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他人と比べてもしょうがない、と言うよりかは。

ある首長が新規職員の方々へ向けて訓示を話されたとき、
シンクタンク(政策課題を研究する専門機関)とも言える
組織でこれから勤めるあなたたちは、
野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったり、
ということとはちがって頭脳・知性が高い、
だからこそ勉強してその知性を磨くべきだ、
と言い、このことが職業差別だとして
大きな批判を受け辞職されることになった。

ぼくはこの地方公共団体で住んでいないので、
きちんとしたことは述べられないけれども、
でも、このことばのみを見るとすれば、
首長は特定の職業を差別しようとして
このことを語ろうという意図は無かった、
と思う。つまり、たとえば、
あなたたちは優秀であり、かたや、
農家はばかである、ということを
言おうとされたわけではない。

おそらく、訓示において言われていたのは、
新規職員の方々への激励のことばとして、
あなたたちは優秀である、だからこそ
さらに勉強をすることが大切である、
という旨を伝えようとされていた。
けれども、この意図ではなく
職業差別として伝わってしまった。

ここから考えられることを思うともすると、
誰かと誰かとを比較して
あなたはすばらしい、と言うことはその同時に、
比べている他人側のほうを蔑む意味になる。
そういうような意図があろうがなかろうが。

他人と比べてもしょうがない、
というのはよく言われることだと思うのですが、
その理由とは、もしかしたら
ここにあるのやもしらないな。
たとえば、誰かと比べて
じぶん自身をダメだと考えるのは、
じぶん自身を蔑むことであり、
はたまた、その逆に、誰かと比べて
じぶんは良いと考えるのは、
その相手を蔑む、言い換えるならば
相手をばかにする、とも言えるんだろう。

このどちらの場合にしろ、
じぶん自身と誰か、及び
誰かと誰かとを比べることは、
じぶん自身、もしくは、その誰かを
「蔑む」ことになる。
そういう意図があろうがなかろうが、
話法におけることばの文法上では、
そういう論理となってしまう。

だから、つまり、
他人と比べてもしょうがない。
と言うよりかはさ、
他人と比べるのは良くない、
とも言えるのかもしれないなあ。
とくに、相手に何かを伝えるときには、
相手と他人を比べてはならない。

いや、でも、ぼくだっても、
他人と比べたり、もしくは
相手と他人を比べて言ってしまったこともあるから、
しょうもないんですが、そのような
自省を込めつつこのことを考えておりました。

令和6年4月26日


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