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心に刺さった小さなトゲ

人は誰しもが一つや二つぐらい
心に引っかかったトゲのようなものが
あるものである。

そのトゲは大きいものかもしれないし
ごくごく小さなものかもしれない。

だが、少なくとも日常生活に大きな影響は
与えていないものである。

時折大きなものを飲み込もうとしたときに
そのトゲに当たり痛みを感じる程度で、
しっかり咀嚼して飲み込めば問題ない。

そんなトゲが私にもいくつかあるが、
その中でも長らく付き合ってきたトゲの存在を
意識してしまう出来事があった。

先日家に帰ってきた息子が
とある同級生の話をしていた。

息子が通う小学校は1学年が50人程度なので
殆どの同級生は名前と顔が一致するし、
4年生にもなると皆一度は同じクラスになる。

そんな環境の中で息子は3年生まで
ずっと同じクラスだった友達A君が一人いた。

以前は息子の話題に時々出てきていたのだが、
息子がサッカーを始めて以降
A君の話題はめっきり聞かなくなっていた。

久々にその子の話が出たと思ったら
どうやらA君は通級に通っているという。

私も親になり始めて通級というものを
知ったのだが、
どうやら1993年に正式に制度として
学校教育に組み入れられた仕組みらしく、
通常の授業に加えて特別支援教室を
行うというものである。

恐らく通級に通うかどうかの基準が
学校側で何か決められており、
その基準に該当した児童が行く仕組みらしい。

息子曰く、A君は少し文章を読むのが苦手なようで
国語の授業などで音読をするときには
大幅につまってしまうらしい。

それが直接的な理由かどうかはわからないが
A君は通級に通っているのだという。

その話を聞いてふと私の頭の中に
小学校時代の同級生S君が浮かんできた。

S君は私の家から歩いて10分ほどのマンションに
住んでいて、
私はそのマンションに友達が3人ほどいたおかげで
ほぼ毎日そのマンションに行っていた。

そうすると否応なくS君に出会うので
私達が仲良くなるのに時間はかからなかった。

ところが、S君と同じマンションに住んでいるはずの
他の友達はS君と話しこそするが
決して仲がいいというほどではない。

せっかく近くに住んでいるのだから
仲良くすればいいのにと私は子供ながらに思っていた。

そんなS君とは1・2年生の時には
違うクラスだったが、
3年生で初めて同じクラスになった。

もともと遊んでいた仲なので
お互いの家に行き来して遊ぶようになったのだが
S君は学校では極めて大人しいことに
私はこの時初めて気が付いた。

なぜS君は大人しかったのか。

それは文字を読むことが苦手だったからである。

特に国語の授業で音読をすると
驚くほど言葉につまってしまい、
授業が進まなくなるほどである。

とはいえ、S君と話をしている時には
別に違和感を持ったことは一度もない。

なので私は同じクラスになって
初めてS君にそのような特性があることを知った。

どうやらS君は学校で極めて大人しくなるため
同じマンションに住む仲間たちは
何だか付き合いにくいと感じて
距離を置いていたようなのだ。

そんなS君が私は好きだった。

私が子供の頃はスーパーファミコン全盛期で
皆が遊ぶとなるとほぼ間違いなく
ゲームを皆でするという流れだったのだが、
S君はゲームには全く興味を示さず
一緒に遊ぶと相撲などをしていた。

