商談があるため、
仕事を休むというわけにもいかない。

どうしようかと思って自宅の最寄り駅近くにある
耳鼻科の診療時間を調べてみると、
定時でダッシュすればギリギリ間に合う時間である。

もう私に残された道はこれしかない。

ということで、昨日はまさに定時ダッシュをして
バスに飛び乗り、
診療時間終了5分前に駅前の耳鼻科に滑り込んだ。

初診であることを受け付けで伝えると
既に待合室の清掃を始めている人がいたが
時間に間に合ったのだから文句はあるまい。

問診票に記入を済ませると
すぐに診察室に通された。

耳鼻科に訪れるのは実に30年ぶりである。

小学生の頃、私はずっと健康診断で
”慢性鼻炎”と診断されていた。

そのため、夏のプールの前になると
嫌でも耳鼻科に行って、
先生の「プールに入っても大丈夫です」という
お墨付きをもらわなくてはならなかったのだ。

慢性鼻炎とはずっと鼻炎が起こっているような
症状のもので、
多くの場合は骨格に影響を受けると言われている。

当時からそんな説明を受けたわけではないが
耳鼻科に行っていつも同じ治療をされること、
そして、何度言っても症状が良くならないことから
子供ながらに簡単には治らないものなのだと
私は察していた。

なので、私からすれば年中自分の鼻と付き合ってきて
その特性やクセなども理解しているのに
どういうわけか、プールに入るとなるだけで
耳鼻科に行かなくてはならず、苦行の様に感じていた。

「苦行なんて大げさな」と思うかもしれないが、
当時私にとって耳鼻科が苦行と思える要素が
3つあった。

①待ち時間が長い
恐らく私と同じような理由でアチコチの小学校から
プールに入るためにやってきた慢性鼻炎持ちの
子供たちがやってくるので、
夕方の耳鼻科はやたらと混雑していた。

1時間ぐらいは平気で待たされるのに
耳鼻科の待合室では特にすることもないし、
外に出ていくわけにはいかない。

しかも、待った先に楽しみがあればいいが
決して楽しいものでもない。

1時間が当時の私にとって数時間に感じられたのは
言うまでもないだろう。

②置かれている漫画が面白くない
耳鼻科に限らず病院や診療所というのは
特性上どうしても待ち時間が生じるものである。

妻が妊娠している時には産婦人科に置かれた
女性誌を読んで待ち時間をつぶすことが
私の小さな楽しみであったが、
当時の耳鼻科にはそんな面白い雑誌などなく、
唯一置かれている漫画がどういうわけか
日出処の天使(ひいずるところのてんし)だけであった。

勘違いしないでいただきたいが、
私はこの作品をつまらないと言っているのではない。

今読んだら面白いと思う要素はきっとあるだろうが、
小学校の頃の私にとってはとてもつまらないものであった。

そもそも時代背景に対する知識もなければ、
コメディ的な要素も全くない。

当時の私はコロコロコミックやコミックボンボンしか
読まなかったので、
そんな子供にとってこの本がつまらないというのは
無理もないだろう。

しかし、1時間もの待ち時間やることがないので
仕方なくこの漫画に手を伸ばすのだが、
やはり何度読んでみても興味が持てない。

私以外に待っている子供も同じだったようで
何度も耳鼻科に通いながらも
この漫画をじっくりと読んでいる人に
出会ったことはなかった。

③ナゾな治療
1時間もの長い待ち時間の末、
ようやく自分の名前が呼ばれると
不愛想なおばあちゃん先生の前に座ることになる。

すると鼻が悪いというのでここに来たのに
最初に耳を見られるのだ。

今となっては鼻と耳は密接な関係があるというのは
理解ができるのだが、
当時の私にそんなこと理解できるはずがない。

なぜかいきなり横を向かされて
バキュームする細い管を耳の中に入れられて
強制的に耳垢を除去されるのが
私はたまらなく嫌だった。

当然耳の中をバキュームするので音が怖いし、
時々猛烈に痛い時があったからである。
(この記事を書きながらその時の痛みを思い出して
ゾッとしてしまう)

その儀式が終了すると、ようやく次は本丸の
鼻の治療になるのだが、
ここでも謎な治療が繰り広げられる。

まず最初に耳と同じようにバキュームで
鼻の中を吸引したあと、
先生は鼻の中をマジマジを覗く。

そして、大きなゴム製のイチジクのような器具を
先生はおもむろに取り出すのだ。

この黒いイチジクは一体何かというと
中が空洞になっていて、ボディを押すと空気が
バフッと先端から飛び出すというものである。

先生はそれを私の鼻の穴に入れると
「そしたら今から大きい声で『がっこう』と言って」
と私に指示を出す。

私が学校と言おうとすると「がっこ」ぐらいのところで
先生はそのイチジクを勢いよく押して
空気を鼻の中に入れるのだ。

それを4~5回、左右それぞれの鼻にするので
1回の治療のたびに10回ぐらい私は
「がっこう」という言葉を発し、
鼻の中に空気を押し込まれるのである。

それが終わると何だか中に液体の流れる器具に
鼻を押し当てて、数分間鼻で呼吸をする。

そのルーチンが毎年ずっと繰り返されていた。


こんな3つの理由で私は耳鼻科を苦行と感じていたのだ。

だが、どういうわけか中学生になると
プールの授業はあったはずなのに、
健康診断で慢性鼻炎とは診断されなくなった。

私の鼻の状態は何も変わっていないにも関わらず、
診断されなくなったので、
私はあの苦行から解放されることになり、
そこから30年間耳鼻科にお世話になることなく
人生を過ごしてきた。

そして、今回30年ぶりに耳鼻科の診察室に
私は通された。

当時私が通っていた耳鼻科とは比べ物にならないぐらい
キレイな内装、
ほとんど待たされることなく診察室に通されたが
待合室には多くの女性誌が置かれ、
音を消して字幕放送にしたテレビが流れていた。

だが、やはり診察椅子に座ると
あの頃のナゾな治療を思い出し、私は身を固くした。

症状は問診票に書いていたので
先生はクルリと椅子を回し、右耳の中を見始めた。

恐らく膿があったのであろう。

30年ぶりにバキュームの細い管を耳に入れられて
それを吸引されたのだが、
先生の動きはとても素早く、
耳に入れたかと思うと、あっという間に吸引が終わり
その後細長い金属の棒のようなものの先端に
たっぷりの軟膏をつけて私の耳に入れて診察は終了した。

ものの2分ほどの出来事である。

「しばらく耳の中は触らんと、薬を入れてね」
と先生が言って、私は診察室を後にした。

たった2分ではあるが、当時私が見ていた
ナゾな治療具の数々はその診察室の中にはなく、
あっという間の治療に私は拍子抜けしてしまった。

恐らくこの30年で耳鼻科の治療も
大きく変わったのであろう。

あの当時おばあちゃんだったあの耳鼻科の先生は
もうこの世にはおられないかもしれないが、
何だかあの景色を見たくなった。

当時のナゾな治療が私にどのような影響を与えたのかは
全くわからないが、
少なくともあの時に先生が治療をしてくれたからこそ
私はプールに入って楽しむことができたし、
もしかすると今私が匂いを感じられるのは
そのおかげなのかもしれない。

次に帰省した時には、フラッと子供たちを連れて
あの耳鼻科の前を散歩してみようと思う。

窓から子供たちの「がっこう」という声が聞こえるのを
楽しみにしながら。

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