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無限とことばからでしか。

日本語の文字には、平仮名、片仮名、漢字があって、
それらの文字が組み合わさり、そして、繋がりながら
日本語の文章はできている。

仮名文字の種類は「五十音」と呼ばれるけれども、
ほんとうは五十個は無くって、でも、
だいたい五十個、なおかつ
濁点及び半濁点がつくと種類はもっと増える。
英語のアルファベットの文字は26個なので、
英語と比べれば日本語のほうが多いけれど、
だからと言って、どっちの言語のほうが
どっちの言語よりもどうのこうの、
みたいなことは比べられないんだろう。
ぼくは英語のことはぜんぜんわからないし、
また、その他の言語はもっとぞんじないし。

というような、
文字の組み合わせ、もしくは
音節の組み合わせによって、
言語のことばが成り立っている。

言語のことばというのは、そういうような
「組み合わせ」とは言えども、たとえば
数学における「順列」的な考え方に基づいて、
その並べ方はいったいぜんたい何通り?
みたいなふうに考えても、
しょうがない、というか。

あらためて思えばけっこう不思議なのだけれども、
ことばって、原理的に言えば
有限だとは思うのですが、でも、もはや
無限のごとく存在している。たとえば、
同じ内容の文章を記すにしても、
どの人が記すかによって、まったく
異なるものになるだろうし、はたまた、
同じようなことを話すにしても、
人それぞれ、声はちがうし、
話すスピードもちがうし、それはもう
完全にちがうものになるだろう。
ましてや、人によって
価値観や考え方も異なるのだし、たとえ
同じ人が記す(話す)にしても、時期及び時間によって
かつ、その人のそのときの体調によって
思うことも変わってくるんだともすれば、
やはり、ことばとは無限なんだと思える。

人間の性格とは何か? って考えたとき、
ぼくは以前、それは
「ことば」なのじゃあないか? と思って。
つまり、人間の性格を司る要素には
いろいろなものがあると思うけれど、
そのなかでもね、とくに、その人の
「話すことば」及び「書くことば」が、
その人の性格である。
と、そういうふうに言い切れるのではないか?!
ってゆうよりも、むしろ、ことばからでしか
その人の性格を見ることはできない、
というふうに思ったんだった。

このほんとうのところは、いまだ
よくわかっておらないですが、
でも、なんだか、今でも
そういうふうに思っている、
というか。なんというか、たとえば、
ことばは大事だよ! と、よく言われるけれども、
それもまた、そういうふうなことが
そう言われる由縁なのやらしらない。

逆を言えば、じぶん自身の
話すことば及び書くことばを変えれば、
その性格だっても変わってしまうかもしれないか。

令和6年5月2日


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