S君は当時から相撲が大好きで
歴代の横綱の名前とその強さを私に教えてくれたりした。

自分が皆と同じようにゲームに興じているときには
感じられない独特の世界を持っているS君に
私は少し憧れていたのかもしれない。

そのような関係を保ったまま私達は高学年になった。

高学年になると勉強する内容も少しずつ
難しくなってくる。

S君は相変わらず国語の授業がとても苦手なので
学校では大人しいまま。

そんなS君のことをいじめるわけではないが
周りの友達たちは軽く見ているような
雰囲気が漂っていた。

そんなある日、学校で私はS君と帰ってから
私の家で遊ぶ約束をした。

そして、私が帰路につくと
別の友達M君が私に声をかけてきた。

「しんちゃん、今日帰ったら一緒に遊ばへん?」

私の心の中で何か揺らぐものがあった。

だが、私は既にS君と約束をしてしまっている。

当然ながらM君にはS君と先約があることを伝えて
断ろうとしたのだが、
なぜだか私はM君と遊ぶことを優先してしまった。

当然S君には何も伝えていない。

このままS君が家に来てしまうと困るので
私は帰ってすぐにS君の家に電話をした。

S君のお母さんが電話に出たので
替わって欲しいことを伝えると
既に私の家に向かって出発したという。

本来ならこのまま家でS君の到着をまって
一緒にM君と遊ぼうと言うのが一番の
方法である。

しかし、私はなぜかそれをしなかった。

心のどこかで私も他の仲間たちと同じように
S君のことを軽く見ていたのかもしれない。

当時私達はいわゆる鍵っこで
兄も既に友達のところに遊びに行っている。

なので、私がこのままでかければ
S君は留守の家に行くことになってしまう。

そこで私はS君のお母さんに
電話で都合が悪くなったことを伝えることにした。

S君のお母さんはとても明るい声で
「教えてくれてありがとう」と言った。

ここで私の中で小さな罪悪感が生まれたが
それでもM君と約束した公園に向かって
自転車をこぎ始めた。

そのとき、道を挟んだ少し先に
S君がいるのを見た。

S君は間違いなく私の家に向かっている。
そして、S君はお母さんに渡されたであろう
おっとっとを一箱大事そうに両手で持って
歩いていた。

その姿がまぶたにしっかりと焼き付けられたが
私は自転車をこぐ足を止めることができなかった。

そして公園に着くとM君とその仲間たちがいて
私はすっかりS君への罪悪感などわすれて
遊びに興じた。

そうして迎えた翌日。

S君と顔を合わせるたとき
私は何とも言えず気まずい気持ちになった。

しかし、S君は何も気にしていない様子で
私に話しかけてきた。

恐らく私の家に行っても誰もいないので
そのまま家に帰り、
お母さんから事情を聞いたのであろう。

有難いことにM君は学校では昨日私と
遊んだことは一切話をしなかったので
約束を破ってM君と遊んだことは
S君にはバレずにすんだ。

だが、私の心にS君がおっとっとをもって
私の家に向かって歩く姿が
この時以来、トゲとなって刺さったのである。

そうしてしばらくしたある日、
S君が隣の町に引っ越すことが知らされた。

家具職人をしていたS君のお父さんが
自宅兼工房となる家を購入し
そこに引っ越すらしい。

隣町なので当然S君とは違う学校になるし
気軽に遊びに行ける距離ではなくなる。

そうして私達は別々の道を歩いた。

中学生になり、釣りにハマったとき
一度S君が住む隣町の川に行ったことがあり
S君の家を探してみたことはあるが
結局私は見つけることができなかった。

そんなS君のことを息子が話すA君の話から
ふと思い出してしまった。

S君はあれからどうなったのだろう。

一緒に卒業しなかったので同窓会などでも
S君のことは話題に出ていないだろうし、
そもそも私は同窓会があっても参加していない。

今の時代、SNSなどでもしかしたら
S君が発信しているかもと思ったが、
S君の名前は苗字も含めてとてもポピュラーなものなので
山のような候補が出てきて見つけられそうにもなかった。

結局私のトゲは抜けることはなさそうだが、
自分の心のどこにトゲが刺さっているのかを
今回改めて感じることができた。

もしかすると今後何かの機会に
偶然S君のことを知るかもしれないし、
その時にスッとトゲが抜けるかもしれない。

しかし、その時までこのトゲは大事に
置いておこうと思う。

ある意味、このトゲがあることは
今の私を作る大切な要素なのだ。

あなたの心にはどんなトゲが刺さっているだろうか。

ふとこの記事を書きながら
Googleマップで調べてみることを思いついて
約25年ぶりにS君の家があると思しき場所を
ネット上で歩いてみた。

あの当時と変わっている箇所も色々あって
結局S君の家を見つけることはできなかったが、
何だかその辺りには私が子供の頃に見たような
懐かしい景色が色々あった。

今度実家に帰省したときに
少々遠目の散歩と称してを子供たちと
このあたりを散策してみようと思う。

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