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まだまだ成し遂げたいこともあったはずで。

先月、鳥山明さんの逝去の報道を見聞きしたとき、
最初は、もう、なんと申しますか、
信じられない、と申しあげますか、
なにごとが起きたのかまったくよくわからない、
のような気持ちになって、そして、でも、
だんだんと、これまで
鳥山先生の漫画及び作品を鑑賞してきたことの
多大の感謝を想っておりました。
そして、でも、訃報に際するコメントとして、
株式会社バード・スタジオさん及び
株式会社カプセルコーポレーション・トーキョーさんが
【熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、
まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。】
とのように記されているのを拝読いたしまして、
そうか、もう、今後は
鳥山さんの新しい作品を観ることはできないんだな、
とも思えてきて、やはり、さみしさを存じておりました。

【熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり】
とのような、つまり、ぼくらは
鳥山明さんがこれから完成されていたはずだった
たくさんの作品を鑑賞することができない。

そのように鑑みるとすると、
でも、もっと、もっと
たくさんのことがそうなのやもしらない。

たとえば、これからも、もっと
坂本龍一さんの新しい作品を聴きたい、
吉本隆明さんが今の世界を見て
何を考えられるのかを聞きたい、
任天堂・岩田聡さんのお話しをうかがいたい、また、
忌野清志郎さんは今、どんな歌を歌われるのか、
ジョン・レノンさんは、今、
どのような音楽を作られるのか、などなどなどなど。
お名前を挙げればきりがないとは存じますが、
どの方々も、おそらく
【まだまだ成し遂げたいこともあったはずで】
なのだと考えられます。

もっと申しあげますならば、たとえば
太平洋戦争で亡くなられた方々が、
もしも戦争で亡くならず、その後の戦後の時代において
漫画や音楽や文学や映画や美術などなどの
作品をつくられ、それらの作品が
ぼくも大好きで、みんなも大好きで、かつ
これからの芸術史においても大きく評価されていた、
ということもあったやもしらない。
でも、それも、戦争によってついえた。。。

坂本龍一さんが、以前、
ご自身の本棚でならぶたくさんの書籍について、
死ぬまでに全部は読みきれない、
とのようにおっしゃっていたと存じますが。
そう考えてみるともすれば、たとえば、
読みたい本はすべて読んだ、
鑑賞したい作品はすべて鑑賞した、
行きたい場所はすべて訪れた、
食べたいものはすべて食した、
したいことはすべてし終えた、
成し遂げたいことはすべて成し遂げた、
と思えて、亡くなる、というのは
できないことなのかもしれない、とも思われる。
ましてや、生きれば生きるほどに
そういうような、つまり
「成し遂げたいこと」は増えてゆくやもしらないから。
ともすれば、どんどん
成し遂げたいことは増えながら、それらを
成し遂げることもさらに叶わず。
ということが、いわゆる
人間の人生なのでしょうか。

そう考えると、やっぱり、
どうか健康で過ごせますように、そして
どうか平和で暮らすことができますように、
と、祈りたいよ。

令和6年4月23日


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